第11話 憧れのカップルはそばにあり

「松岡、早く早く!」


 屋敷に着くやいなや、春陽は松岡をぐいぐい引っ張って自分の部屋へと連れ込んだ。松岡とは、いつもは部屋の前で別れるけど今日は見せびらかしたいものがあるからだ。

 松岡は顔をしかめながらもされるがままの状態だ。


「春陽様、手洗いうがいを先にしてください」


「そんなのあとであとでっ!」


 言いながら、いそいそと部屋のドア閉める。松岡の仏頂面に怯え顔のムッチーをソファの上に座らせてから、松岡にもその隣に腰掛けるように促す。

 春陽はコホンと咳払いをして、観客1人と1匹に優雅に一礼をした。

 そして、ピオールの花模様のトートバッグからもったいつけてあるものを取り出した。


「じゃーん!これはなんでしょう!」


「ジャージですね。星が峰の。私と春隆様がいた頃より線が1本増えていますね」


 と、松岡が相変わらず淡々と答える。星が峰のOBらしく、着眼点が鋭い。


「飼いムチのヘンテコな服だム!いつもの格好の方が似合うな〜っていつも思っているム!」


 と、ムッチー。こちらは相変わらず、ちょっと失礼だ。

 その2つのリアクションを前に、春陽はクックックと不気味な笑い声を上げる。まだ、大事な点に気がついていない1人と1匹の反応が愉快で仕方がない。

 松岡が怪訝そうな眼差しでそんな春陽を見つめている。

この感動は、どうしても松岡とムッチーには分け与えたい。いわゆる、シェアハピというやつだ。


「このジャージ、ただのジャージじゃないんだよ!」


「と、いいますと?」


「そうム?異界のオーラはしないムけどね?」


 松岡とムッチーが同時にリアクションをする風景に春陽は大層満足した。そんなに先が知りたいなら、早く教えてあげたいと言う気持ちと、やっぱりすぐに教えるのはもったいないなあという気持ちでプチ葛藤する。


「いやあ、きっと驚くと思うんだけどね…でもなあ…どうしようかなあ…」


「もったいつけるのなら、先に手洗いうがいをしてください。5分以内におっしゃってくださらないと、無理矢理洗面所に連れて行きますよ」


 やや短気な松岡が、早くも厳しい目で春陽を睨みつける。どうやら、松岡はこのジャージの正体に興味津々のようだ。


 春陽は仕方ないなあと思いながら、答えを教えてあげることにした。その幸福な回答を告げるにあたり、春陽の表情はすっかりコントロールを失って、今にもとろけ出しそうだ。いつもの王子様スマイルも、父に鍛えられたよそゆきの顔も、出せそうにない。


「これ実は、深谷のジャージなんだ!」


 そう叫んで、バーンとジャージを掲げてみせる。

瞬間、松岡の動きがフリーズしたかと思えば、直後にガバリと立ち上がった。その動きに、横にいたムッチーがびくっと体を震わせている。

 滅多に見られない松岡の衝動的な動作は、期待以上の反応だ。


「春陽様…」


 ソファの前のローテーブル越しに立つ春陽のもとに、松岡がツカツカと歩み寄ってくる。


「うん!」


 春陽の目の前に立ちはだかる松岡は、なんだか不自然なほどシリアスな面持ちだ。優しいがプライドの高い松岡のことだから、感動して泣くのを我慢していたりするのだろうか。ちょっと予想を超えたリアクションに、春陽はハテ、と首を傾げる。


「今すぐ星が峰に戻りましょう。落とし物は、学園内の管理室に届けるべきです」


「へ…?」


 まさかの反応に、春陽はあ然とした。松岡は額を押さえながら沈痛な面持ちで話し始める。


「春陽様におかれましては、たとえどんなに思い余ったとしても人のものを盗むなどと言う蛮行はしないと、松岡は信じております。ですが、お手元にあるのは深谷様のジャージ…。ということは、学園内でお拾いになって、そのまま持って帰ってきているのでしょう?いい香りの洗剤やらで洗濯して差し上げようとかなんとか思って…」


 さすが松岡、最上級の洗剤と柔軟剤を使って洗濯してあげようとおもっていること自体は当たっている。

 だけど感心している場合じゃない。松岡はこの状況をひどく誤解している。春陽は深谷のジャージを拾っても、盗んでもいない。合意の上で貸してもらったのだ。

 春陽はあわてて顔の前で手を振った。


「ちちち、違うぞ?松岡!これ、借りたんだ!深谷から!」


「…はい?」


「深谷が!自分から!貸してくれたんだ!」


 松岡が仰天して目を見開く。滅多にお目にかかれないオーバーなリアクションが、ことの重大さを理解してくれているようで春陽は大変満足した。

まあ、若干驚きすぎのような気もするが。


 松岡が呆然とつぶやく。


「…いったいどうして、そのようなことに?」


 春陽は言いたくて言いたくてうずうずしているポイントに松岡が触れてくれて、またしても満面の笑みになる。


「そこ、聞いちゃう〜?さすが松岡!」


「ムッチーもそばで聞きたいム〜!飼いムチ〜!」


「ああっ、ムッチーごめんね!忘れていたよ!」


 駄々をこねるムッチーの元へ向かい、今度は春陽がソファに腰掛けてムッチーを膝の上に置く。

 松岡とは、さっきと位置が逆転したような形になった。その松岡を見つめながら、春陽は話し始める。


「僕が、ジャージを忘れて、正源寺のやつを借りていたら、深谷がそれを見てやきもちをやいてしまって…その場でジャージを脱がされたんだよ…!そして僕にこのジャージを着せ掛けてくれたんだ…!」


 松岡がこめかみを押さえながら苦悶の表情を浮かべる。


「春陽様、脱がされたというのは…事実であれば由々しき事態なのですが…というか、そのお話、脚色していませんか?」


 春陽はぎくりとした。やはり松岡は鋭い。脱がされたのではなく、脱いだのは春陽自身だ。


「し、し、してない!」


 松岡は小さくため息をついた。

松岡は信じてくれないかも知れないが、脚色を取り除いても、なんと90%くらいは事実なのである。


「松岡、でもすごくない?深谷がやきもちだよ!おまけにこのジャージ…」


 春陽は恍惚とした表情でジャージに顔をうずめた。


「深谷の匂いがするんだ…!」


 うっとりする春陽と対照的に、松岡はげっそりした表情になる。もうツッコミを入れるのが面倒になったときの松岡はいつもこういう顔になる。


「では…深谷様に、お礼をしなくてはいけませんね…。私からメイドに洗濯を頼みますから、貸してください」


 春陽ははっとして、ジャージを自分の胸に引き寄せた。はずみでジャージの裾が頭に触れたらしいムッチーが、「ムムッチー!」と抗議の声を上げる。


「まだダメ!一晩だけ!抱いて寝るから!」


「なりません。変態行為は謹んでください」


「変態じゃない!乙女ムーブだもん!」


「変態です。教育係として、それだけは許しません」


 松岡がキッパリと告げる。

 万事休すかとおもったその瞬間、春陽の部屋の扉が開いた。顔を覗かせたのは、2番目の兄の春隆だった。


「春陽ー、松岡いる?…って、やっぱりここにいるんだな。お前ら本当に仲良しだよな…」


 春隆は長い足をスイスイ動かして、戸口から松岡と春陽のもとに歩いてくる。

春隆は、春陽とは似ても似つかない野生みのある顔立ちのハンサムだ。30歳という年齢もあいまって、大人の色香の漂うたたずまいをしている。


「春隆様。お久しぶりでございます」


 すました顔で、松岡が春隆に一礼する。

春隆は、その言葉にちょっと渋い顔をしてリアクションをする。


「お久しぶり…ねぇ。まあいいけど。松岡、このあと時間ある?」


「ありません。春陽様と歓談中でございます」


「…歓談って、何を?」


「主人のプライバシーに関わることにはお答えできません」


 松岡が春隆にピシャリと言い放つ。

 春陽に対する松岡もまあまあ容赦がないが、春隆への態度はなお一層冷酷だ。松岡は春隆に対しては、より素に近い態度で接している感じがする。

 それもそのはず、2人はもともと星が峰の同級生なのである。


「春陽、こう言ってるけど、松岡借りてっちゃダメか?俺、こいつと話したいことがあるんだけど」


 まさに渡りに船といった状況に、春陽は即座に乗っかった。松岡には悪いが、このジャージだけは奪われるわけにはいかない。


「春隆お兄様、どうぞどうぞ!」


 春隆はニヤリと笑って松岡の腕をぐいと掴んだ。


「だってよ…松岡、いこうぜ」


 松岡はついに諦めたようにため息をついて、春陽のことをビシッと指差す。


「春陽様。一晩だけですからね」


「…!うん!わかった!松岡、大好き!ありがとう!」


 そういって、春隆にドナドナされていく松岡を手を振って見送った。

 バタン、と扉が閉じると、ムッチーが呆れたように話しかけてくる。


「飼いムチ、深谷のジャージ欲しさに松岡さんを売り渡したムね?ひどいと思うム!」


「大丈夫、大丈夫!松岡と春隆お兄様は仲良しだからね!」


「そうは見えないム…」


「いいのいいの!」


 春陽は鼻歌混じりにそう告げた。ムッチーは腑に落ちない顔をしているが、ワケを説明するわけにはいかない。

 恐らく、この屋敷では誰も気がついていないがーー松岡と春隆は恋人関係にある。ひょんなことからそれに気づいた春陽だが、真面目でプライドの高い松岡のことを慮って、本人の前でも春隆の前でも全く知らないふりをしている。

もっとも、春隆に関しては、春陽が気づいていることに勘づいていると思うのだが。


 なんにせよ、星が峰の時から気心の知れた間柄の2人が恋人同士になって幸福そうにしているのはまさに春陽の憧れなのである。


(2人みたいになれたら、いいんだけどなあ)


 そう思って、春陽は深谷のジャージをぎゅっと抱きしめた。


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