第7話 深谷とエロイベはしません(したいけど)
厳かなチャイム音が、下校の時刻が近いことを告げる。春陽は呆然としながらVRゴーグルを顔から取り外した。今日の記憶はなかなかーー衝撃だった。
(セオドアに婚約者がいたっていうの、初耳だよ?!)
ムッチーに導かれるまま、前世の記憶を取り戻すべくゲーム『エメラルドサーガ』を開始して、はや半年。『エメラルドサーガ』はゲームの作りとしては単純で、魔法騎士としての戦闘パートをこなし、仲間を増やして各地域にいるボスと戦ってストーリーを進めていけば良い。
そしてその戦いの報酬として、前世の記憶が春陽の頭にインストールされる。そこらへんがどういう仕組みになっているのかはさっぱりわからなかったけど、ムッチーいわく「それも魔法」らしい。
「春ぴ、おつ〜」
ゲーミングチェアで茫然自失となっている春陽に、幼馴染であり部活友達の水町・フランソワーズ・紅緒ーー通称紅ちゃんが話しかけてくる。
紅緒は地雷系のファッションが特徴の、とってもかわいい女の子だ。お母さんがフランス人らしく、フランソワーズというミドルネームがついている。
今日も、超がつくほどのミニスカートを履き、胸元にはアニメキャラクターのような薄ピンクのかわいいリボンをつけている。ツインテールにくくった髪の毛が、小さな顔の周りで楽しげにゆれている。
紅緒のこの出でだちは、コンサバ高校生の多い星が峰では春陽同様に派手な部類に入る。
重めの前髪の下にある色素の薄い瞳が、落ち込む春陽を見つめて、ぱちぱちと瞬きをした。
「春ぴ、なんか落ち込んでない?だいじょぶそ?昔の記憶、またなんかやばかったの」
春陽は紅緒の方に向き直って、情けない声を出した
「紅ちゃ〜ん…僕もう、訳がわかんなくなってきたんだ…前世の記憶で、セオドアに婚約者がいる説が急浮上していて…」
「げっ、なんだそりゃ。浮気じゃんか!」
初等部時代から仲良しの紅緒には、ムッチーがしゃべることや、春陽には前世があること、そしてこのゲームを通じて前世の記憶が取り戻せることーーなどをこっそり話してみた。もちろん、深谷がセオドアだと言うことも打ち明け済みだ。
荒唐無稽の極みのような話だが、紅緒はそうした一連の流れをあっさりと信じてくれた。
もともと自称・スピリチュアル界隈だけあって、占いやら風数やら前世やらーーは得意分野らしい。紅緒だけではないが、星が峰の個性溢れる友人たちは、基本的に心が広くて助かる。
肝心の前世の記憶は、回を追うごとにどんどんヘビーになっている。
フィオリアの一生を思うと明るい記憶は少ないはずだが、ここのところは唯一の救いであったはずの、フィオリアとセオドアの仲すら盤石のものではないと思わせられることが多い。
それに、ムッチーは2人はラブラブだったというけど今のところそんな記憶はよみがえっていない。もちろん、フィオリアはセオドアのことが好きだ。けれど、フィオリアは自分に対するセオドアの感情がどのようなものなのかをはかりかねているようだ。従者としての忠誠なのか、はたまたそれ以上に親愛の情があるのだろうか。
ーー恋愛ドラマだったらのんきにもだもだキュンキュンしていられたと思うけど、自分の前世となるとそうもいかない。
「なんか、フィオリアって本当にかわいそうなんだよね…周囲からあまりにも邪険にされすぎているというか…」
春陽はやるせない気分でポツリとつぶいやいた。
紅緒も、うーんと腕を組んで同調する。
「セオドアからの気持ちも不明って感じなのかー。婚約者いながらフィオリアと付き合ってたとしたら、二股じゃない?確かにそれは大鬱すぎるエピだよね〜。てかさ、ラブラブだったっていうムッチーの記憶、間違ってるんじゃないの〜?」
紅緒がムッチーのおでこをツンツンしながら喋りかける。ムッチーはムッとした顔で「絶対あってるム!」と猛然と反論している。が、その声は紅緒には届かない。
「あってるらしいよ…ムッチーがプリプリしている…」
「ほー?ほんとなのかしらね〜」
といいながら、今度はムッチーの耳をふにふにしている。
本当なら癒しの風景のはずだが、手放しに愛でる気にはなれない。
というのも、紅緒のいうとおり、ムッチーの記憶も実は少し怪しいからだ。
なんせ、断片的にインストールされる前世の記憶の中で、ムッチーがいたのは恐らく最後の2年程度ーーということがわかっている。おまけにそのころのムッチーはまだほんの赤ちゃん魔獣で、今みたいにちゃんとコミュニケーションが取れていた感じもしない。
(ムッチーはたぶん、セオドアとフィオリアの関係については、深いことは知らないんだよなあ)
紅緒がスマホの画面を春陽の顔の前にずいと突き出してくる。
「春ぴ、松岡っちまってるっしょ!とりあえず、帰ろ〜」
「む!もう18時か!」
紅緒の言葉に春陽も慌てて立ち上がり、鞄を持って教室を出た。松岡を怒らせると、またムッチーが怯えてしまう。魔獣のストレス耐性はよく知らないが、あまり負荷をかけても可哀想だ。
廊下を歩きながら、そういえば、と思って紅緒に質問を投げかけた。
「ときに紅ちゃん、明後日のお昼の予定は大丈夫?カフェテリアでランチミーティングにしてたはずだけど」
「あ」という顔になって紅緒が口に手を当てている。この様子、どうやら忘れているのではないだろうか。
(やっぱり、また忘れてたな)
紅緒は初等部時代から変わらず、とっても優しくて個性的で面白いのだけどーーいかんせんものすごく忘れっぽい。春陽も人のことを言えた口ではないので、呆れたことはない。今回に関しては、春陽はすこしだけワクワクした気持ちになった。
だって、もしリスケになったらーー深谷の練習を見に行けるのだ!
クラスメイトのサッカー部員・飯山君から日々サッカー部の動向を教えてもらっている春陽は、明後日の昼休みにグラウンド練習をが行われることを知っていた。
にやけそうになる顔を引き締めつつ紅緒の返事をまっていると、おずおずと紅緒が話し始めた。
「春ぴ、大変言いづらいんだけどねぇ~」
「はい」
「かんっぜんに忘れておりましてぇ~…」
(やっぱりー!!)
「彼ピとの予定を入れてしまいましたっ。あのう…ここからでも入れる保険ってありますでしょうか…?」
紅緒は、大学部に在籍しているバンドマンの彼氏と付き合っている。背が高くホストみたいな見た目の彼氏に、今は夢中だ。ちなみに、紅緒は春陽みたいな可愛い系はまったく眼中にない。
そもそも男が好きな春陽と、恋愛的な意味で春陽に全く興味のない紅緒の友情は、初等部時代から固く、揺らぐことはない。
「紅ちゃんと僕の仲じゃないか!リスケにしよう!」
うれしさを隠しきれず、春陽は満面の笑みで声をあげる。その声の大きさに、廊下を歩いていた生徒が何人かが振り返る。
そのあからさまな態度に、紅緒からはひんしゅくを買った。
「ねぇ、その反応ひどい~っ!春ぴさ、なんか喜んでない?!さてはあいつでしょ!深谷と何かするんだ!!エロいことするんだ!!」
「ななな、何を言うんだ紅ちゃん!ごご、ご、誤解だ!僕と深谷はまだ清い仲なんだ!」
春陽は慌てふためきつつ、心の中で「未熟者の春陽をお許しください。全然感情が隠せません…」と仕事でヨーロッパにいる父に謝罪をしておいた。
不肖の末っ子は、素直すぎるのが玉に瑕、というのが身内からの評価である。
「いや、エロイベだね!深谷とエロイベするんだ!」
「しないってば!」
「いーや、するね!」
ぎゃあぎゃあ廊下で騒いでいるうちに春陽は、はた、とそこが見慣れた廊下であることに気がついた。とてつもなく、嫌な予感がして紅緒の口にしーっと手を添える。
春陽は廊下を恐る恐る見回してみると、深谷が思いっきり顔を引きつらせながら春陽と紅緒のことを見ているのが目に入った。
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