第33話 鬼の思いとレオンの思い
胸の奥にまだ、かすかな鼓動の余韻が残っている。
その鼓動がイレーナ自身のものか、隣に眠るレオンのものか、もうわからなかった。
火はいつの間にか消えていたのに、肌と肌が触れ合っていると不思議と寒くなかった。
レオンの体温が、壕の冷気を遠ざけてくれている。
彼の腕の中は、まるで世界のどこよりも穏やかで、不安な事なんて一つもない場所だった。
ずっとこの腕の中にいたい……。
自分がこんな風に感じる事があるなんて、思いもしなかった。
――初めてなのに、怖くなかった。
それは、痛みを超えた優しさがあったから。
レオンはイレーナを、まるで壊れ物を扱うように触れてくれた。
「……痛く……ないか?」
あのときの、少し掠れた声がイレーナの中で蘇る。
姿は鬼のレオン。
でも、体に触れる手は優しかった。
イレーナが泣きそうになりながら頷くと、彼は微笑んで彼女を抱き寄せた。
あの瞬間、どんな言葉よりも深く――「愛されている」と思った。
やがて、微かな光が岩壁を淡く照らしはじめた。
朝だ。
イレーナはそっと体を起こし、レオンを見た。
彼はもう目を覚ましていた。
日の光を受けたその顔には、もう角も、牙もなかった。
「レオン……?戻ってる……!」
思わずそう言うと、彼は小さく頷いた。
「ああ。朝、起きたら消えていた」
レオンは手で角があった辺りを触る。
「それよりも、体は平気か?」
「……だ、大丈夫です」
イレーナは急に恥ずかしくなって、シーツで身体を隠した。
レオンは優しく笑う。
その顔を見ると、この人が恐ろしい騎士団長とは思えない。
「……可愛いな。お前は」
そう言って、レオンはイレーナの髪を撫でる。
「……っ!」
イレーナの顔が赤くなる。
いっぱい汗もかいたし、髪の毛もボロボロだし……。
そんな状態で、かわいいなんて……。
イレーナは、過去も今も、こんな風に男性に愛でられることがなかったので、どう反応していいかわからなかった。
「……あの、あなたが女性の体を壊すって噂、私が撤回できそうですね」
ああ、私ってば、こんな時にこんなことしか言えないのか……。
「……あの噂の真相は……、いつか教えてやるよ」
と、レオンは乾いた笑いをする。
なによ、それ。
「今教えて」
「いや、お前にはまだ早い」
完全に馬鹿にされている気が……。
「ところで、レオンこそ、体大丈夫ですか?」
「……体は大丈夫だ。お前を抱いたことで、鬼の欲がおさまったのかもしれない」
その言葉に、またイレーナの顔が一気に熱くなった。
「……言っておきますけど、銀目の鬼とは、そんな関係じゃなかったですから……」
「知ってる。……でも、そうなりたかったのは確かだ」
「え?……どういうこと?」
「前世は人間と鬼という立場だったから、触れればお前を壊すと思っていた。でも、ずっとお前に触れたいと思っていたようだ」
レオンは淡々と言うが、イレーナにはその言葉が何よりも重く思えた。
「……そんな……。そんなこと知らない……」
「……鬼は言葉をうまく話せなかったから……。でも、セレスのことが、好きで好きでたまらなかったんだ。その思いだけは感じる」
そんな……。
嘘でしょ?
「銀目の鬼は、私の戦友だった……。そんな気持ちでいたなんて……」
「セレスを愛していた。……お前は、気付かなかったのか?」
「……愛してた?」
その響きが、胸の奥に柔らかく沈んでいく。
「あなたが鬼化した時の私への欲望は、ただの欲でしょう?」
レオンは静かに首を振った。
「いや。お前しか見ていない。これは、鬼の愛だ」
銀目の鬼が私を愛していた?
確かに二人の間には絆があった。
セレスも大好きだった。
あの世界でただ一人だけ信じられる存在だった。
でも、銀目の鬼がセレスの事を、そんな風に見ていたなんて信じられなかった。
「……ごめんなさい。少し離れて」
「イレーナ? どうした?」
「ちょっと……。混乱してるから……」
イレーナは、レオンから離れた。
レオンはため息をつき、服を着始めた。
『これは、鬼の愛だ』
銀目の鬼が私を愛していた事にも驚いたが……。
それを、レオンから聞かされることが、痛かった。
だって、それはまるで……、私に固執するのは、レオン本人の意思ではなかったと言われているようだ。
そうだよね。
そうじゃなかったら、レオンが私にこんなに固執することなんてなかったんだよね……。
そもそも、初めから私を結婚相手にも選ばなかっただろう。
私がセレスで、レオンが銀目の鬼の生まれ変わりだったから、成り立った関係だ。
バカみたいだ。
昨日は、レオンに愛されていると感じていた。
でもそれは、やはり、鬼の欲望だったのだ。
「……っ」
「おい。なんで泣いてる……」
レオンはイレーナの手首を掴んで、顔を見る。
「なんか……、ぐちゃぐちゃになりました、感情が! レオンのせいで!」
私自身にも、どうしていいかわからない感情。
レオンに八つ当たりしてもどうしようもない。
だいたい、私はこの人からいずれ離れようとしている。
私への固執が、レオン自身のものじゃないなら、そっちの方が離れる時の罪悪感がないとも思う。
でも、感情が追い付かなかった。
自分自身、どうしたいのか、自分でわからない……。
考えないようにしていたけど、私はこの人が、好きなんだ……。
離れようと思っていたから、感情に蓋をしていたけど、私はレオンに惹かれている。
苦しくなって泣いていると、レオンはイレーナを優しく抱きしめた。
「……イレーナ。落ち着け」
抱きしめられただけで、ホッとしてしまう自分が嫌だった。
この人は、鬼の魂のせいで、私を好きだと勘違いしているだけだ。
だったらこの人を……、私から解放してあげないと、気の毒だ。
「……一つ言っておくが……」
レオンは一度体を離し、イレーナの顔を真正面から見た。
「お前を抱いたのは、俺だ。 鬼ではない。 それは間違えるな」
イレーナは心の声が聞こえたのかと、一瞬目を見開く。
「……あ、あなたは鬼の感情に影響されてるだけ……」
イレーナが言い終わらない内に、レオンは少し口調を強めた。
「俺の今の気持ちは俺のものだ。 俺は、セレスではなく、イレーナ、お前を愛している」
それを聞いて、思わず涙が溢れた。
なんの涙かわからなかったけど、嬉しいのやら、苦しいのやら、やっぱり色んな感情がぐちゃぐちゃになった。
腹が立つ勘の良さ。
私がどうして泣いているのか、レオンは察してしまったのだろう。
でも、もう少しだけ、この人の肌の温もりを感じていたいと思い、イレーナはそのままレオンの胸に顔を寄せた。
◇◇◇
二人は外に出る事にした。
一時間ほど歩いていると、馬車が燃えた場所までたどり着いた。
「……御者も丸焦げだ。お前、容赦ないな」
レオンがイレーナを見る。
「……一回、体感してみますか?」
イレーナが手に炎を燃やす。
「いや、遠慮しておく」
その時、遠くに声が聞こえた。
「騎士団のやつらだ。俺たちを探しにきたな」
「この辺に倒れてた騎士たち、いなくなってますものね。……もう正気に戻ってるかな……」
しばらくすると、ユーリックを先頭にした騎士団と合う事ができた。
ユーリックは、二人を見つけると、大急ぎで駆け寄ってきた。
「レオン様!! イレーナ様!!」
でも、近くまで来て、ギョッとした顔になる。
「何が……あったんですか……」
そう言われて、レオンとイレーナはお互いを見た。
確かに……。
そう言われても仕方ない。
レオンの服はところどころ破れ、肩の所にはかなりの範囲で血がにじんでいる。
イレーナと言うと、髪はぼさぼさ、スカートはレオンのケガの包帯代わりに使ったので引き裂いていた。
足が膝のあたりまで見えている状態だ。
レオンはともかく、イレーナはとても令嬢の恰好とは思えなかった。
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