第6話 腰抜け
じり………じり……とその男はトキに近づいた。
ひと気のない細いけもの道で、風だけがザワザサと音を立てたが、トキの耳にはなんら聞こえてはいなかった。謎の恐怖だけが込み上げて、トキの顔はすっかり青ざめている。
「誰………この人」
トキは小さく呟きながら、どんどん後ろに後退る。そのたび、ジャリ……ジャリ……と小さな石が音を立てる。
「お前、珍しい髪の色をしているなぁ。ん?もしかしてあの方々が探しているのが、お前か?」
「え……あの方?探している?」
トキは、思わず問いかけのような言葉を口にしたが、その男はトキの返しに返事はせずに、口角を上げてニヤリと気味悪く笑うと、腰に刺している刀のような長い物をスラリと抜いた。
ドサッと音を立てて、トキは尻もちをついて地べたに座り込んでしまった。ガタガタと震えながらズリズリと不格好に下がってゆく。もうその手にわいず刀はない。尻もちを付いた時に、うかつにも手か離してしまっていた。
「あ……え?……待って」
その男は刀の柄を、片手から両手に持ち替えると、チャキ…っと刀が整う音がする。「殺られる」トキは心の中で直感的にそう思った。
「お前の首を持っていけばさぞ喜ぶだろうて……いい所で会ったなぁ。そろそろだとは聞いてはいたが」
男はニヤニヤと笑いながら、一気にトキに向かって駆け出してきた。ガサガサガサガサっと足は草を分け、その勢いに足元に転がる小石は散乱した。
そして男は、トキの数歩手前で大きく振りかぶる。
風がザアッと木の枝を揺らし、いくつもの落ち葉がハラハラとトキの前を横切る。
「やめっ……」
恐怖のあまり咄嗟に目を閉じたトキの耳に、貫くような、ガシャーーーン!!となにかが激しくぶつかり合う音がした。本能的にビクッと身体を揺らす。数秒の沈黙のあと、トキは固まった身体の力が少し緩み、薄く薄く目を開けた。
そこには、その男の刀を、同じく刀で受け止めたいろりの後ろ姿があった。
「い……いろり姉ちゃん……?」
あまりの驚きにトキは目を大きく見開いてやっとの思いでいろりの名前を口にした。
「下がりなさいトキ!」
いろりはトキに背中を向けたままそう言うと、同時に相手の刃を自ら手に持つ刃で押し返す。キンッという甲高い音とともに。
「早く!」
一瞬トキに注意を向けたいろりに、その男は一度下げた刀を再度構え、また互いの刃は鋭い音を立てる。そして妙に納得した顔で「なるほど、わいずの守り女か」と呟くと、その男は後ろに下がり、少しの間合いを取った。
そして、その男はじりじりと左に移動し、その間もギラギラとした目はいろりを一瞬たりとも離さない。いろりもまた、構えを崩すことなく、張り詰めているのが嫌という程伝わって、トキの心臓は痛いくらいバクバクと鳴っていた。しばらくの睨み合いの末、その男は鋭い目付きとは裏腹に、ふわりと軽い足取りで再びいろりに向かって走り出す。
「いろり姉ちゃん危ない!」
「かかってきなさいよ!!」
いろりはトキのその言葉に、一切動じることなく大きな声でそう叫ぶと、男に向かって同じように駆け出した。ギィンッ!と鼓膜に刺さる金属音にトキは思わずまた目を閉じる。
いろりの息はハアハアと上がっているにも関わらず、相手は呼吸ひとつ乱してはいない。力で適うはずもない……とトキは自分のわいず刀を拾い、加勢しなければと立ち上がろうとするも、足が震えて上手く立ち上がれない。
いろりと男は、刃を交差させお互い力で押しあっていたが、その男は力任せに「んッ!」と声を上げいろりを弾き返すと、その力でズサァッと押し戻され、いろりの靴から砂埃が舞う。
「た……助けなきゃ……いろ……」
トキは震える唇で今やるべき事を口にするも、それすらも言葉にできないほど怯えている。
「トキ!逃げっ…………」
トキ!という言葉を発したほんの僅かな瞬間、いろりの目は、無意識に後ろのトキを見ようとした。そこに隙を見つけた男はいろりの肩から胸、そして脇腹にかけてなんの躊躇いもなく、その刃を振り下ろした。バッ!と血しぶきが噴き上がる。
「うぐっ………」
「いろり姉ちゃん!!!」
トキはすでに半泣きの状態で叫んだ。
ぐっ……と食いしばったいろりの口から血が落ちる。しかし、その目には恐れはない。一歩こそ後ろに足を下げたが、それ以上は一歩も引きはしなかった。
「わいずの守り女も大したことはないな。この程度で刃向かってきおって。そこをどけ、お前に用はない」
男はいろりを蔑むような顔でそう吐き捨てると、顎で「どけ」という動きを見せる。
「どけと言われておいそれとどく女は、このわいずには生憎いないわ。あんた原始の種ね?トキが成人してそろそろ動き出す頃だと思ってたわ……」
ポタ、ポタ……と血が落ちる。
トキは、終始ただ青ざめ、ボタボタと大粒の涙を零しながら、いろりの影でガタガタと震えるしかできずにいた。
「トキ………あんた泣いてるでしょ。あれほど泣くなって教えて……きたでしょ。トキ、人前で泣くな。そして今はただ逃げなさい、早く。泣いてないで!しっかりしなさいっ!」
いろりは、トキに背中を向けたままそう叫んだ。
その声は、聞いたこともないような切羽詰まった声。そこでようやくトキは我に返った。
「あ……あ……」
「生きてトキ」
いろりは、トキを振り返り声をかけた。
先ほどの声とは全く違う穏やかな声で。いろりの顔は、血に濡れていたが、優しく、そして美しかった。トキはそのいろりの顔を見て、もっと泣きたくなる気持ちをどうにか押さえ込み、袖で涙を拭うとやっとの思いで立ち上がる。
「いろり……姉ちゃん」
「トキ、わいず刀を手から離すんじゃないよ。どんな事があっても、どんな時でも………それはね、私たちわい、ずの…希望そのもの、トキと同じだよ」
「俺と、同じ………」
いろりは静かに微笑み頷くと、キッと目を釣りあげてトキを睨む。涙を拭っても拭っても止めどなく泣き続けるトキに、今までで一番強く、しかし凛とした声で叫ぶ。
「さぁ!行きなさいトキ!」
その言葉にトキはいろりに背を向けて走り出した。
今はなにも考えるな、なにも考えるな!と自分に言い聞かせて。
「美しいねぇ、人間たちは。いやぁ美しい」
「あんた達のような人間もどきには百回生まれ直してもわからないでしょうね………さぁとことんやりましょ、わいずの守り女の生き様を見せてあげる」
「ははは、死に様の間違いだろう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます