3-3 しかし、やはり進まない

「う~ん。楽しかったぁ~」


キリの良いところまで読み終えた私は、深く腰掛けていた椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。

長時間座っていたせいか、少し腰が痛い。

理論はだいたい頭に入ったから、今度実験してみよう。


「って、ヤバ」

勢いで関連書籍まで読み漁ってしまった。

どのくらい時間が経ったのかと外を見ると、日がすっかり落ちていた。

いつの間にか、部屋には明かりもついている。

窓からは涼しい夜風が入り込み、換気のために開けていたドアへと抜けていく。

そのドアの向こうには、少し険しい顔をしたディースが立っていた。


「え~っと……いつからそちらにおられたのですか?」

「ここに立ったのは、つい先ほどですよ。掃除をしながら定期的に覗いていましたが……」


険しい顔から一転、呆れた顔を作るディース。


「でも、ほら見てよ。机の上はちょっと片付いたから」


と片付けたはずの机を見せたが、魔法でも使ったかのように元通りの汚い机に戻っていた。


「私、散らかしてた?」

「はい。見るたびに机に物が増えていました。ノワエ様のその集中力には感服いたしますが……」

「いや~ごめんごめん。また今度やるわ」


たぶん一生やらないだろうけど。と心の中で付け加える。

心の声まで聞こえたのだろう、ディースは大きくため息をついた。


「まぁ、換気をしただけでも進捗ありとしましょう。ノワエ様、お風呂のご用意ができています。そのあとは食堂にへお越しください」

「わかったわ」


窓とカーテンを閉めて研究室を出る。

今日は研究も掃除も、随分と前に進んだ気がする。

いや、あの部屋の惨状を見れば、掃除が進んだとは言えないか。

お風呂に入り、汚れと一日の疲れを洗い流してから、食堂へ向かう。

ディースが食堂の前で待っていて、私が来ると扉を開けてくれる。

中に入って、いつもの席に座る。

しばらくすると、ディースが前菜を運んできた。


「ディース、いつもありがとうね」


朝早くから起きて掃除を手伝ったからだろう。今日は特に、彼女の存在がありがたく思えた。


「どうしました、急に?」

「掃除に家事に炊事に。普通なら一人じゃできない量なのに、文句言わずにやって……いや、文句は定期的に言ってるわね」

「一言多いですよ、ノワエ様」


ディースがくすくすと笑う。今日はディースがよく笑う日だ。

前菜を食べ終えると、ディースがメインディッシュを持ってくる。ハンバーグだ。


「おお。豪華ね」

「ノワエ様が率先して手伝ってくださいましたから、今日は普段手の回らないところまで綺麗にできました。そのお礼も兼ねております」

「じゃあ、遠慮なくいただくわ」


一口食べると、肉汁がじゅわっと広がった。うん、美味しい。やっぱり労働の後のご飯は一味違う。


「お味の方は問題ないようですね」

「問題ないどころか、とても美味しいわ。さすがディース」

「お褒めいただき光栄です。ですがノワエ様。食事中にイレアナ様に調教されている時と同じ、恍惚な表情をされるのはいかがなものかと」

「そんな顔してないわよ。あと、調教もされてない……と思うわ」


後者については正直自信がないので、語尾がしぼむ。


「もう少し人員を揃えられれば、ディースも楽になるわよね。一人分の給料で五人くらい雇えないかしら」

「……イレアナ様に頼んでみては?」

「嫌よ。そんなふざけたことを言ったら、冗談抜きで壊すまで遊ばれそうだし」

「壊されることはないと思いますが、毎日イレアナ様を求めて彷徨うくらいには調教されるかもしれませんね」

「それ、立派に壊れてるじゃないの」


ディースと目が合って、お互いにふっと笑みをこぼす。

“早起きは三文の徳”なんて聞いたことがあるけど、ディースが何度も笑顔を見せてくれるなら、頑張って早起きを続けるのも悪くないかもしれない。


「あ~あ。魔王族だということと強いことがバレない、あまり素性を詮索されない、覚えることが少ない、働く時間も少ない、でもお給料はとりわけ良い……って仕事はないかしら?」

「イレアナ様に体を売るのが一番早いかと」

「主に体を売るのを勧めるなって言いたいけど、実質それが一番よねぇ」


姉さんからの支援金は、名目上“姉さんの相手をした対価”ということになっている。

そのため、回数が多ければ多いほど支払われる金額も増える。

姉さんと親しくしているのはお金のため……そんな感じがして嫌なので、できれば断りたい。

でも、そうすると生活が破綻するので我慢している。


「ノワエ様の精神力が試されますね」

「相当強いと思うけど、姉さん相手だと自信ないわ」


増やせないことはないけれど、増やせば増やすほど、私の生活が色欲に飲まれていってしまう。

さっきディースが言っていた“毎日姉さんを求めて彷徨う”くらいは、本当にありそうだ。

その後も、ディースと“人を増やさずに家事をどう回すか”という、もう何万回もしたであろう議論を行い、結局、人員は足りていないし、金銭的にも私の事情的にもどうしようもない――という、いつもの結論に至る。

ディースが席を立ち、デザートを持ってきた。


「今日はフルコースね」

「本来は毎日この倍以上の品数をご提供するべきなのですが……私の節約術が足りず、申し訳ありません」

「いやいや、そこまで要求してないから」


ディースは、私みたいな何もしていない魔王族にも、ちゃんと王としての生活を送らせようと頑張ってくれている。

すごくありがたい反面、少し距離を感じる時もある。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

「この後、何か手伝うことはある?」

「いえ、食器を片づければ終わりですので、ノワエ様はお休みの準備をなさってください」

「わかったわ」


台所は、従者であるディースの縄張りだ。

私が使うこともあるけれど、無理に手伝って荒らしてしまうのは避けたいので、素直に従って自室に戻る。

いつもはディース任せだけど、今日は自分で掃除したからか、空気がいつもより澄んでいる気がする。気のせいでも、そう思えるなら十分だ。


本棚から一冊の本を取り出す。

この部屋にある本はどれもお気に入りで、何度も読んでいるうちに内容どころか文章まで覚えてしまっている。

それでも、本を読むのは楽しい。

しばらく没頭していると、大きな欠伸とともに眠気が襲ってきた。

ああ言っていたが、ディースはまだ働いているのだろう。

手伝いたい気持ちもあるけれど、この眠気に抗うのは難しそうだ。早々に諦めて、あとをディースに託す。

ベッドに潜ると、早起きに掃除にと体力を使ったせいか、すぐに意識を手放した……。

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