2-2 幻の水晶獣を追って
「ノワエちゃん、私はこの後、ここに座っていないといけないから」
姉さんは面倒くさそうに、荘厳な王座へ腰を下ろした。
下着姿のままだというのに――まるで王座の方が姉さんに合わせて形を変えたかのように、不思議と様になる。
背もたれの縁に片肘を預け、足を組んだままこちらを見つめるその姿は、気だるさの中に揺るぎない威圧感を漂わせていた。
魔王には謁見の間に座っていなければならない時間というものが存在する。
刃向う者を迎え撃つための重要な仕事だといわれているけれども、本当のところ、この時間の意味は誰にもわからない。ただ大昔からそう決まっているのだ。
「本当に暇なのよねー。なんで魔王ってこんな時間が必要なのかしら」
「それには完全に同意します」
まぁ、城を持たない私は、この時間とは一切縁はないのだが。
「じゃあ、あとはよろしくねー」
姉さんがひらひらと手を振る。
「わかりました。終わったらまた呼びますね」
謁見の間を後にする。
廊下ですれ違う淫魔たちは、際どい服を身にまとい、これ見よがしに胸を揺らし、お尻を弾ませている。
淫魔族は総じて戦闘能力が低い。
そのため性技を極めて相手を骨抜きにすることで、"力こそすべて"の魔界を生き延びてきた。
彼女たちの魅了の魔法は独特で、あてられると魔力や種族の差を問わず、気持ちが昂ぶってくる。たとえそれが、生死をかけた戦いの最中であってもだ。
その能力を最大限に生かすため、彼女たちは自分の体の魅力を、最も映える形で際立たせる装いを選ぶ。
ある者は、歩くたびに揺れ動くお尻が美しく見えるように。
ある者は、少し余分な肉のついた柔らかな太ももが、より魅力的に見えるように。
ある者は、低い身長を生かして幼子のように見えるように。
生き残るために必要な進化をした結果として、淫魔族は性に関して大っぴらで、貞操観念は薄く、楽天的な者が多い。
「お兄さん、今晩の宿と相手は決まってるの?」
「おじさ~ん。待ったぁ~?」
「ほらほら、そんな荷物なんて置いて、私と気持ちいいことしましょうよ」
城を出て城下町に足を踏み入れると、まだ昼にもなっていないというのに、すでにその手のお店の客引きの声があちらこちらから聞こえてきた。
色欲領の町はどこも、そういった目的で各地から魔族が集まってくるため、朝でも昼でもそれなりの人数が店に入っていく。
夜になれば、その数は何倍にも膨れ上がる。
(さっさと抜けましょう)
綺麗に舗装された石畳を足早に進む。
胸元を強調した服の女が腕を絡めようとしたり、三人一組で取り囲んで耳元に甘い言葉を囁いてきたり……。色欲領らしい、執拗なまでの誘惑が次々と私を襲うが、姉さんで満足している私は、それらを受け流す術を自然と身につけている。
甘美な誘惑を振り切った私は、どこかやる気のない、でもお誘いだけはしつこい門番をあしらいながら手続きを済ませ、町の喧騒を背に外へと足を踏み出す。
見渡すかぎり何もない平原の向こう、十キロぐらい離れているだろうか、陽炎に揺れる空の中に、次の町の尖塔がかすかに浮かんでいた。
地面はすでに地平線の向こうに沈んでいて、塔の上部だけが、まるで空に刺さっているように見える。
水晶獣が出たとされる場所は、あの町からさらに山手の方へ、二、三時間歩いたところに先にある、別の町の森の中だ。
日差しが強い中、まだ何時間も歩かなければならいのは億劫だが、歩を進めなければ何も始まらない。私は覚悟を決めて、魔族が長い年月をかけて踏み固めた土の道を進む。
すぐに足の裏が熱を持ち始め、額から汗が噴き出してくる。
(荷物を軽くしておいて正解だったわね……)
たまにすれ違う行商人たちが、馬に重そうな荷を運ばせているのを見て、そう思う。
心地の良い風が吹くたび、足元の柔らかな草が揺れ、そこに住む虫の羽音と草擦れの音が混ざって耳に届く。
足元の土は乾いていて、踏みしめるたびに細かな砂が舞い上がる。
日差しは強いが、色欲領は雨さえ降らなければ空気が乾燥しているから、蒸し暑さは感じない。それだけが救いだ。
見渡すかぎり同じような草原が続いていて、目に映るものはほとんど変わらない。
私は何も考えずにただ黙々と歩き続ける。何かを考えると途端に歩くのが嫌になるからだ。
二時間ほど歩いてようやく町に着き、昼ご飯を取って少し休憩したあと、目的地の町を目指す。
また同じように暑さに耐えながら道を歩き続けるけど、今度は森や山が近づいてきて、日も沈み始めている。
先ほどは単調な景色に精神をすり減らされたけど、景色が変わるぶん、幾分か気持ちよく歩けた。
私自身、長時間歩くのは得意な方だけれども、それでも脚がくたくたになってきた頃、ようやく目的地の町にたどり着いた。
色欲領では、ただ突っ立っているだけで、お喋りな淫魔たちが次々と話しかけてくる。そのおかげで情報収集はすぐに終わる。
水晶獣の脅威について、町の淫魔たちの反応は予想通りというか、「まぁ、何とかなるでしょ」といった楽観的なものばかりで、目新しい情報は得られず、唯一手に入ったのは逃げ帰ってきた部隊の痴情沙汰くらいだ。
この話はまだ広くは知られていないのか、冒険者や傭兵が水晶獣を倒しに来たという情報もなかった。
彼らがいると私が動きにくくなるから、いないのはありがたい。
城からはだいぶ離れた町だが、ここも立派に色欲領。とにかく客引きが多い。
その中で、客引きをしていない、わりとまともそうな酒場で少し早めの夕食をいただいてから、町の外へ出る。
もうすぐ日が完全に沈み、闇の魔力を多く纏う魔物が強くなる時間帯だ。
普通、この時間に町の外を出歩く者は少ないが、最強無敵の私には関係ない。臆することなく森の中に入る。
町の周囲には昼の暑さが残っていたが、森の中は上着が欲しくなるほどひんやりとしている。
ここまで気温が低いと、さすがに気味が悪い。
「結構いるわね……」
探知魔法を使い、一定以上の魔力を持つ存在に絞って周囲を調べる。
頭の中には、この森全体を俯瞰したような地図が描かれ、魔物と思われる強い魔力の発生源が浮かび上がる。
探知魔法には、範囲を広げるほど詳細な情報が拾えなくなるという欠点がある。
魔力の大小や、どの属性を多く含んでいるかといった大まかな情報は把握できるが、対象の詳細を知るには近づく必要がある。
そのため、ピンポイントで「これが水晶獣だ」と断定できる情報はない。
「とりあえず、片っ端から片付けていくか」
仮にその魔力の発生源が水晶獣でなくても、強い魔物の数を減らしておくのは無駄ではない。
そうして一時間ほど、探知した魔物を消し炭に変えながら森を回っていると、ついに水晶獣を肉眼で捉える。
三メートルほどの高さの岩に乗り、まるで私を待ち構えていたかのように、こちらを睨んでいる。
体長二メートル近い、狼のような生き物。
獲物を食い破るために突き出た、大きな二本の牙。
一本一本が水晶でできた体毛は月明かりに照らされて星のように輝いている。
森に降り注ぐわずかな月の光を受けて、自分こそが王だと言わんばかりに、静かに、どっしりと構えている。
その幻想的な姿から、水晶獣は神の使いだと語り継がれている。
だが、今目の前にいるのは、神の皮を被った魔物だ。
魔物はどう転んでも地獄への案内人。崇めたところで、もたらされるのは死だけだ。
(さてと、どう戦いましょうか)
水晶を身にまとう生物は、たいていその重さのせいで鈍足になる。
だが、水晶獣に関しては別。
機動力、攻撃力、防御力――すべてにおいて死角がない、厄介な相手だ。
油断していれば、私だってあっという間にやられ……はしないけど、かすり傷くらいは負うかもしれない。
水晶獣がこちらを睨み、低いうなり声を上げながら距離を詰めてくる。
首の周りの毛が逆立ち、ライオンのたてがみのようになる。
(なんか、嫌な予感がするわね……)
何が、とは言えないが、いくら好戦的な魔物とはいえ、慎重な性格の水晶獣がこうも堂々としているのは違和感がある。
じりじりと私の周囲を回りながら隙を伺う水晶獣。
魔力を開放できるのなら、距離を詰めずとも一瞬で終わらせられるけれども、どこで誰が見ているかわからない。
水晶獣を倒せるか倒せないか、その境界線の力で戦わなければならない。
一応、この辺り一帯に魔族がいないことは確認済みだし、探知を妨害する魔法や幻影魔法も使って、私の力が推し量れないようにしている。
それでも、いつも念には念を入れて対処している。
私の存在が公になると困るのは私ではなく、それを隠すよう命じられているディースと姉さんなのだから。
水晶獣がじりじりと間合いを詰めてくる。
少し重心を後ろに引き、いつでも飛び掛かれる態勢をとる。
背筋がざわつく。
肌が、空気の震えを感じ取る。
本能が警鐘を鳴らす。
睨みあっていた水晶獣が地面を蹴った、その刹那――
「あぶなっ!」
真後ろから、別の何かが一直線に飛んできた。
私は真横に跳ねて、間一髪それを避ける。
「っと!」
体勢を崩した私に、睨み合っていた水晶獣が飛び込んでくる。
避けるのは無理なので、魔法使いの基礎基本である防御魔法――魔法防壁で攻撃を受け止める。
目の一センチ手前で爪が止まる。魔法防壁は透明だから、こういう瞬間はとてもスリリングだ。
攻撃を防がれた水晶獣は、大きく跳び退き、再び距離を取った。
「ふぃ~……まさか、二体いるとは思わなかったわ」
そのうえ、上手く気配を消したものだ。
私を挟むように陣取る二体に対して、内心で称賛を送る。
(ってか、自分の魔法に自分が苦しめられてどうするのよ)
再び、連携して飛びかかってきた二体をいなしながら、自分にツッコミを入れる。
私が使った探知妨害の魔法のせいで、水晶獣の位置や動き、魔力の流れを正確に把握できなくなっている。
(とはいえ、目視に頼るのもちょっと辛い状況よねー)
いくら最強の魔王と言っても、私の目は前にしか付いていない。
前後から挟まれれば、どうしてもどちらか一方しか詳細に追えない。
もし三体目が出てきたら、さすがに怪我くらいはするかもしれない。
(ん~……)
水晶獣の息の合った連携攻撃をいなしながら、力を解放せずに切り抜ける妙案がないか考える。
「うん、ない!」
困ったときは物理に頼るしかない。誰にも見られていないとたかをくくり、私は剣を抜く。
前から飛びかかってきた水晶獣を、魔力を乗せず、腕力だけで斬り伏せる。
さすがに水晶の体毛は堅かったが、そこさえ超えてしまえば、あとは柔らかい肉だ。
綺麗に真っ二つになった水晶獣は、おびただしい量の血をまき散らしながら、私の左右に飛び散り、霧となり、魔力に還って消えていく。
千分の一秒ほど遅れて、もう一匹の攻撃がやってくる。
私はそれを避け、水晶獣は再び私に向き直る。
動物なら、仲間がやられた時点で逃げる。
だが魔物は、恐怖を感じることはない。
あるのは、生き物に対する憎悪だけ。臆することなく距離を詰めてくる。
また同じような状況になり、同じように一閃。
手ごたえは最初の水晶部分だけ。
肉まで届けば、負荷もなく、真っ二つにできた。
「ふぅ~」
私、腕力にはあまり自信がないから、魔力を乗せずに真っ向から斬るのはちょっと心配だったけれども、意外とあっさり斬り伏せられた。
探知魔法で探知できるのは魔力だけなので、腕力が探知されることはない。
とはいえ、目視されれば、水晶を叩き斬る腕力を持っていることはすぐにバレる。
もちろん、水晶を剣で斬れる魔族なんて、そうそういるものじゃない。
卓越した剣の技量と、それに見合う腕力が必要だ。
「さてと、あと他には……」
自分で張った探知妨害の魔法を解除し、代わりに辺り一帯に探知魔法を展開する。
まだそれなりの強さの魔物が、数体残っているようだ。
魔物は放っておけば、魔力を糧にして永遠に成長するから、厄介な相手になる前に倒してしまった方がいい。
夜も遅く、そろそろ眠たくなってくる時間だが、いつも姉さんから多めに報酬をもらっているし、もう少し働かないとバチが当たりそうだ。
森は静かだった。
風もなく、木々は黙したまま、ただ月の光だけが枝の隙間から差し込んでいる。
さきほどまでの戦闘が嘘のように、空気は澄み切っていた。
(さてと、やるかぁ~)
大きな欠伸をしながら、魔物の魔力に誘われるように、私は暗く深い森の奥へと歩みを進めた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます