1-1 vs 名も知れぬ勇者
「さて、勇者一行はそろそろ到着するかしら」
私が座る玉座は、まるで誰か別の偉大な人物のために用意されたかのように、私には少し、いや、かなり大きすぎる。
足を組んで座ってみても背もたれに背中が届かず、座っているというより玉座に埋もれているような気分だ。
けれど、そんな些細な違和感も今はどうでもいいこと。
なぜなら決戦の時が近づいているのだから。
城は、かつては威厳に満ちていたのだろうけど、今では壁の漆喰は剥がれ、天井の梁は軋み、風が吹けば窓の隙間から笛のような音が鳴る始末。
まるで物語の終わりを迎えた舞台のような場所。そんな荒れ果てた城も今夜は重要な仕事を持つのだ。
蝋燭の炎が壁に揺らめく影を映す。私は肘掛けに指を添えながら、訪れる者たちを待っていた。
そして、ついにその音が聞こえてきた。
重々しく、無遠慮に、まるで崩れかけた石の山を踏み越えるだけのことだと言わんばかりに、足音が荒れた回廊を響かせて近づいてくる。なんて無粋な足音なのだと思うけれども、それこそが私の待ち望んだ音だ。
やがて、闇の帳を裂くようにして四人の影が姿を現した。
彼らの瞳は鋭く、衣の裾には旅の埃がついている。長い物語の果てに辿り着いた英雄たちに相応しい。
さて、舞台は整った。私はおもむろに立ち上がり、歓迎の言葉を城に響かせる。
「魔王城へようこそ。よく来たわね、勇者のみなさん」
「お前が魔王か!?」
「ええ、そうよ。私の名前は魔王ノワエ。よろしくね」
「くそっ、少女の姿なんてしやがって……」
「あらあら、可愛い勇者さんね。少女の姿だから斬れないだなんて……。歴代の勇者が泣いているわよ」
「勇者、躊躇っちゃダメ。あれは私たちを欺くための姿。本当の姿はもっと見にくい獣よ」
「……ふふっ。その女は物を見る力があるようね。とても楽しみだわ」
この少女の姿は変身しているわけでもなんでもなく、本当の姿なんだけどな。と思いつつも適当に合わせておく。
この人間たちから見ても体の小さい私が、魔王と名乗っても信じられない気持ちも良くわかる。
「さて、さっそくだけど、あなたたちにとっての最後の戦いを始めましょうか」
背後には崩れかけた石壁、天井のところどころに穴が空き、星々がちらちらと覗いている。風が吹けば、どこかの窓枠が軋み、まるでこの城自体がこの戦いに緊張しているかのようだ。
そんな舞台で、私は静かに戦闘態勢を取る。
対するは、いかにも“勇者一行”と呼ぶにふさわしい四人組。
先頭に立つのは剣を構えた若き勇者。顔つきは精悍で、目は正義と使命感で燃え滾っている。
彼の隣には傷だらけの戦士が並ぶ。斧を握る手は太く、いくつもの戦場をその腕で乗り切ってきた自身なのか、この戦いも勝利を信じて疑わないようだ。
後方には、長い髭を蓄える老魔法使いが密かに魔法の詠唱を始めている。その深く刻まれたしわの数以上に魔法の研鑽をしてきたのだろう。
そして最後に、私を見つめる青い宝石のような、吸い込まれるような不思議で美しい瞳を持つ僧侶。
うん、なかなかバランスの取れたパーティ構成だ。
「行くぞ、戦士!!」
「おう!!」
勇者が右から、戦士が左から、私を挟み込むように距離を詰めてくる。どちらから捌こうかしら、と考えていたら、正面から大きな炎の玉が飛んできた。なかなか物騒な挨拶だ。
真正面に魔法使いを置いて、しかも戦士でカバーもせずに攻撃してくるなんて。肝が据わっているのか、ただの無謀か。
炎の玉を軽くいなし、勇者と戦士の間をすり抜けて魔法使いに肉薄しようとしたところで、
「させませんっ!」
僧侶の防御魔法が、私の拳を遮る。なかなか素早い僧侶だ。人間にしては、だが。
一度距離を取って仕切り直す。
数で勝る彼らは、息の合った動きでじりじりと詰めてくる。
舞台の幕が上がったばかりのような緊張感に加えて、これまでの戦いで培ってきた自分たちの戦法への確かな自信も滲んでいる。
「魔王、お前を打ち倒し、祖国に平和をもたらす!!」
「ふふっ。あっはっはっはっはっ!! 威勢だけは一人前ね。来なさい勇者、四人そろって地獄に落としてあげるわ!!」
とは言っても、本当に地獄に落とすわけにはいかないのだが。
今度は勇者が単独で飛び込んでくる。防御魔法付きだから一撃必殺を狙って……ではなく、本命は戦士の攻撃だろうな。
左に目を向けると、案の定、戦士が飛び出してくるタイミング。せっかくだし、少し絶望を味わってもらおうかな。その方が、勝ったときの喜びも深まるだろうし。
勇者の一撃は余裕で捌けるけれど、あえて受け止めて隙を作ってあげる。戦士は斧を振りかぶり、私の頭めがけて振り下ろす。
「なにっ……!!」
斧は、硬い石に打ち付けたかのように根元から折れ飛んだ。心底驚いてくれたようだ。戦士だけでなく、他の三人も目を見開いている。なんとも人間らしい反応だ。
「アイシクルバイト……!!」
魔法使いが、私の後頭部から五メートル上の位置に氷柱を出現させてそのまま落としてくる。殺意むき出しの攻撃だが、残念ながら人間風情の魔法など、私には効かない。氷柱は私に触れた瞬間、蒸発した。
仕切り直しかと思いきや、勇者はさらに連撃を繰り出してくる。いや、防御魔法があるとはいえ、それは無茶だろ。
と思っていたら、戦士が背後に回り――
「俺の一番の特技はな、格闘技なんだ」
私を羽交い絞めにしてきた。あ、この戦士、転職組なのか。
「勇者!! 俺も貫く気持ちで剣を突き立てろ!!」
「わかった!!」
まてまて。あんたたちは全員無事に帰ってもらわないと私が困る。私を突き刺したところで死なないし、そもそも突き刺さらないが、私の方が圧倒的に強いことがバレるとこの素晴らしい雰囲気が台無しだ。
背後にいる戦士に突き刺さらないような塩梅で勇者に突き刺される、なんて高度な芸当ができるかはちょっと不安だし、万が一、「戦士まで突き刺されて死亡してしまいました」 なんて報告をしないといけないことになると本当に困る。
「そいっ」
「ぐあっ!」
考えるのが面倒になった私は、戦士の羽交い絞めを力ずくで解いて、勇者に向かって投げつけた。
「私が前に出ます!!」
倒れて重なる勇者と戦士の隙を埋めるために、僧侶が前に出てきて防御魔法を展開する。
追撃する気はなかったけれど、展開された以上は使ってあげないと。防御魔法が壊れるくらいの炎魔法をぶつけてみる。
が、弱すぎたみたいで、ヒビが入る程度だった。
「……今のは焦ったわよ、勇者」
これは本心だ。
「奇襲も効かないならば、正攻法で勝つだけだ!!」
「勇者、私たちが魔王の防御力を下げます! 魔法使いさん!」
「うむ!」
魔法使いが防御力を下げる魔法を使い、僧侶がそれに魔力を乗せて効果を増大させる。この僧侶、なかなか芸達者のようだ。会う場所が違えば、楽しく魔法談議でもできたかもしれない。
「ぐっ、小癪な真似を……」
私は食らったふりをして、この戦いを終わりに持っていくことにした。
「効いています!! 畳みかけましょう!!」
戦士が拳を、勇者が剣を、魔法使いが風の魔法を。そして僧侶がそれらの補助を一手に引き受けて、畳みかけてくる。とても熱い展開だ。
ただ、彼らが弱すぎて、どれだけ自分の体を柔らかくしたらいいかの加減が難しい。何度か調整を誤って攻撃をはじき返してしまった。相手に合わせて自動で防御力を調整してくれる魔法でも開発しようかな。
何度かの攻防を経て、勇者の薙ぎ払いに合わせて後方へ吹き飛び、適当に転げながら、あらかじめ掘っておいた深さ三百メートルほどの穴へと落ちる。
もちろん、ただ落ちるだけでは芸がないので、端を掴んでギリギリ耐えている体勢を取る。少しばかり不自然な動きだったけれど、たぶん誰も気づいていないはずだ。
「ぐっ……」
見下ろされる形になるのは癪だが、この勇者がどう動くか、ちょっと楽しみでもある。ここで彼の“人となり”がよくわかるからだ。
「魔王、これで終わりだな」
容赦なく剣を向けてくる。この勇者は、私を突き落とすタイプのようだ。
「勇者よ、私を倒したところで世界から闇は無くならないわ。第二、第三の魔王が現れ、その時こそ世界を征服する。つかの間の平和を……まあ、好きに享受なさいな」
勇者に刺されたところで、蚊に刺されたかと思う程度の痛みしか感じない。けれどそんな反応をしてしまえば、せっかく盛り上がった最終局面が台無しになってしまう。
だから私は捨て台詞を残しながら、力尽きたふりをして、指先からそっと力を抜いてみせる。
この場において演出は命よりも重いのだ。
勇者に"やられた"――というよりも"やられてあげた"私は、自分で掘った穴を真っ逆さまに落ちる。
ひゅう、と風を切って落ちていく感覚。これ、結構好きなのよね。重力に身を任せるのって案外気持ちいいものなのだ。……まぁ、地面に激突したらさすがに痛いので、浮遊魔法でふわりと着地するけれど。
「さてと、後は勇者ご一行がちゃんと帰れるかのチェックね」
衣服についた埃を払って、ついでに演出用に付けさせた傷もささっと治しておく。すると、真横に小石が落ちてきて乾いた音を返す。誰かが穴の深さを測るために投げ込んだのだろう。
穴の底には、あらかじめ設置しておいた水晶がある。それに手をかざせば、城のあちこちに仕込んだ監視用の水晶の映像が映し出される。勇者たちはどんな反応をしているのか楽しみで仕方がない。
「やりましたね、勇者!」
「ああ、首を取れなかったのは残念だが」
「この高さから落ちれば、魔王といえどもひとたまりもないじゃろう」
「俺の斧が折れたときは流石に狼狽えたが、何とかなるもんだな」
「ここにいる全員が一致団結したからこそだ。みんな、ここまでありがとう」
冒険の最後を飾るに相応しい雰囲気になっている。
そんなことを思いながら、事前に調べておいた彼らの故郷に繋がる門を開いてあげる。勇者たちを元の世界に帰すのも私の仕事なのだ。
「これは……」
「おい、向こうに俺たちの世界が見える! 俺たちは帰れるんだ!!」
「はい! 凱旋と行きましょう!」
静かに幕が下りていく……と思っていたら、魔法使いが私からの手土産に気づいてくれたようだ。
「どうしたんだ、魔法使い?」
「いや、魔王の首を取れんかったから、これを証にしようかな。と思ったんじゃ」
彼が手に取ったのは、玉座にそれっぽく置いておいた真っ黒な宝玉が付いた悪趣味で薄汚い杖。人体には影響のない闇のオーラを発していて、見た目だけは魔王が使っていそうな杖だ。
この杖は、私の首をあげるわけにもいかないので、魔王を倒した証として持って帰ってもらうために用意したものだ。
「そうだな。手ぶらってわけにもいかないし、これほど闇のオーラが出ていれば陛下も認めてくださるだろう」
よしよし、素直で良い勇者だ。
この杖、見やすい位置に置いてあるのでほとんどの勇者は持って帰ってくれる。けれど、周りが見えていないのかそれとも興味がないのかたまに放置されることもある。
一本一本、その世界に害が無いように手作りしているから、放置されるとちょっと悲しい。
「よし、帰ろう、俺たちの世界に!!」
勇者一行が門をくぐり、元の世界へと帰っていく。それを見届けてから門を閉じ、探知魔法を使って辺りに人間が残っていないことを確認して、ようやく私も帰路につく。
浮遊魔法で穴の上まで飛べれば楽なんだけど、ここは魔界。特殊な環境のせいで、魔法で飛ぶのはかなり難しい。私も一分くらいしか浮いていられないし、何より疲れるから使いたくない。
だから、この落下用の穴には、私の住処である館のそばに続く横穴も掘ってある。もちろん、穴の中だから日の光なんて入らないので足元も見えないほど真っ暗。でも、私には光なんて必要ない。闇の中でも、ちゃんと見える眼を持っているから。
歩きながら、今日の仕事が完遂できているかを再確認する。勇者にきっちり倒されたし、証も持って帰ったし、大きな怪我もさせてないし、帰還座標も間違ってないし、付近に人間の気配も魔族の気配もない。
よし、我ながら完璧な仕事だ。
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