第6話 忙しくなる日々

 ◆


 吸血鬼騒ぎから、一週間ほどが経った。

 オルシアはその間、学園に通って来ず、アルフォンスも姿を見せなかった。

 授業が終わり、放課後の修行がないルナは、自分だけの時間を満喫した。


(まずは図書室だね。やっぱり本、本を読んでだけ過ごしたい……)


 ルナは並木翡翠ナミキヒスイであったときから、良く本を読んでいた。本を買うほどの金銭の余裕はなかったから、学校や公共の図書館で本を読んでいた。

 実を言うと、この学園に入ってから、初めての図書室である。行きたい行きたいとは思っていたが、日々の生活(主にアルフォンスの修行)によって、それは叶わなかった。


「……ここは、どこかな」


 問題は、図書室への道を知らないことだ。

 今まではオルシアがずっと先導してくれていたため、道に迷うことはなかった。


「うう~、オルシアのいるうちに道を覚えておくべきだった……」


 吸血鬼騒ぎ以来、オルシアと会話する機会がなかった。彼女自身は無事なはずだが、家族たちに多数の死傷者が出たのだ。屋敷自体も荒れているから、その片付けもあるだろう。


(体調は良くしたけど……、少し心配だな)


 ルナはオルシアの体調を治すために、何度か治療を試みていた。

 度々、彼女は突然の不調に襲われることがあった。そのたびに治療し、オルシアは元気を取り戻していたが、完治には至っていない。

 変身して時間をかけて治療をすれば、その原因がわかるかもしれないとは思っていた。が、変身して姿を現すことは、リスクがある。


(魔法を……魔術を使える世界で、正体を隠す必要ないと思ってたのに、結局、こうなるんだなぁ……)


 長い人気ヒトケのない廊下をひとりで歩いていると、色々考えさせられる。今まではそういう時間も少なかったから、思い出さずに済んでいたことだ。


(救えたんだよね……今度は。そうだといいな……)


 廊下の窓を眺めると、中庭が見える。そこには一本の大きなトネリコの木がソビえている。そこに一羽の鷹が留まっており、ルナを見ていた。ルナが窓を開けると、その縁までやってくる。


「ルナさま、ようやく見つけました」


「キューリちゃん、アル先生からの使い?」


 キューリと呼ばれた鷹は、アルフォンスの使い魔である。アルフォンスが忙しいときは、彼女がルナの見張りについていた。

 アルフォンスは彼女に名前を与えていなかったため、ルナが勝手に名前を付けた。彼女は胡瓜キュウリに似た植物のつける実が好きらしい。理由は蛇の形に似ているからだそうだ。

 ルナが魔術で出してあげると、喜んで食べるので、会うたびに餌付けしていた。ルナはキューリが胡瓜を食べる間、その羽毛を撫でさせてもらう。背中は硬め、腹はフワフワで、ルナはその感触を楽しんだ。


「ハッ⁉」


 キューリが仕事を思い出して、胡瓜を飲み込んだ。


「こんなことしてる場合じゃないんですよ! アルフォンスさまがお呼びです。学園長室まで来てください」


「学園長室? アル先生来てるんだ。行きたいのはやまやまなんだけど、道に迷っちゃって……」


 キューリが目を細めた。表情筋がないのに、呆れているのはわかる。


「ついて来てください。案内します」


 キューリは器用に飛び、ルナを先導した。


(アル先生にバレてないと思うけど……。とにかく、動揺しないようにしよう)


 ルナはグリオンを助けたとき、変身状態であったから、顔は見られていないはずだ。なんだか恥ずかしいことを言われた気がするが、とにかく表情に出さないように気を付けるため、ルナは自分の頬を強く撫で、筋肉の強張コワバりを取る。

 見慣れた廊下に近付き、学園長室の前まで来ると、キューリはどこかに飛んで行ってしまう。学園長室の扉を叩くと、「お入り」とオド学園長の声がした。


「失礼します」


 学園長室は相変わらず落ち着いた雰囲気である。中には三人の大人が待っていた。

 オド学園長は言わずもがな、アルフォンスがおり、そして、オルシアの父コルブレルがいた。ルナとは顔を合わせたことがないということになっているので、目が合ったが目礼だけで済ます。


「お呼びにより貴重な時間を使って参りました。何か御用でしょうか」


 ルナが嫌味っぽく言うと、オドは嫌そうな顔をする。


「アルフォンスが移ったのかい。……修行が上手くいっているようで何よりだよ」


 コルブレルが立ち上がり、ルナを見る。コルブレルは小太りの男だったが、ここ数日でかなり痩せたようである。屋敷で見たときよりも、やつれていた。


「君がルナか。娘が世話になっている。私はコルブレル・イーブンソード。オリィ……オルシアの父親だ」


 コルブレルが手を差し出してきたので、ルナは手を取った。彼はルナの手を両手で握ると、少し頭を下げた。


「ありがとう、娘の友になってくれて。君のおかげで、娘は明るくなった。前までは塞ぎ込むことも多かったのだが、今では花が咲いたように元気でいる。本当にありがとう……」


「え、ええ。えと、オルシアさんは元気ですか。もし、寝込んでいるのであれば……」


「心配には及ばないよ。少し、家で色々あってね。それで忙しくしていたのだ。もうすぐ、学園にも戻ってこれるだろう」


 ルナは知らないフリをして、胸を撫で下ろす。


「そうですか。あの、色々・・って言うのは、噂になっている、アレですか。吸血鬼が……」


 少し訊き辛そうに言ってみる。コルブレルは頷いた。


「うむ。そうなのだ。それで実は、君にお願いがあって来たのだ」


「お願いですか……」


 ルナは黙っているアルフォンスをちらりと見やる。アルフォンスは知らぬ顔で茶を飲んでいる。


「オリィはこの学園の寮に入りたいと言っているのだ。だが、私はどうしても決心がつかなくてね……」


 オドが話を続ける。


「この学園は無数の高度な結界で守られている。寮に入った方が安全だし、勉強の時間も多く取れるって言っているんだけどね」


 コルブレルは娘可愛さに、学園での生活を案じているのだ。ルナには覚えのない親子関係だが、もし、両親が生きていたなら、このような親の姿を見ることになったのだろうかと考えた。


「それで、お願いというのは?」


「ああ、ルナ。君には娘の世話をお願いしたいのだ。同じ部屋に入るし、歳の頃も近いから……」


「嫌です」


 ルナは食い気味にハッキリと言う。

 コルブレルはその返事に面食らったようで、言葉を詰まらせる。


「も、もちろん、無料タダでとは言わない。研究したいことがあれば資金援助もできるし、君は特待生だ。将来は……」


「あの、いえ、そういうことを言っているのではなくて。私はあなたの家の使用人ではありません。それに娘さんの世話は必要がありません。あなたは本当に、オルシアの父親なんですか?」


 ルナはなぜか無性に腹が立ってきた。


「娘の友人を買収して見張らせようとするとか、正気なんですか? 貴族だから許されると思っているんですか。あなたの娘は、今、あなたの手から離れようとしているんです。そんなに人形にしておきたいのなら、鍵付きの棚にでも閉じ込めておけばいいでしょ」


 矢継ぎ早の批判に、コルブレルは口をあんぐり開ける。さすがにオドがルナを止めた。


「ルナ。そこまでにしなよ。コルブレルは本当に娘を心配して、こういう風に言っているんだ」


 ルナは鼻を鳴らす。


「そうですか。では、私からもお願いします。今後一切、私はオルシアには関わりません。何かあって、私のせいにされても困ります。部屋も別にしてください。ハァ……、頭おかしくなりそう。もう帰っていいですか。勉強したいので」


 言い過ぎてしまった気がするが、もう遅い。感情を抑えられない。昔のルナならば、これがどんな感情なのか理解できなかっただろうが、今は違う。

 嫉妬だ。

 暖かい家庭、優しい父親、恵まれた環境。ルナにはなかったものだ。そのことに気が付くと、自己嫌悪で頭が痛くなる。走り去って、何かを壊したくなる。

 そのルナを引き留めたのは、呆然としていたコルブレルだった。

 彼は両膝を床につき、両腕を胸の前で交差させた。それは命懸けのときにするときに行うジェスチャーである。首を差し出し、死を覚悟して懇願するものだ。


「待って欲しい……、すまない! 申し訳ない! 愚かな私を許してほしい! 私はオリィを大切に思っている。だが、妻が消え、軍の任務で家にいることの少ない私は、どうすれば良いのかわからないのだ! 時々、こうやって暴走してしまう……。どうか、娘の友でいてやってくれ。どうか、お願いだ……」


 さすがのルナも大の男がそんな風に懇願するのは憐れに思えた。昔であれば何を言われようとも、一度口にしたことを取り消すなど、意地を張ってしなかっただろうが、ルナももう大人である。ここで意地を張るなど、無意味でしかない。


「……最初からそう言えば良かったんじゃないですか。寮に入れるから、娘の友達でいてくれ。それだけで済む話でしょう」


 娘と同じくらいの年頃に説教をされたコルブレルだが、不快に思うことなくその言葉に頷くばかりである。オルシアの父親だなと、ルナは感じた。

 大きく息をつく。


「オルシアがどうして急いで魔術士になりたいか知っていますか」


 ルナに問われたコルブレルは、首を横に振った。


「あの子はいつも言っていますよ。すぐに魔術士になって、父親の手伝いをするのだと。そうすればいつも一緒にいられるし、危険な仕事も少しは楽になるはずだって。体の調子が悪いのに、しっかり勉強して……。しっかりとした覚悟を持っています。その父親のあなたが、そんな覚悟でどうするんですか。さぁ、立って! ちゃんとしてください!」


 ルナがイライラとして言うので、コルブレルは急いで立ち上がった。


「発言を撤回します。オルシアは私と同じ部屋にしてください。いいですか、オド学園長」


「あ、ああ、もちろんだ。それでいいね、コルブレル」


「は、はい」


 結局のところ、オルシアは寮に入ることになる。その結論に至るまでに、どうしてこんなに時間がかかるのかと、ルナは嘆息タンソクした。


「じゃ、話がマトまったところで、私はこれで失礼します」


 ルナが部屋を出ようとするとが、アルフォンスに止められる。


「待ちなさい。まだ、話は終わっていません」


 ルナはぎこちなく振り向いた。


「なんでしょうか」


「先日の吸血鬼の襲撃は、魔王軍に関わることだったのです。イーブンソード卿が変なことを言い出すので、話がおかしな方に向かいましたが、オルシア君にも関わりのある話なのですよ」


「オルシアに?」


 ルナはアルフォンスと目が合うと、何となく気恥ずかしくて目を逸らしてしまった。怪しまれただろうか。

 コルブレルが話し手を引き継ぐ。


「吸血鬼はオルシアを狙って、我が家を襲ったのだ。それだけならば、まだ良かったのだが、それが魔王軍による作戦で、新たなる吸血鬼の王ヴァンパイアロードを生み出す目的だったようなのだよ」


 そう言われてもルナにはピンと来ない。


「……そうですか」


 訊き返すのも面倒になってきたので、ルナは頷きもしない。アルフォンスは察して、説明する。


「ルナ君、吸血鬼がどうやって生まれるか知っていますか?」


「吸血鬼の王に噛まれた人間が吸血鬼になるんですよね?」


 ルナの知識ではその程度しか知らない。


「いいえ、違います。そうやって生み出されるのは吸血鬼の従徒レッサーヴァンパイアと呼ばれる、吸血鬼の紛い物マガイモノ、偽物です」


「偽物?」


「はい。世間一般で吸血鬼と言えば、数の多く出会うことの多い『吸血鬼の従徒』のことを指しますが、本物の吸血鬼とは、『吸血鬼の王』のことを指すのです。我々のような軍人が、従徒とも王とも言わずに吸血鬼と呼べば、それは吸血鬼の王のことを指します。では、吸血鬼の王はどのようにして生まれると思いますか」


「……なんか特別な人の血を吸った従徒が王になるとか?」


 なんとなく蜂のロイヤルゼリーを思い出して言ってみる。確か、群れを作る蜂は、ロイヤルゼリーを与えられた幼虫が、女王蜂として成長すると聞いたような気がする。


「違います。吸血鬼の王は生まれながらにしての吸血鬼です。何かを特別なことをしても、紛い物は紛い物。従徒が王になることはありえません。では、どうやって王は生まれるのか」


授業じみてきたなとルナは思った。


「吸血鬼の王は、エルフの死体を素材して造られる、人造人間ホムンクルスの一種なのです」


そう言われても、とルナが無反応なので、アルフォンスは溜息をつく。


「基礎知識もしっかりと教えなければいけませんねぇ」


「すみませんね、無学で。要点を教えてくださいませんか」


ムカつきながら、話を進めさせる。


「つまり、イーブンソード家はエルフの血筋であり、吸血鬼はその血を求めているということです」


ルナはコルブレルを見た。この小太りのおっさんは、どう見てもエルフには見えない。エルフだと思いたくない。


「なんだかとても失礼な視線を向けられている気がするのだが……。私は婿養子だから、イーブンソードの直系ではないのだ。今のイーブンソード家には、直系はオリィが唯一なのだよ」


「私はエルフを見たことがないので、的外れかも知れませんが、オルシアもエルフには見えないのですが」


ルナのイメージでは、エルフは金髪碧眼ヘキガンで、絵画から飛び出してきたようなスラリと足の長い美男美女だ。

オルシアは、背は高めで幸薄げな美少女だが、絵に描いたような、とは言い難い。


「イーブンソード家にエルフの血が混ざったのは、もう十代以上前の話だからね。我々、メネル族と見た目はもうほとんど変わりはないのだ」


 コルブレルが言う。


「そうですか。でも、どうしてそんな血の薄いオルシアを狙うんです? 純血のエルフを狙った方が確実では?」


「そうできない理由があるのだ。エルフ族は既に絶滅していると言っても過言ではない。私は各地を軍務で回っていたが、一度も会ったことがないほど、彼らは希少なのだ。オド学園長ならば、会ったことはあるかも知れないが……」


 コルブレルがオドを見た。


「まぁ、ひとりだけだね。この街に来たことがあるよ。あたしが学園の魔導師をやっていたときだから、もう三十年以上前の話さ」


 ルナは話がひと段落したのを悟ると、彼らが自分に何をさせたいのか察した。


「つまり、私にオルシアを守れと言うことですか」


 コルブレルが慌てて否定する。


「いや、いやいやいや、違うのだ。そこまでは言わない。もし、オリィの周りに怪しい人物が現れたりしたら、フォルスター卿でもオド学園長でも構わない。知らせてほしいのだ」


「これからも、襲撃があると考えているのですか」


「そうです」


 ルナの問いに答えたのは、アルフォンスである。


「魔王軍は戦力増強に努めている段階のようです。しばらくは大規模な襲撃はないでしょう。しかし、潜入工作や、散発的な戦闘は、これからも行われると考えてください。そのときに備え、ルナ君も戦力になれるように鍛え上げます」


 ルナは顔をシカめる。図書室に通える日は来るのだろうか。ルナが肩を落とすと、コルブレルが声をかける。


「もちろん、君たちが戦わなくても済むように、私たち軍人も尽力しよう。君の言葉で目が覚めたよ。私は今の任務を降りる。オルシアと過ごせる時間を作ることにするよ」


 この言葉に反応したのはアルフォンスだ。


「本気ですか。そんなことをすれば悪くすれば懲戒処分に……」


「かもしれんな。だが、娘を放って置くこと強いる軍になどはいられん。辞めることになっても、この話は通すつもりだ」


 コルブレルの任務は、国内外の凶悪な魔物を被害が出る前に探し出し、その動向を探ることになる。国家の治安を守る重要な任務だ。特にコルブレルの探知魔術は特殊で、そう簡単に辞めさせるわけにはいかないというのが軍の現状である。

 大人たちの話が始まる気配を感じたルナは、扉に近付く。


「話は終わりですよね。オルシアのことは善処します」


 今度は引き留められなかったが、アルフォンスは去ろうとする背中に言う。


「明日から私も復帰します。訓練も再開するので、忘れないように」


 ルナは頷く。二人きりになるのは気まずいが、アルフォンスはルナのことを怪しんでいるわけではなさそうである。動揺しなければ問題ないと思うことにした。


 ◆


「よかった……。上手くいった……」


 戦闘服に身を包んだルナはそう呟くと、アルフォンスを見た。

 その翡翠色の瞳に射貫かれたアルフォンスは、声を忘れてしまった。

 吸血鬼であったグリオンの顔色は、まるで生きている人間のように赤みが差している。そのグリオンの体がから生えた植物は、塵となって消えてしまった。

 緑のドレスの女が手に持つ不気味な果実は、彼女が息を吹きかけると、同じように塵になり、その手には二粒の大きな種だけが残される。


「いったい、何を……」


吸血草ヴァンプウィードという植物系の魔物です。人の血を吸い、魔力で育つ恐ろしい魔物ですが、扱いを間違わなければ、毒を吸い上げ、魔力に冒された人を元に戻すことが可能です」


「ま、まさか」


 女は意識のないグリオンをやさしく地面に寝かせると、アルフォンスに視線を向ける。立ち上がると、その手にある種の内のひとつをアルフォンスに差し出した。


「これを持っていってください。必要な人がいれば、使ってください」


 アルフォンスは慎重に種を受け取る。

 吸血草はアルフォンスも知っているが、吸血鬼を元に戻すことができるなど聞いたこともないことだ。


「どうやって使えば良いのですか」


「種に自分の魔力を少しだけ送り込んで目を覚まさせ、相手の素肌に触れさせれば効果を発揮します。この子たちは私が品種改良しましたから、無闇に人を襲ったりしませんが、実を付けたらすぐにいでください。そうしないと死ぬまで力を吸い続けてしまいます。後は根で傷付いた部分を治療すれば、体調は良くなるはずです」


 アルフォンスは無言で極彩色ゴクサイシキの種を見つめ、そして、女を見やる。


「……我が友人を救っていただき、感謝の言葉もございません。美しきお方。この愚かなる身に許されるならば、貴女アナタ御名ギョメイをお聞かせください」


ウツクし……⁉)


 アルフォンスはこういうことを言いそうな人物であるが、こうやって面と向かって言われてルナは動揺する。正体がバレて揶揄カラカわれているのかと思ったが、アルフォンスの表情は真剣そのものだ。

 ドレスによる認識阻害魔術が働き、アルフォンスにはルナが絶世の美女に見えているのだと気が付いた。

 ルナはどうしようか迷った。別に正体を隠すつもりはなかったのだ。ここでルナ・ヴェルデと名乗ってしまえば、認識阻害の効果はなくなるはずだが、名乗り辛くなってしまった。


「……」


 ルナが固まってしまったのを見て、アルフォンスは彼女が不快に感じたのかと思い、何とか取り繕うとする。


「も、申し訳ございません。僕はこういうことに慣れていなくて……。ただ、お近付きになりたいと思っただけで……」


 しどろもどろになり、思春期の少年のように赤面するアルフォンスに、ルナは瞬きするするしかない。何か言おうとしたが、ここは日頃の鬱憤を晴らすところかもしれないと思い直す。もう少し様子を見よう。

 ルナは口をツグんだまま、アルフォンスを見ただけだ。それでアルフォンスはさらに早口になる。


「僕は今まで、貴女のように美しい女性に会ったことがないのです。何人にも言い寄られ、何人もの彼女らの父親が、僕を婿ムコにしようとしてきましたが、僕にはその気はなかった。僕は一生を孤独に過ごすと誓ったのです。ですが、その考えを改めます。貴女に出会い、貴女のような人と老いて往けたならば、これ以上の幸せはない。いえ、貴女は美しいだけではない。吸血鬼を人に戻すという偉業を成し遂げられた、偉大なる魔術師だ。僕も魔術士の端くれとして、貴女を尊敬する。どうか、僕と……」


 足元に倒れたグリオンが唸った。そこでアルフォンスは正気に戻る。

 ルナは意地悪そうに微笑むと、口を開いた。


「どうか、ご友人を看てやってください。名も知らぬ殿方」


 アルフォンスは自分の失態を悟る。自分の名を名乗っていないし、友が倒れているのに女を口説き落とそうとするなど、人の道のモトる。

 アルフォンスが慌ててグリオンを看た。確かに人の体に戻っているのを感じる。

 アルフォンスが屈み、ルナから視線を離した瞬間に、ルナは静かに夜空に消えた。アルフォンスがそれに気が付いたかはわからないが、とにかく追いかけてくるようなことはなかった。


(あれ? 今なんか、プロポーズされた気がする……)


 ルナは背筋に寒気を感じた。これで正体を隠すしかなくなってしまった。とっても酷い過ちを冒した気がする。


 ◆


 学園室でのコルブレルとの邂逅の次の日。授業が始まる前の朝の時間に、大きな手荷物を持ったオルシアが、ルナの寮の部屋に現れた。


「ルナちゃん!」


 オルシアがまるで花が咲いたかのように笑うので、ルナも釣られて笑顔で出迎える。

 オルシアは荷物を投げ出すと、ルナに抱き着いてきた。オルシアがしばらく経っても離れないので、ルナは彼女の背中を軽く叩いた。

 耳元で聞こえる呼吸が深い。また体調が悪くなったのかと思ったが、体に回された手の力はしっかりしている。


「オルシア? 何?」


 ルナが訊ねると、オルシアはルナの首元に顔を埋める。オルシアが鼻で吸い込んでいることに気が付く。


「待って。今、ルナちゃん成分を補充してるから」


「えぇ……」


 オルシアと過ごしているとき、ルナは何度か応急処置で魔術を使っている。


(本能的に体が楽になるところを求めてるんだろうか……)


 などと考えて受け入れていると、頭上から声が聞こえる。


「朝からお熱いね。父親は説得できたわけ?」


 イルヴァが寝癖のついた顔でベッドから見下ろしている。


「イルヴァさん! 今日からお世話になります!」


 オルシアはルナに抱き着いたまま、イルヴァを見上げた。さすがに我慢できなくなったルナは、オルシアを引き剥そうとするが、その腕が思いのほか力強くて剥せない。


「ルナちゃんがお父さまは説得してくれたんですよ。あっさり許してくださいました」


「へぇ。そういうことしなさそうなのに。意外だね。じゃあ、朝飯食べに行こう」


 イルヴァがあくび混じりに言うと、ルナたちは着替え大食堂に向かった。

 実はこうしてイルヴァと一緒に朝食を摂るのは、今日が初めてである。彼女は朝が弱く授業ギリギリの時刻まで寝ているため、朝食を摂ること自体が少なかった。

 相変わらずイルヴァは擦れ違う人全員に挨拶していく。ただ、今回はルナとオルシアがいるので、遠巻きにされている感がある。貴族であるオルシアはもちろん、ルナも同じようなものだ。

 イルヴァはそんなことは気にせずに、オルシアに色々と話して聞かせる。


「なんだか街中が騒がしくなってきたんだよ。警備の兵士が増えたし、他の街からも兵が来てるって話だよ。オルシア、父親から何か聞いてない?」


 ルナはそういうことかと思った。イルヴァは色々な人と交流し、情報を集めている。魔術士としての将来のためと本人は言っているが、ただの噂好きのような気もする。こうして一緒に朝食を摂るのも、その一環なのだ。


「すまいせん、詳しくは聞いていないです。この間の襲撃が原因だとは言ってましたけど……」


「そうだよねぇ。ルナは? お師匠から何か聞いてないの?」


「知りません。というか、私たちに話すわけがないですよ。軍務の話を」


 ルナは魔王軍に対する備えだと知っていたが、話すつもりはない。アルフォンスから口止めされているし、ルナもそんな話を広めるつもりはなかった。

 魔王軍の存在が確認されて、その襲撃があったなど学生が簡単に知れる情報ではない。


「だよね。ま、そうだろうとは思ってたけど」


 イルヴァは久しぶりの朝食ではあったが、あまり食欲はないようである。

 大食堂はビュッフェ形式になっており、好きなものを好きなだけ食べて良いとされてはいる。味はともかく、量は食べられる。が、あまり食べ過ぎると、大食堂の守護ゴーレムに摘まみ出されてしまう。

 オルシアも既に食べてきていたのか、少しの菓子と飲み物だけで、皿にいっぱいに取ったのはルナだけだった。

 またイルヴァが席に座った人物に声をかけられる。ルナたちは気にしなかったが、イルヴァは立ち止まってまで、その人に挨拶した。


「おはよ、イル。珍しいじゃん。朝飯なんて」


「ダウリ⁉ ついに姿を現したね!」


 イルヴァは少し興奮した様子で、挨拶してきた人物に近付いた。


「なになに? なんかあったの?」


 ダウリはイルヴァの様子に驚いたようだ。少し身を引いて問う。イルヴァはルナとオルシアを呼ぶと、ダウリを紹介した。


「うちの部屋の最後の住人のダウリだよ。ようやく紹介できた。ダウリ、こっちの二人が新しく部屋に入った二人、ルナとオルシア。二人とも第三学位だよ」


 ルナもこの学園に入ってから一か月ほどは経つが、一度もこのルームメイトに会ったことはなかった人物である。

彼女は緩やかなくせ毛を長く伸ばし、それを美しい髪飾りで彩っている。この学園ではあまり見かけないタイプの大人の女性だった。


「へぇ、そうなんだ。よろしくねぇ」


 ダウリは気の抜けた挨拶をすると、食事に戻った。イルヴァが遠慮なくその隣に座るので、ルナとオルシアも顔を見合わせてから座る。


「で? こんなに長く帰って来なかったってことは、何かあったんだよね? 聞かせてよ」


 イルヴァは眠気が吹き飛んだらしく、ダウリに詰め寄る。


「まぁね。学園から呼び出し喰らってさ、早く帰って来いって。当面は出掛けないから、部屋でゆっくり話すよ。それより、イル。ちょっと立って見せて」


ダウリに言われ、イルヴァは立ち上がると、体を回転して見せた。


「さすがダウリ。あんたなら気が付くと思ってたよ」


ダウリは変化した制服が気になったようだ。

イルヴァはルナに制服の形を改造してもらってから、さらにアレンジを要求していた。

彼女のスカートはさらに短くなり、カーディガンも生地を薄くして、体のラインがわかるようにされている。

ダウリは何気ない動作でそのミニスカートを持ち上げて中を覗くので、イルヴァは慌ててスカートを押さえて魔の手から逃れる。


「ちょっと!」


「ああ、ごめんごめん。さすがに下着はそのままなんだね」


「訊けばわかるでしょ! もう!」


イルヴァは恥ずかしさを隠すために、椅子に八つ当たり気味に腰を下ろす。


「どうやってやったの? 縫製されてるようには見えないけど、材質は公式の制服のものだよね」


ルナはダウリがひと目見ただけでそこまで理解することに驚く。

彼女は第六学位で、もうすぐ卒業し、魔術士として社会に出るはずだ。アルフォンスも同じように変化を悟るスべに長けている。優れた魔術士には必要な素養なのかも知れない。


「ルナが魔術で変えてくれたんだよ」


イルヴァが言う。話を振られたルナはダウリに見られて頷いた。


「服飾に興味があるんですか?」


ルナが問うと、ダウリは頷いた。


「私は卒業したら仕立て屋になるつもりなんだ。魔術で作る服で、自由で新しい形のおしゃれを提供するつもりなの。魔術士は個性的な人が多いでしょ? そういう人や、常に新しい物を求める貴族や金持ち相手の商売としてね。ここ数ヶ月も新しい素材探しに旅してたの」


ルナは関心した。

将来のことなどルナはあまり考えていないが、ダウリは明確な目標がある。オルシアも父の手伝いという目標を持っているし、イルヴァも将来に向けての人脈作りに励んでいる。ルナだけが今を生きるのに精一杯だ。


「どういう魔術なの? どれくらいの速度で作れる? 魔術使用の疲労や、コストは?」


ダウリが矢継ぎ早に訊ねてくるが、大食堂が混み合ってきたことで、話を終わらせた。


「今夜、部屋に戻りますよね? そこで話しますよ」


「わかった。約束ね」


ダウリとイルヴァとはそこで別れ、オルシアとともに教室へ向かう。


「なんか大人の女性ヒトって感じだったね」


オルシアが言うので、ルナも同意する。


「そうだね。私たちとそんなに年齢も変わりないのに……」


生きた年数で言えばルナの方が歳上かもしれなかったが、ルナよりも経験も豊富そうなダウリに、少しの敗北感を覚えるルナであった。



 授業の始まり方が、今日はいつもと違った。

 担当教師とともに、ルナが入学したときに試験を担当したセシリアという若い魔導師が教壇に立った。


「貴重な授業の時間を割いてしまって申し訳ありません。二か月後の試験についての告知があり、お邪魔しました」


 セシリアは生徒を見渡す。


「次回の昇格試験、六月に行われる偶数学位の試験になりますが、第四学位試験を国の要職にある人物たちが見学をすることになりました。公開試験というやつですね」


 セシリアがそう宣言すると、生徒たちがその言葉を飲み込むのを待ってから、再び口を開いた。


「不定期に開催される公開試験ですが、各自治体の重役や、多くの有力者が、実力ある魔術士のたまごを探しに来る場となります。

 学園の実力を示すための場であり、有力者に自分の魔術を売り込む場でもあります。要は自分の魔術の発表会ということですね」


 ルナはそれを聞いて、不思議に思った。自分の魔術を不特定多数の人間に見られたい魔術士がいるのだろうか。

 舌打ちして不満を表明したいところである。第四学位試験は受けるつもりであったのに、こんな横槍が入るとは思ってもみなかった。


「この試験には第三学位の方と、飛び級で第二学位の方が参加できるのは通常の試験と変わりありません。ただ、応募者多数の場合、事前試験による振るい落とし・・・・・・が行われます。学園として恥ずかしい姿を、国の重役に見せるわけにはいきませんからね。

 この事前試験は内申点には影響しませんので、お気軽に参加してください。ただし、事前試験に合格した場合、次の公開試験を辞退することはできませんのでご注意を。

 というわけで……、受験予定の方は、三日後の放課後までに、職員室にいる私かこの子に、こちらの申請用紙を提出してください。急な話で申し訳ないですけど」


 セシリアの袖の中から黒い液体が出てきたかと思うと、それが彼女の肩の上で猫の形に変わる。セシリアの使い魔は黒猫のようである。


(かわいい……。モフモフしたい……)


 ルナは試験を受ける気は失せてきていたが、あの子に会うために、机を回されてきた申請用紙を受け取ることにした。


「質問、いいですか?」


 ルナが手を上げると、セシリアが頷いた。


「いくつかあるのですが……。試験の合否は、その重役たちが決めるのでしょうか。合格と有力者に名を売る以外に何か特典がありますか。試験は受けたいけれど、公開試験には出たくない人に、何か救済処置はありますか」


「重役たちは試験の採点には一切関わりません。

 合格以外に特典はありませんが、例え不合格でも重役たちの目に留まる可能性はあります。

 公開するのは嫌だと言う人は、次の試験まで待ってもらうしかありませんね。慣例上、同じ学位の試験が連続で公開試験になることはありませんから、半年待てば同一学位の試験を受けることは可能です」


 救済処置に一縷の希望を託したが、無駄だったようだ。

 別の生徒が手を上げる。ロバルトだ。彼は何かとオルシアに関わってくるが、ルナがいるときは反撃を恐れてか大人しくしているときが多い。


「参加資格は、第二・第三学位にあるとのことですが、試験はコネクションのない人が優先されるべきでは? 貴族や名家の人間は、辞退すべきではないでしょうか」


「いいえ。その必要はありませんよ。あくまでも魔術士としての資質を計る試験ですから、どのような出生の人でも参加できます。ソリアーダン家の二代目であるあなたも、もちろん参加できますよ」


 ロバルトは、オルシアやルナに向けて言ったのだが、セシリアはそれを知ってか知らずか、彼が遠慮していると思ったようである。ルナは鼻で笑ってしまった。ロバルトがそれ以上何も言わずに引き下がると、他には誰も質問をしなかった。


「では、これで告知を終わります。魔導師、時間を頂き、すみません」


「いやいや、構わないよ。楽しみだねぇ、久しぶりの公開試験。セシリア魔導師は忙しくて目が回るだろうけど」


 セシリアは苦笑いしてから教室を後にした。


「じゃ、授業始めるよ」


 生徒たちは興奮気味の中、手につかない授業を受けることになった。


 ◆


 教室の間の移動中に、オルシアが言う。


「ルナちゃんは公開試験に出るよね」


「出ないけど……」


「そうだよね。……え、出ないの? でも、質問してたし……」


 オルシアの中ではルナが出ることになっていたらしく、意外そうに目を見開いた。


「出ないよ。出る理由ないし」


「で、でも、次の試験で四学位に上がるんだよね?」


「そのつもりだったけど、第五に飛び級してもいいかなって考えてる」


 ルナに公開試験は利益がない。

 どこかに就職するつもりはないし、パトロンがつけばそのパトロンの言いなりになることになる。アルフォンスの戦略論のように、人脈を広げるという意味では悪くないのかもしれないが、ルナは命を狙われる身でもある。目立たないに越したことはない。

 オルシアが何か言いたげな表情でいるので、ルナは仕方なく理由を訊いておく。


「何か言いたいことがあるなら言いなよ」


「ルナちゃんって、こういうお祭りみたいなの好きかなって思ったんだけど……」


「え? なんで? まぁ、別に嫌いなわけじゃないけど……。なんか貴族や名家の人はでしゃばるべきじゃないって考えの人がいるみたいだし?」


 最後の方は少し大きな声で言ってみる。前の方を歩くロバルトに聞こえるように。ロバルトの後頭部がピクリと揺れた。


「……魔術は庶民のための技だ。貴族や名家みたいな既にコネクションがあるやつは、出るべきじゃないのは少し考えればわかるだろ」


「あら、そんなに謙遜しないでください、ロバルトお坊ちゃま。あなたの親も随分と稼いでいるじゃないですか。色々とコネも多いでしょうねぇ」


「黙れ! オレはお前みたいにコネで入学なんてしていない! 大した実力もないのに第三学位に入りやがって!」


 ルナは舌を小さく鳴らした。確かに座学ではルナはかなり遅れを取っている。

 ロバルトとは入学時期が違うため、実践魔術の授業では会うことがないのだ。そのため、魔術の失敗に見せかけて、ボコボコにすることができないでいるのが歯痒いところだ。

 二人の睨み合いが始まり、廊下の流れがヨドんだことで、魔導師の目に留まってしまう。


「コラコラコラ。廊下で何をやっとるか」


 現れたのはもやしのような男だった。

 背の高さはロバルトより頭二つ分も高いが、手足が細長く、胴体もほっそりとしている。ブカブカの丈の長いローブが、より体の細さを強調していた。たっぷりと蓄えた髭で顔も縦に長く、手の大きさはルナの頭を片手でオオってしまえそうだ。

 もやしと言えばまだマシだが、見ていると不安になるアンバランスな男である。彼は魔導師ライジュである。夕方の暗い廊下で彼と出くわしたら、叫び声を上げる自信がルナにはあった。

 ただルナの考えとは裏腹に、彼は生徒には慕われているようで、彼が歩くと皆がそちらに笑顔を向ける。


「ライジュ先生! こいつが先に仕掛けてきたんです!」


「出た。嘘ついて味方を増やそうとか、ホントやることがケチ臭いよね……」


「嘘なんかついてない! お前が公開試験に……」


「私は出ないって言ったんだよ。良かったねぇ。私がいないから、お偉いさん方に認めてもらえる機会ができて」


 ルナがいたら目立てず認めてもらえないと言っている。ロバルトは頭が良いので、そういう皮肉が良く効くのだ。歯軋ハギシりしてルナを睨みつけた。

 ライジュは二人の頭に大きな手を乗せる。


「お前たち、いつも喧嘩しとるなぁ。わしらは同じ学園の仲間だといつも言っておるだろう。切磋琢磨は良いことだが、ただ、いがみ合うだけでは面白くもない。そこでだ。いっそ、勝負して白黒つけてみれば良い」


 ルナはこの巨大な魔導師を見上げた。いったい何を言い出すんだこの人は。


「公開試験は採点も公開される。試験の成績が順位として付けられるのだ。その順位が高い方が、勝ちというわけだ」


 ロバルトはほくそ笑みながら言う。


「いや、こいつは試験には出ないそうですよ。ま、オレと勝負するなんて負けるに決まってるから、出ないで正解ですけどね」


 ルナは額に青筋を立てた。


「ライジュ魔導師。勝負するからには、勝った方には何か特典があってしかるべきですよね。提案した師が、その特典を考えてください」


 軽い挑発に乗って受験するというのは、ルナの沽券コケンに関わる。何かの理由を引き出すために、ライジュに言う。


「ム……。なかなか、言うやつだな。良いぞ。勝った方には、わしの秘蔵の魔道具をひとつやろう。なんでもってわけにはいかないが、まぁ、役に立つ物を見繕ミツクロってやる」


 ルナは悪くない話だと思い始めた。

 『魔道具ウィッチクラフト』とはその名の通り、魔術の込められた道具である。種類は千差万別で、武器だけでなく、傷を癒したり、手紙を届けたり、生活を便利にする物も多い。

 ルナは魔道具をひとつも持ったことがなかった。ルナの魔術は道具の力を借りる必要がないのもあるが、魔道具は高価で貴重であるため、学生のルナには手が出せる物ではないのだ。

 だが、興味がないわけでない。魔道具の力を解析できれば、新しい魔術の発想を得られるかもしれない。


「いいでしょう。その勝負乗った!」


 だが、話はそこで終わらなかった。


「私もその勝負に乗りました」


 オルシアがそう言うと、他の生徒まで口を出し始める。


「あ、俺も乗る!」「私も……」「俺だって受けようと思ってたのに……」


「おいおい……」


 ライジュは困ったように生徒たちを見た。


「わかった、わかったよ。じゃあ、試験でもっとも成績が良かった者に、魔道具を選んでやる。二人には悪いが……」


 ライジュがルナとロバルトを見やるので、二人は頷いた。


「別に構いませんよ。どうせ、オレが一位だ」


「まぁ、いいですよ。ここからは全員敵ってことですね」


 ルナの言葉に驚いたオルシアだったが、その場では何も言わなかった。


 ◆


 放課後、訓練に向かったルナは、演習場で待ち構えていたアルフォンスと会う。

 彼と目が合うと、ルナは先日の変身した姿での邂逅のことを思い出し、逃げ出したくなる。

 アルフォンスの方は、ルナの姿を確認するといきなり溜息を吐く。


「ハァ……」


「な、なんなんですか、いきなり。人の顔見て溜息とか」


 アルフォンスはまた溜息を吐く。


「公開試験、受けるみたいですね」


 ルナはそう言われ、もう耳に入っているのかと思った。


「第三学位の人は全員受けることになったと聞きました。なんでもライジュ魔導師に賞品を強請ネダったとか」


「そ、そんなつもりは……」


「確か、あなたはなるべく目立たぬようにするとウソブいましたよね。それがどうして、こういうことになるのです」


 ルナは自分でも恥ずかしく思うが、近頃は自分でもわからなくなるほど自分を制御できていない。

 抑圧されていた過去の自分が、この世界に来て自由を得た。そんな気がする。


「まぁ、良いでしょう。公開試験に向けて、しっかりと訓練します。覚悟しておいてください」


「……」


 アルフォンスに知られればどうなるか、すっかりと失念していた。既に申請用紙は提出済みだった。


 ◆


 這う這うの体ホウホウノテイで、ようやく大食堂に辿り着いたルナは、そこで待っていたルームメイトに掴まった。


「ようやく来た。待ってたよ」


 ダウリはルナが現れるのを、寮の部屋ではなく大食堂で待っていたらしい。そこにはイルヴァとオルシアもおり、腹を空かせて待っていた。


「わざわざ待たなくてもいいのに」


「オルシアが、みんなで食べた方がおいしいからって言うんだよ。それに人がごった返すときだと味わって食べられないし」


 イルヴァが言うと、オルシアが頷く。


「公開試験受けることになったんだって?」


 まずは今日あったことから報告し合う。食事を摂りながら、四人はテーブルで話し合った。


「ええ。オルシアのおかげでね」


「私のせいかな……。だって、賞品もらえるって言うし……」


「賞品?」


 ライジュが特別に一位の生徒に賞品を出す約束をしたことを伝えると、イルヴァもダウリも試験に出たがった。


「いいなぁ。ライジュ先生って、色んな魔道具をコレクションしてるって言うし、かなり良いものもらえそう」


「そうなんですか?」


 ルナは知らなかった。


「ルナちゃん、知らずに言ってたの? 他の子たちがみんな欲しがったのは、ライジュ先生だからだよ。国内でも有数のコレクターで、古代魔道具の専門家なんだから」


 『古代魔道具アーティファクト』と『現代魔道具ウィッチクラフト』は、意味合いが違ってくる。

 古代魔道具は遺跡から出土した、現代では再現不可能と呼ばれるような魔術で作られた魔道具であり、強力で一国を滅ぼしかねない魔力を秘めている物もあると言う。

 現代魔道具はもっと身近で、量産され、一般人も触れる機会があるものだ。例えば、伝令に使われる鳥に変形する手紙は、もっとも一般的な魔道具のひとつである。


「古代魔道具、もらえたりして……」


「ないない。それはない。そんなもの学生に渡すほど、甘い人じゃないよ。自動筆記ペンとか、魔石の込められたケインとか、そんなところでしょ」


「そういえば、ダウリさんは旅をされてたんですよね。古代魔道具とか手に入れたりしたんですか?」


「まさか。私の旅は、衣装に向いた素材や生地探しの旅だからね。そんな高価な物は手に入らないよ。まぁ、でも、色々と目にはしたけどね」


「どんなものがありました?」


「んー。私の興味のあるのは紡績ボウセキ関係ばかりだからなぁ。ああ、一番興味深かったのは、裁縫するゴーレムかな。部屋に何体もゴーレムが並んでて、細かな縫製をするんだけど……、三十体くらいはいたかな」


「ゴーレムって、魔道具なんですか?」


「種類によるね。自立型は魔道具だし、遠隔操作型は事象化魔術に分類されるよ。第三学位だとまだ習ってないっけ?」


「へぇ……」


 そうした雑談の後、ダウリが本題を切り出した。


「それでね、ルナ。服のことについてなんだけど、お願いがあって……」


「仕立て直しですか? 素材が植物性ならできますよ」


「植物? 植物の魔術を使えるの?」


「そうです」


「植物。それは珍しいね……。あれ、それっていいのかな……?」


 ダウリは考え込みそうになるが、頭を振るとルナを見つめ直した。


「少し小遣い稼ぎをしてみない? 多分だけど、私以外にもいると思うから。あなたたちみたいな制服にしてみたいと思う人」


「というと?」


「生徒相手に、仕立て直しするの。学生でも出せる金額で制服を直す。もちろん、あなたの負担にならない程度でね」


 ダウリは詳しい話を始めた。ルナには魅力的に思える話である。

 学費は特待生で無料であるが、小遣いが出るわけではない。休校日に街に出掛けることを避けていた理由は、金がないからである。

 学内での学生の商売は認められている。もちろん、ある程度の規制はあるが、中庭にあるおやつを売っている出店などは、学生運営だったりする。ルナもそこに参戦しようというわけだ。

 試験、商売、訓練。

 ルナはさらに忙しい日々が始まる予感がした。


 ◆


「すごいな……。みんな、将来のこと考えてるんだね」


 オルシアが呟く。


「それだったら、あなただって、父親の手伝いをするって息巻いてるじゃない」


 ダウリとイルヴァは部屋に戻り、大食堂はほとんど人がいなくなった。二人きりになった大食堂で、オルシアは首を横に振る。


「私はただ目の前にあるものに飛びついてるだけだから……」


 ルナは否定するべきか迷った。父の手伝いをするというのも立派な目標だと思うが、オルシアも何か考えがあるのだろう。


「ルナちゃん、今度の試験ね」


「うん」


「私が一番を取るから」


 突然の宣言に、ルナは首を引いた。オルシアは別に魔道具が欲しいわけではないことは、その目を見ればわかる。


「どうしたの、突然」


「私ね。この一か月、ずっとルナちゃんに頼りきりで……、いつも私のこと治療してくれてたでしょ」


「ああ、気付いてた?」


 ルナはなるべくバレないようにやっていたが、何度もやっていれば魔術士であるオルシアが気付かないわけもない。


「この間の吸血鬼事件のとき、思ったの。頼れる人がいるのは良いけど、それだけじゃダメだって。自分も頼れる、頼られる存在にならなきゃダメだって」


 ルナはこの学園に来てから、オルシアに頼りっぱなしである。彼女がいなければ、図書室の位置もわからない。だが、今は口にせず、オルシアの話を聞いた。


「ルナちゃんと対等になりたいの。だから、私は次の試験で一位になる!」


 オルシアの宣言に、ルナは微笑んだ。


「わかったよ。私も手を抜かないから。それで……、体調が悪くなったときは、治療しなくてもいいの?」


「それはやってほしい!」


 オルシアの素直さにルナは苦笑した。


「わかったよ、オリィ」


 彼女の直向ヒタムきさは、ルナの傷口に沁みる。だが、不思議と痛くはなかった。

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