第4話 楽しい学園生活

 ◆


「やってくれたね、クレイン・アルフォンス・フォルスター」


 学園長室に呼び出された魔導師アルフォンスは、学園長であり、育ての親であるオドに詰められる。


「何かありましたか?」


「あたしは受験者の半数以上は合格させるように言ったはずだよ」


「そう言われても……。今回の受験者がヘボだったのでは?」


 オドは深く溜息を吐くと、椅子に深く沈み込んだ。


「ちゃんとあの娘が合格できたし、文句なしの特待生だから、もういいよ。けど、あんたには二度と試験官は任せない」


「そうしていただけると助かりますね。師として八百長などしなくても良くなりますので」


「何が八百長だよ。あんた、ルナの実力が見合わなければ、落とすつもりだっただろう。あたしまで共犯にしようとしないでおくれ」


 オドはルナを確実に学園に入れるために、アルフォンスを試験官に選んだ。だからといって、決して八百長の指示を出したりはしていない。


「ハァ……。弟子を取るっていうから、色々と丸くなったのかと思ったのに……。とにかくだ。あんたは他人に厳しすぎる。この学園の魔導師をするからには、やさしさも身に付けな」


「おや、僕はあなたを見習って、こんな風になったのですが」


「うるさいよ。もう、下がっていい……。ああ、忘れてた。調査団の件だけどね」


 学園長室に呼んだのは、叱るためだけに呼んだのではないことを思い出した。


「報告書だよ。渡すわけにはいかないから、ここでお読み。まぁ、あんたの伝手ツテを使えば、手に入れるのは容易だろうけどね」


「もう調査が終わったのですか? 少し早すぎはしませんか」


 オドの手から十枚程度の紙を受け取る。あまりにも軽い報告書だ。アルフォンスは期待できないと思いながら、流し読みする。だが、その内容に目を剥いた。


「調査団が全滅? 生き残りはひとり? 航空部隊が向かったはずでは?」


 航空部隊とは、別名『竜騎兵』である。小型のワイバーン種を手懐けてその背に乗って移動する、軍の中でも特にエリートの集団だ。


「航空部隊、五騎構成二部隊十二人が全滅したよ。生存者の竜も死に、その生存者も今は話せる状態ではないらしい。おかげであたしは、大損害を出したと嫌味を言われたよ」


 嫌味だけで済んだのは、魔王軍の存在が確認できたからである。


「数百の複数種の魔物が入り交じった部隊……。どうやら、ルナ君の話は正しかったようですね」


「まぁ、ね。ルナの話は荒唐無稽コウトウムケイではないことだけは確かめられた。彼女を信じてみるのべきなのかもね」


「僕は始めから信じていましたよ。……では、ルナ君に僕の魔術を教えることに、同意していただけますね」


「好きにしなよ。どうせ、あたしの言うことなんて聞かない癖に」


 アルフォンスは貴族らしい一礼をすると、にこやかに退室した。オドの溜息は増えるばかりである。


 ◆


 試験の次の日、ルナが世話になっている衛兵寄宿舎に、手紙が届いた。紙でできた不思議な鳥が、寄宿舎の門に留まっていた。ヴァヴェル学園からの合否通知である。


「ルナー、手紙来てるよー」


 衛兵のひとりがそれをルナに渡そうとする。女兵士たちが大勢集まって、後ろから覗き込む。


「……。あのー、そんなに覗き込んでも面白いことは書いてないですよ」


「大丈夫だよ、ルナちゃん。不合格だったら私が養ってあげるからね」


「不合格ならここで暮らせばいいよ」


「不合格でも仕方がないさ」


「どんだけ不合格にしたいんですか⁉ 合格自体は決まってるようなもんだからね⁉」


 ルナが鳥の形に折られた手紙を受け取ると、それは勝手に開いて封筒になった。ルナは共用のペーパーナイフで封を切り、中身を確認する。


「はい、合格です。特待生だから学費も不要。明日から入寮できるって!」


「「ええ~~!」」


 皆が不満の声を漏らすが、ルナは放って置いて、色々と世話になった寮母に報告する。


「ありがとうございました。明日の朝、学園の寮に移ろうと思います」


「まぁまぁ。そんなに急がなくてもいいじゃないの?」


「いえ、そういうわけにはいきません。急いでいるのもありますが、後ろの人たちに勉強の邪魔されるので、さっさと出て行きます」


 後ろでブーイングが起こるが、ルナは拳を振り上げて追い払う。


「まぁ、とにかく、応援してるよ。今日はお祝いに、夕食豪勢にしなきゃねえ」


「はい。もう一泊だけ、お世話になります」


 夕食が豪勢になると聞いて、女兵士たちは盛り上がる。現金なものだ。

 そうして、合格の感慨に浸る時間もなく、翌朝、学園の寮へと引っ越すことになる。寄宿舎の面々は、ルナが出て行くことを盛大に嘆きながら見送ってくれた。


 ◆


 朝、寮への引っ越しを終える。

 と言っても、荷物はひと抱えしかない。

 寮長であるミニティは第五学位の現役の学生であり、この学園で六年過ごしている。学内のことで知らないことはないと豪語した。


「あなたみたいな女の子の天才は久しぶりだから、張り切って案内するからね! 何でも訊いてよ!」


「……」


 少し引っかかる言い方だ。六年間、それなりに苦労しているのだろう。


「天才ではないですよ。何年も勉強して、ようやく入学できたわけですから」


「でも、いきなり三学位合格なんて、なかなかいないよ?」


「そうなんですか? でも今回は私以外にも、もうひとり合格したはずですけど……」


「え? そんな話聞いてないけどなぁ」


 ミニティが首を傾げる。

 ルナは目立ちたくないと思っていたのに、これだけ目立ってしまっている。第三学位試験に一般参加者が一発合格で、目立たないという方が無理な話だった。


(じゃあ、あの娘は誰だったんだろう。オルシア・イーブンソード……)


 確かに彼女は存在していたはずだ。ルナだけではあの変態メガネ相手に、受験生は全滅していたはずだ。彼女の風の魔術の持続力は、大いに時間稼ぎに貢献した。


「これがあなたの授業表ね。そして、これが三学位以上で受講できる講義のリスト。推奨学位以下の講義は受講できるけど、それ以上の講義は受講できないから注意して。ほら、危険だったり、秘密保持契約が必要だったりするから……」


「わかりました」


「学園内の地図はもらったよね? 理解できた?」


「ええ、なんとか」


「さすがね! 地図は必ず鞄に入れておいた方がいいよ。もしものときのためにね」


「そんなに迷いますか」


「迷うよー……。広いし、変な魔術で空間が歪んでるし。ま、パターン読んじゃえば、大丈夫だけどね。私は二年くらいで、ようやく迷わずに教室に辿り着けるようになったよ」


 ルナは色々な説明から解放されると、荷物を部屋に置いた。既に講義は始まっているのか、寮の中には学生たちはいなかった。

 割り当てられた部屋は当然、共同部屋であり、脚の高いベッドが四つと机がひとつ、ベッドの下は様々な物が収納できるようになっており、金庫まで備えられている。


「じゃあ、私も講義があるから行くね。学内をうろつくときは、制服を着てね。わからないことだらけだろうけど、そこはまぁ、仕方ないね。第三学位からだし……。じゃあ、頑張って!」


 ミニティは出て行こうとしたが、振り返ってこう言った。


「あ、そうだ。ルームメイトの二人を紹介をしたかったんだけど……。今みんな、新しく来た先生を見に行ってるの。大ホールに行けば会えると思うよ。授業には遅れないようにね。じゃ!」


 四つのベッドに、二人のルームメイトならば、ひとつ空きがあるらしい。

 残されたルナは荷物を仕舞うと、まずは大ホールに行こうと決めた。どのみち、次の授業の教室には大ホールを通らないと行けない。

 ルナは制服に着替えた。体のラインが見えない長いローブに、ロングスカートとロングソックス、灰色のオーバーサイズのニットのカーディガンで、全く露出がないデザインだ。

 魔術士らしいと言えばそうなのだが、かなり野暮ったい。


(サイズ合ってるけど。いつ測られたんだろ)


 この制服は植物性の繊維で作られている。何かの魔術で織られた生地だ。ルナは少しだけそれに手を加える。魔術を発動し、植物性の生地を操る。

 スカートの丈を短くし、長いローブと靴下の間で、膝が少しだけ見えるようにする。そして、ローブの腰の部分の生地を絞って、胴体がスマートに、裾が少し広がって見えるような形にする。

 そのアレンジで、かなり野暮ったさがなくなった。


「良し!」


 部屋にある共同の姿見スガタミで、多少は良くなったことを確認し、ルナは部屋を出た。


(大ホールで集会でもやっているのかな。……隠れながら行こう)


 学園内は確かに空間が歪んでいた。

 外から見たら狭い部屋なのに、中に入ると広かったり、とてつもない長い廊下や階段なのに、二歩だけで端まで辿り着けたりする。


「確かに方向感覚狂いそう。慣れが必要、これは」


 そういうわけで、かなり広い学園なのに、中心にある大ホールには素早く辿り着けた。話の通り、そこには多くの生徒たちが集っていた。

 ルナは隅の方を目立たないように、小さくなって移動した。生徒たちの視線はホールにある大階段の方に向いている。これなら背後を抜けられそうだ。


「あ、ルナちゃん!」


「う……」


 大きな声をかけられ、ルナは立ち止まる。視線が集まるのを感じる。


「良かったぁ。大食堂でも姿が見えなかったから探してたんだよ。昨日から何も食べてないの? どこに行ってたの?」


 制服姿のオルシアが、楽しそうにルナの元までやって来る。


「え? オルシアさん……は、昨日、入学したんですか? どうやって……」


 ルナは合格通知が届いてから、最速で入学したはずだ。オルシアも昨日、合格通知が届いたならば、ルナよりも早く入学することはできないはずである。


「入学? 何のこと?」


 話が噛み合わず、二人は互いに首を傾げる。


「昨日の試験で合格したのですよね」


「合格したよ」


 ルナが訊ねるとオルシアが答える。


「一般参加で入学されたのですよね?」


「いっぱん……?」


 オルシアは何の話かわかっていない。ルナは話が見えてきた。


「ええと、昨日の試験、どうして私服だったのですか?」


「へへへ……。寝坊しちゃって、急いでたから間違えて服着ちゃって……。ルナちゃんもだよね?」


 照れくさそうに言うオルシアに、ルナは同類と思われたくはないとは思ったが、彼女が寝坊したのは、おそらくはかなり体調が悪かったからだと予想し、あまり強くは言わないでおく。


「私は一般参加で試験を受けたので、まだあのときは制服を持っていませんでした」


「一般参加……。ええ⁉ ルナちゃんが⁉」


 試験のときもそうであったが、オルシアは考えがどこか抜けている。


「急いでたから制服を着忘れたんじゃなくて? 偶然……」


「……そんな偶然ありますか?」


 オルシアは何かを考え込んでしまった。すっかり話に夢中になってしまっていたルナは、生徒たちが道を開けていることに気付くのが遅れた。


「見つけましたよ、ルナ君」


 聞き覚えのある声に恐る恐る振り返る。アルフォンスが軍服姿で立っていた。


「……どうして軍服なんですか? 教師になったのですよね」


 アルフォンスはにっこりと笑うと、女生徒たちから黄色い声が上がった。


「まずは、合格おめでとうございます。見事、特待生も勝ち取りましたね。ヴァヴェル学園は公営なので、私は軍属のまま教師になれるのです」


「えぇ……。ずっとその格好でいるのですか……?」


 アルフォンスは背筋を張り、鼻息を吐くとルナの話を無視した。


「それよりも、私の講義のことです。私の講義は二日後、内容は魔術戦略となります。第三学以上で受講できるように交渉しましたので、必ず来てください」


「はい……。わかりました」


「どうして、そんなに嫌そうな顔をするのですか」


「……」


「まぁ、良いです。それでは」


 アルフォンスは短く話を済ませると、生徒たちを掻き分けて去っていった。彼が去ると、その生徒たちの視線が全てルナに向く。


「ルナちゃん、あの先生と知り合いなの⁉」


 オルシアが驚いた顔で問う。彼女は表情が良く変わるのでルナは目に楽しいが、こう注目されている中でやられるのは落ち着かなかった。


「まぁ、そうですね……。今は師匠兼身元保証人ということらしいです。不本意ながら……。授業に遅れます。私はこれで」


 ルナはせめての抵抗で不満をアピールする。良くわかっていないオルシア以外の生徒たちは、その言葉でざわついた。ここで師匠であることを言っておかなければ、あらぬ噂でも立てられかねない。


「あれがルナ・ヴェルデ……」


「ねぇ、隣にいるの。イーブンソード家の……」


「七魔剣の弟子⁉」


「あいつら……」


 生徒たちが口々に言うのを尻目に、ルナは足早に大ホールを去り、生徒の群れから逃れた。彼らが集まっていた理由は、本当に新任の教師の顔を見るだけだったようである。


「ルナちゃん、ルナちゃん! ねぇねぇ、待って!」


 オルシアが後ろから付いてくる。オルシアはあまり足が速くなく、すぐに置いていかれそうになってしまう。少し運動しただけで簡単に息を切らすのだ。ルナはそんな彼女をオモンパカって、足を止めるしかなかった。また肺から出血されても困る。


「はぁ、はぁ……。ルナちゃん、教室あっちだよ。一緒に行こう?」


 そう言われルナは振り返った。早足で歩いたせいで、自分が今どこにいるのか完全に見失っていることに気が付く。


「こっち!」


 オルシアがルナの手を取り、先導する。ルナは情けなくなり、自嘲した。それを見たオルシアが、ルナに笑顔を向けた。


「ルナちゃんの笑い顔かわいい。そっちの顔の方がもっと素敵だよ」


 突然言われルナは困惑したが、それがまた可笑しくて、笑ってしまった。

 ルナはオルシアとともに、教室に行くことにした。


 ◆


 学園の授業は退屈ではなかったが、あまりルナの知っていない知識はなかった。

 第四学位までは、基礎的な知識を身に付けるための『授業』があり、そこから発展したことを学ぶには『講義』を受けるしかない。

 そして、講義は自主参加であり、人気のある魔導師の講義は出席するのも難しいことがあるらしい。


「魔術はイメージの世界です。そして、そのイメージの中に、自分自身の姿は欠かせません。魔術士がそれぞれ自分のこだわりの格好をしているのは、そのイメージを崩さないためです。

 皆さんは、もう魔術を無詠唱で使えますか? できない? それは魔術のイメージが固まっていないからです。学生の内は同じ格好の制服でイメージを固めますが、卒業後は自分で選び、コダワった格好をして、その形を完全に記憶してください。

 それがあなたの魔術を支えまるはずです。

 特定の格好で、特定の道具を使い、特定の行動をし、特定の呪文を唱える。それが完全なる魔術を可能にするのです。そして、記憶を呼び覚ませば、その格好でなくとも完璧な魔術が使えるようになるはずです。

 良いですか。良い魔術士というのは、けっして自分の道を曲げない。自分を疑わない。疑えばイメージが崩れ、魔術を使えなくなってしまいます。俗にいうスランプというものですね。

 皆さんがそのようなことにならないことを祈ります。ですが、不調に陥ったとき、私の言葉を思い出してください。そこにその不調を抜け出すキッカケがあるはずです」


 老魔導士ケリーの言葉に、ルナは納得のいくところがあった。


(いつも変身して魔法を使っていたから、変身中じゃないと強い魔法は使えないと思っていたけど……。イメージが固まっていなかったから、ということなんだ。でも、こっちの世界に来てから、魔力が強くなったのはどうしてなんだろう……)


 ルナは考えたがわからなかったが、今は考えるのをやめた。弱くなったわけではないから、重要なことではない。


「ね、私もフォルスター先生の講義受けてみようかな。どう思う?」


 午前の授業が終わり、オルシアが話しかけてくる。というか、ずっと付き纏われている。同じ学位で合格時期も同じなので、授業内容も同じもので仕方ないのだが、その積極性に困惑するしかない。


「あの……、近いです。もう少し離れてください」


「ええ~。そんなことないよ。普通だって」


 オルシアは教室を移動中もずっとルナにくっついて回り、昼食の席も隣に座った。

 隣も隣である。大食堂の長机に長いベンチは、まだ空きはあるのに、ルナの真横の肩が当たるくらいの位置に付けてくるのだ。肘が動かし辛く、食べ辛い。

 だが、少しすると彼女が普通だと言った意味がわかった。

 学園の全校生は四百人ほどである。それが昼食時になると大食堂に一気に集うのだ。充分な広さがあっても、歩く人、座る人、立ち止まる人、話し合う人、それだけいればごった返すのは仕方がないことだ。

 ルナがさっさと食事を済ませ、出て行こうとする。しかし、オルシアの食事はゆっくりとしていて、遅々としている。彼女は急いで食べ過ぎると吐き戻してしまうのだと、ルナは考えた。彼女はかなり痩せている。


「食べながら教えてください。オルシアはこの学園に入学して、何年目くらいなの?」


 オルシアは教室の位置は大体わかっているようだが、彼女に話しかけてくる友人はいなかった。


「一年かな。私、寝込むことが多くて、ひとつ試験飛ばしちゃったから……。本当は、一年で四学位まで上がってるつもりだったんだけどね。でも、良かったよ。ルナちゃんと会えたから!」


「う、うん……。えと、飛び級もできるんじゃないの?」


「できるよ。でも飛ばせるのはひとつだけだし、試験も経験になるから、あんまりする人はいないみたい。私もいきなり四学位は不安だったし……。ルナちゃんみたいに第三学位から入学するのは、相当すごいことだよ」


 昇級兼入学試験は、年に四回ある。偶数学位の試験は六月と十二月、奇数学位の試験は三月と九月にあるのだ。ルナが合格したのは、三月にある第三学位の試験である。

 オルシアの場合、三月に第一学位で入学し、六月に第二学位に合格、九月の試験は体調不良で受けることができなかった。そうなると、次の第三学位試験は、半年後の三月となってしまう。

 十二月に偶数学位である第四学位は飛び級で受けることはできたが、それは諦めたということだ。

 少しは走っただけで、吐血しそうになる彼女だ。寝込みがちで授業も碌に受けられていないはずなのに、受けた試験にはキッチリと受かっている。


「オルシアって、やっぱり優秀なんだね」


 そう言われ、オルシアはキョトンとした顔をして見せる。そして、ルナに褒められたのがわかると顔を赤くした。


「そんなことないよ。だって……」


 そう言いかけたとき、ルナの背後で大声が上がった。


「おいおい、お貴族さま方がこんな庶民いる場所で、飯食ってるぜ? いつも授業に顔出さない癖に、食べるときだけは食べるんだな」


 今度はルナが呆気に取られた。振り向くと何人かの男子が、ルナたちをニヤついた顔で見下ろしていた。


「お貴族さまの食事を邪魔したくはないんですが、どうか机を譲っていただけませんかねぇ。こっちは急いでいるもんで、ノロマな食事に付き合ってる暇はないんだ。貧乏暇なしってやつでね」


 そう言った男子生徒は、授業で見かけた顔だ。第三学位の授業にいたが、試験のときにはいなかった。もっと前の試験で第三学位に合格し、複数回行われる同じ授業を何度も受けているということだ。


「他にも席は空いているでしょ。別のところに座れば? それともみんな揃って食事しないと、寂しくて喉も通らないわけ?」


 ルナは横目で見て、男子生徒にそう言った。


「は、はあ⁉ チッ……。ヴェルデ家のお嬢さまは育ちが悪いようだな。オレがロバルト・ソリアーダンだと知って言っているのか」


「聞いたこともないけど。馬鹿で有名ってこと? それとも、汚い顔が有名なの?」


「かっ……、こ……⁉」


 言い返されることに慣れてないのか、ロバルトは陸に上がった魚のように、二の句が告げないようである。


「ル……ルナちゃん……! いいよ。もう行こう。食べ終わったから」


 一色触発の気配を感じて、オルシアは席を立つ。まだ、全部を食べ終わったわけではない。彼女はいつもそうしているのだろうことをルナは感じ取った。この男が絡んでくるのも、今日が初めてではないのだろう。

 心労をかけるのも体調に影響するかもしれないと思い、ルナも食器の乗った盆を持って去ろうとする。


「待て! オレにそんな口をきいて、ただで済むと思っているのか!」


 ロバルトは腰に挿してあった棒を引き抜いた。豪華な装飾を施されたそれは、魔術士の持つ短い杖の一種で、ワンドと呼ばれるものだ。

 喧騒にあった大食堂で、魔術合戦が始まりそうになり、緊張により少しの静寂が訪れる。

 ルナは盆を持ったまま、彼を睨んだ。いつでも魔術が発動できるように待機する。この距離で杖を向けられたとしても、ルナの方が早く魔術を発動できる。体内へと力が流れ込んでくるのを感じる。

 ここは人が多い。大規模な魔術ではなく、他人を巻き込まないよう、小規模で確実に仕留める魔術を使うつもりだ。

 ルナは怒っていた。事情も知らない他人が、人のことを悪く言うのが許せなかった。どこにでもこういう奴はいるものだ。


(このクソ餓鬼、わからせてやる……)


 だが、そうはならなかった。


「そこまでだ。見ていたぞ、ソリアーダン君。先に杖を抜いたな。これ以上騒ぎを起こすなら、僕が対処する」


「もし、アタシの魔術を受けて無事でいられるつもりなら、撃ちなさい」


 上級生であろう男と、オルシアと同年代に見える赤毛の少女が、ロバルトに向けて杖を向けている。


「な、お前ら……。こいつがオレに生意気な口を……」


 そう言いかけたロバルトだが、二人の本気の目を見て怖気付いたのか、何も言わずに振り返って去っていく。


「ロ、ロバルト、食事は……」


「いらねぇ! 勝手に食ってろ!」


 ロバルトが去っていくと、赤毛の少女は何事もなかったかのように食事に戻った。上級生であろう男は、ルナに視線を向ける。


「ハァ……。心臓に悪い。君、あの子をどうするつもりだったんだ。まさか……」


 どうやら彼はルナが何かの魔術を準備していることに気が付いたようである。それでロバルトを助けた・・・・・・・・のだ。


「君は新入生だね。一応、言っておくけれど、学内での魔術の使用は許可されているが、人を殺傷するような攻撃魔術を人に向けるのは厳禁だ。最悪の場合は、学内だけの話ではなく、裁判にかけられて厳罰を受ける可能性もある。とくに、実力差がある相手・・・・・・・・には。ヴェルデさん、わかるよね」


 ルナこと翡翠ヒスイのいた世界でも、学校内で刃傷沙汰ニンジョウザタが起きれば、警察に通報されるのは当たり前だ。

 ルナとロバルトの実力差まで量られている。


(あの一瞬でそこまで読み取るんだ……)


 ルナはさすが上級生だと感心した。歳の頃は二十歳くらいだろうか。まだ幼さの残る顔つきをしている。


「ご忠告、ありがとうございます。あなたのお名前を訊いても?」


「僕の名はルシオだ。第五学年だよ」


「ルシオさん。実力者と知り合えてよかった。さようなら」


 オルシアは一連の出来事に硬直していたが、ルナが振り返って去っていくのを見て、ようやく動きを取り戻した。

 騒ぎの当事者たちが去ると、大食堂はようやく落ち着きを取り戻し、いつもの喧騒に戻っていく。

 赤毛の少女が去るルナたちの姿を見て、微笑んだ。


「へぇ。あの子たちが七魔剣のね……。面白そう」


 独り言を言うと、食事の最後のひと口を放り込んだ。


 ◆


 廊下を少し急ぎ足で歩いていたルナは、オルシアが足を止めたので一緒に足を止めた。


「ルナちゃん、ありがとう。助けてくれて。で、でも、無茶しないで。私なんかのために……」


「私がむかついたから反論しただけです。……すみません、少し大人げなかったですね」


 ルナは反省した。自分の方が長く生きているのだ。なんとか穏便に済ます方法を模索するべきだった。


「あの人はソリアーダン家の人だから……」


「どういう人なんですか?」


「え……。えと、私はあんまりよく知らないんだけど……」


「街の有力者の息子だよ。大商人の跡取りのボンボンってやつさ。そんじょそこらの貴族より金持ちで、この学園に多額の寄付をしてるってやつだよ」


 ルナたちが振り返ると、先ほど助けてくれた赤毛の少女がいた。


「あなたは……、先ほどは助かりました。お礼も言わずに立ち去って、申し訳ありません」


 ルナが丁寧に言うと、赤毛は少女が笑った。


「ひとつ貸し……。と言いたいところだけど、今回はオマケしとくよ。同室の友人としてのヨシミだしね」


「同室?」


「寮の部屋だよ。アタシは第四学位のイルヴァ。これからよろしく」


 イルヴァは手を差し出した。ルナは握手のために手を差し出すと、イルヴァはその手を掴んで体を引き寄せた。肩を抱かれて体をくっつけられると、ローブに隠れた彼女の豊かな体の感触に、ルナは赤面する。


「で? あんた、あの七魔剣の女なの? みんなはコネで入学したなんて言ってたけど、あんたの実力、その程度じゃないよね」


 ルナはムッとする。


「あの変態メガネの女なんて、絶対にお断りです。コネと言えばそうかもしれませんが、少なくとも試験で不正はしていません。そこにいるオルシアが証明してくれます」


 そう言ってオルシアを見ると、彼女は何か恥ずかしそうに体をヨジらせている。そして、ルナとイルヴァの間に割って入ると、ルナを抱きしめた。こっちはかなり痩せた体である。


「……ダメです! ルナちゃんは渡しません! ルナちゃんは、私の友達です!」


 イルヴァは一歩下がると、頷いた。


「ああ……、あんたたちそういう……」


「違います!」


 何か別のことに勘違いされていそうで、ルナは急ぎ否定する。


「え……。お友達……」


 今度はオルシアが勘違いするので、ルナはこちらも慌てて否定する。


「違うっていうのは、友達じゃないって意味じゃなくて……。私たちは友達ですが、イルヴァさんが考えているような関係ではないってことです!」


「お友達……!」


 オルシアがさらに深く抱きしめるので、今はされるがままにしておいた。


「ふーん。ま、いいさ。もうひとりルームメイトがいるけど、そいつは後で紹介するよ。とにかく、よろしく。学位が違うけど、わからないことがあれば聞いてよ」


「はぁ。それはどうも」


「あと、もう一個訊いていい?」


「え、ええ。まぁ……」


 どんな質問が来るかと身構えたが、イルヴァはルナの足元に注目する。


「そのスカートどうなってんの? 膝が見えてるけど……」


 服装のことで注意されるのかと思ったが、イルヴァはマジマジとルナを眺めているので、純粋に興味があるのだと察した。


「ああ、これは……。ほら、この制服、体のラインも見えないし、全身覆ってしまって、野暮ったいじゃないですか。少し肌が見えた方が良いかなと思いまして」


「へぇ……。確かにこれだけの違いで、全然、雰囲気が変わるねぇ。時々見えるだけってのが、またいいね。自分で仕立てたの?」


「ええ、魔術で」


「いいね。今夜、アタシのもやってよ。それが助けたお礼ってことで」


 ルナは褒められて、少し嬉しくなる。微笑んで快諾した。


「じゃ、今後ともよろしく。オルシアも仲良くやろう」


 イルヴァはそれだけ言うと去っていった。残されたルナとオルシアはその背中を見送る。

 オルシアはルナの方を見ずに、口を尖らせた。


「ルナちゃん、寮に入ってるんだね。あの人と同室で……」


 なぜか小声で言われ、ルナは少し困惑して頷いた。


「そうみたいですね。オルシアは寮じゃないのですか?」


「家が近いから、通っているの。そっか。みんな、寮に入ってるんだ……」


 オルシアは何かを考えてから、ルナに笑いかける。


「ねぇ。私もスカート短くしてくれる?」


「え、ええ。いいですよ」


 なぜか少し押しが強くなったオルシアに、ルナは困惑しながら頷いた。


 ◆


 結局、オルシアはアルフォンスの講義を受けることにしたようである。

 だが、教室に入ったときには、既に席は埋まっており、ルナとオルシアが座れる席はなかった。百人が入れる大教室なのに、既に立ってまで待っている者たちまでいる。


「えぇ……。席が……ない」


「早く来たのにねぇ」


 ルナもオルシアも入口で立ち尽くす。


「どうしよう。立ったまま、講義受ける?」


 オルシアが言うが、それは避けたいところだ。ルナは良いとして、オルシアは一時間も立っていられるとは思えない。それを心配しながらでは、講義にも集中できない。


「何を止まっているのです。早く入ってください」


 アルフォンスが後ろから声をかけてきた。ルナたちは仕方なく、教室の隅っこに立つことにする。

 アルフォンスは何事もないように、扇状の教室の真ん中に置いてある教卓に就いた。


「では、講義を始め……たいところですが、まずは選別します。第二学位以下の人は去ってください。騙すことはできませんよ。もし去らないなら、守秘義務違反として退学にします」


 何人かの生徒の顔色が変わり、立ち上がって足早に教室を去る。それでも百人くらいは人がいそうだ。


「まだ多いですね……。半分くらいにするために、殺し合いをしてもらいましょうか」


「ええ⁉」


 生徒たちが驚くが、ルナは冗談だろうと相手にしなかった。


「冗談です。こうしましょう。今から私が指示を出しますので、それに従っていただければ、受講資格を与えます」


 そうして、アルフォンスは少し黙った。生徒たちはどんな指示があるのだろうと身構えたが、なかなか彼は話し出さない。

 そのうち、生徒のひとりが人差し指を一本立てて、手を上げた。さらにその謎の行動をする者が増えていき、中には両手の指を立てている者もいる。

 半数程度が指を上げたとき、アルフォンスは口を開いた。


「よろしい。では、指を上げた・・・方は出て行ってください。まだ実力不足です」


 指を上げていた生徒たちが落胆した様子で、出て行こうとする。だが、そこに声を荒げる者がひとりいた。


「待てよ! なんでだ! オレたちは指示に従っただろ! なんで指を上げた方が出て行かなきゃいけないんだ!」


 聞き覚えのある声だ。叫んでいるのは前に大食堂で会った、ロバルトという少年である。


「こんなのはおかしいだろ! オレを締め出すための策略だ……。あのヴェルデの頭のおかしな女に何か言われたんだろ!」


 アルフォンスがルナの師であることは、学内を一瞬で駆け抜けたようだ。彼はルナを一瞥イチベツしてから、ロバルトを見つめる。


「誤解があるようですね。私が出した指示を理解しておられない。あなたは指示を何と受け取ったのですか」


「……指を一本立てろ、必要ならば二本立てろ、だろ。間違ってないはずだ!」


 ロバルトが言うと、アルフォンスは自身の魔術をより濃く、太くした。それは魔力で作られた細い紐である。本来は細すぎて、肉眼では見えないものだ。

 それはアルフォンスの頭上で文字を描き、指示を出している。


『指を一本立てろ。必要ならば二本立てろ。ただし、講義を受けたい者は指を立てるな』


 紐はそう示している。


「……ハァ⁉ 最後の一文はなかったはずだ! ふざけん……!」


 アルフォンスが指を振ると、ロバルトの体は浮かび上がり、アルフォンスの元に吸い寄せられる。突然のことにロバルトは抵抗ひとつできなかった。そして、アルフォンスに胸元を掴まれると、耳元でササヤかれる。


「この講義は、本来は第四学位以上の人しか受けられないのですよ。しかし、情勢をカンガみて、君たちにはさらなる成長を後押しする必要があるため、第三学位でも受けられるようにしました。ただし、実力も分別フンベツもない者には教えることはありません。私が一体何をしたのか理解できないのであれば、それまでです」


 その物言いは丁寧だが、アルフォンスの声は威圧的なものである。


「ロバルト・ソリアーダン君。このまま、摘まみ出されますか。それとも自分の足で出て行きますか」


「う、ぐ……」


 アルフォンスはロバルトが黙ったのを見ると、胸ぐらから手を離した。ロバルトは歯噛みしながら、エリを正す。


「誰がこんな講義なんか受けるか!」


 ロバルトは捨て台詞を吐いて、扉を乱雑に開けて出て行った。その後ろを取り巻きたちが、慌てて追いかける。アルフォンスは微笑んだまま、一瞥すらしなかった。


「どうして、あのロバルト君、指立てたんだろう。講義受けたくなかったのかな」


 オルシアが言うので、ルナは嫌味かと思って苦笑する。だが、オルシアは本気で言っている顔だった。


「魔力を物質化して、目に見えないほど細くした紐。慣れてないとあの空気の揺らぎは見えないし、最後の一文は、魔力すらほとんど感じないほど完全に近い物質化だった。それにあの子は気が付けなかったんだよ」


 ルナが言うと、オルシアが感心して声を上げた。


「へぇ~、すごい! 私は全然、わかんなかったよ。風魔術は元々目に見えないから、そういう細かいことはわかんなくなるんだよね……」


「え。それはそれで支障があるような……」


 ルナは風魔術を使ったことがないので、オルシアの言っていることが本当かどうかはわからなかった。だが、少なくともオルシアは最後の一文に簡単に気付いたのは事実だ。


「やれやれ、始める前にどれだけ時間を使わせるのですか。ルナ君、今日の出席者のリストを渡すので、次回からは君が代表して出欠を取りなさい。部外者は追い出しておいてください」


「は? なんで私が。絶対やりませんよ」


「なんでそんなに反抗的なんですか……。魔術教えませんよ」


 ルナとアルフォンスの睨み合いが始まった。そこに声がかかる。


「あの、出欠ならば僕が取ります。ヴェルデさんは入学したばかりですし、第五学位の僕の方が適任かと思います」


 そう言ったのはルシオである。彼はルナと目が合うと、軽く手を上げた。ルナは無視する。ルシオは苦笑して手を降ろした。


「君は?」


「ルシオと申します、フォルスター魔導師」


「よろしい。では、ルシオ君にお願いしましょう。こうやって目上の者には媚を売ることも必要ですよ。ルナ君」


 その物言いにルシオはさらに苦笑いするが、実際こうやって内申点を取ることは必要である。卒業後の就職に影響があるからだ。

 ルナはその言葉も無視して、席に着いた。オルシアも慌ててその横の席を確保する。


「ふむ。まぁ良いでしょう。講義を始めます」


 ◆


 授業はかなり重い内容だった。

 それは魔術による戦術、戦況の操作、命の奪い方・守り方を、個人ではなく全体を見てやる方法である。所謂イワユル、宮廷魔術師の仕事であった。

 他の生徒たちは皆、そのことを理解し、覚悟してここにいるわけだが、ルナはそんなことはつゆ知らずに授業を受けたため、その内容に衝撃を受けた。

 仲間と一緒に戦っていたとはいえ、それはあくまでも『戦術』であり、『戦略』と呼べる規模とは程遠い。たったの三人で世界を救うなどということは馬鹿げた考えだと、今更ながらに思い知らされた。


(世界を救うなら、世界を味方につけなきゃいけない……。そんなことにも気が付けなかったなんて、なんて若くて愚かだったんだろう……。そんなことを十四歳の子どもに押し付ける神さまって……)


「我々のようなメネル族は寿命が短く、若い時間も短い。つまり、ひとりで物事を進めるには、必ず限度がある。次の世代に繋ぐことも大事ですが、それ以上に効率良く力を使うことを考えるべきです。力の一極集中。つまり仲間を集め、高め合い、協力し合うことが必要なのです。その点、先ほどのロバルト君は賢いですね。取り巻きをあんなに連れているのですから」


 アルフォンスがそう言うと、乾いた笑いが起こった。アルフォンスは容赦がない。


「さて……。もう時間ですか。今日は選別で時間を取られて、消化不良ですね……。では、また来週。次からは実技も含めての講義になります。怪我をしても良いよう、覚悟はしておいてください」


 アルフォンスの脅しで講義は終わった。

 彼は窓の外を眺めて、少し険しい表情をすると、何も言わずに教室を去り、生徒の面々は解散し始める。

 講義中、アルフォンスがルナに絡んでくることはなく、平和に終わって安心した。


(言うこと聞かなかったこと怒ったのかな……? ま、いいか)


 ルナも気にせずノートを片付けると、机に手を置いた人物がいた。見上げるとイルヴァがルナを覗き込んでいた。彼女もこの講義を取っていたようだ。

 彼女は短くなったスカートを気に入ってくれたようで、持っている予備のスカートまでルナに短くさせた。


「よ。ルナ」


「イルヴァさん、この講義。結局、受けられたんですね」


「そうなんだよ。戦うのは得意じゃないんだけどね。ま、人脈作りの一環でね。……あんたたちがいて助かったよ」


「助かった? 何かしましたっけ」


「ほら、最初のとき、指を立てなかっただろ。あんたたちの真似したから、立てずに済んだよ。何か別のことが書かれているって気付けたからね」


 最初、イルヴァはアルフォンスが書いた文字を、最後までは読めなかったようである。それで指を立てようとしたのだが、ルナたちが立てていないことに気付いて、立てなかったのだ。目を凝らして魔力の流れを読み、何とか最後まで読めたとのことである。

 状況を見て判断するのも、ひとつの実力だ。

 イルヴァがルナに近寄ると、オルシアがその間に少し割って入るのは、ここ数日のいつもの光景だ。


「オルシア、あんたのルナを取り上げたりしないって」


「わ、私は別に……」


「知ってるかい? アタシたちの部屋にはもうひとつベッドが空いてるんだよ。誰か新人が入ってくるかもねぇ」


「え」


 オルシアが何かを考え込んでしまったので、その隙にイルヴァはルナと話す。


「それよりも街での話、聞いたかい?」


「街? いえ、まだ街に出たことがなくて。何かあったのですか」


「なんでも……、出るらしいよ……」


 イルヴァが勿体モッタイつけて言うので、ルナは息を飲んだ。


「……で、出る? まさか、幽霊ゴースト……?」


「は? ゴーストが出たって噂になんかならないよ。吸血鬼だよ、吸血鬼!」


「吸血鬼……」


 この世界でゴーストは下級の魔物でしかなく、魔術士の相手ではない。だが、吸血鬼ならば話は別だ。

 魔術士にとって吸血鬼は天敵だと言っても過言ではない。

 魔術士は準備して戦うのが得意である。前衛を用意して、その間に魔術を整え、確実に当てる。それが魔術師の基本戦術だ。そして吸血鬼は、奇襲を得意とする。魔術士の準備をすっとばして、いきなり懐に飛び込んでくるのだ。相性は最悪である。

 もちろん対抗するスベは存在しているが、それを準備するにも時間がかかるのだ。


「街の中に魔物が? でも、衛兵たちが対処しているのですよね」


「それが、もう犠牲者が何人か出ているみたい。オルシア、帰り道は気を付けなよ。学内に入ってくることはないと思うけど、あんたは家に帰るとき、街に出なきゃいけなんだからさ」


 オルシアはイルヴァに言われ顔を上げた。


「だ、大丈夫ですよ。変な人に絡まれたこともありませんし……」


「そうなの? ま、それならいいんだけど」


 街全体に魔物を遠ざける結界が張られており、さらに学園内には幾つもの結界による保護が為されている。この街は魔物に襲われる心配のない街として有名である。


(どうやって入り込んだんだろう……。まさか、魔王軍……?)


 ルナは少し不安に感じながらも、街へ出なければ倍丈夫だろうと考える。そして、空腹感を我慢できなくなり、大食堂への道を急いだ。


 ◆


 中庭に出たアルフォンスが肘を上げると、そこに立派な羽根を持つ鷹が留まった。


「何か進展が?」


 アルフォンスが訊くと、鳥が答える。


「はい。新しい犠牲者が出ました。グリオンの痕跡があったため、追跡しています」


 グリオンとは、翼竜を駆り、空を支配する航空部隊、通称『竜騎兵』の隊長である。

 軍の虎の子である航空部隊の隊長格ともなると、その扱いは騎士に近く、少しでも手柄を立てれば、こぞって叙勲しようとする貴族がある。アルフォンスも彼とは面識があった。以前の彼は、冷静で、部下に好かれる傑物だった。

 だが、今の彼は違う。


(ルナ君の元の住処に送った調査隊。その生き残り……。調査隊派遣を軍に持ち込んだのはこの僕だ。僕にも責任の一端がある)


 軍に所属しているため、知り合いが死ぬところは何度も見てきた。だが、こんな状態になった者は、アルフォンスは知らない。

 彼ら竜騎兵に、ルナの住んでいた場所の調査の命令が下った。

 報告書によれば、彼らは任務の途中で襲撃を受け、グリオン以外は全滅した。グリオンは意識がなく、翼竜が傷付きながらも帰還する。その後、翼竜は死に、グリオンも意識は戻らなかったが、彼の手記により、魔王軍の存在が明らかになったのである。

 任務故に仕方がないこととはいえ、この有様にはアルフォンスも罪悪感を覚えずにはいられない。


「家族には」


「知らせていません。まだ任務中であると思っています。魔物と化した姿を見せるわけには……」


 まだ若い妻と幼い娘が二人いる。確かにこんな報告をするわけにはいかないだろう。もし、してしまえば、彼を追いかける妻があらぬことをしでかすかも知れない。


「……部下たちを失い、気が狂ったというわけではないのですね」


「死体に残った痕跡は、彼が吸血鬼と化したことを告げています。排除するしかないと思います」


 吸血鬼は人が変化したものと、生まれついての吸血鬼と、二種類が確認されている。

 生まれついて吸血鬼は、屍霊術によって造られた人造の存在である。その作成方法は既に失伝しているが、何千年も前に造られた吸血鬼の王ヴァンパイアロードは、未だに生き残っている。

 そして、もう一種の吸血鬼は、その吸血鬼の王から生み出される。吸血鬼の王は人間の血を吸い、殺してしまうが、中には血を吸われても生き残る者がいる。それが吸血鬼の従徒レッサーヴァンパイアだ。

 従徒に変えられた者は、吸血鬼の王の人形と成り果て、元の人間に戻ることはない。


「吸血鬼は、わざとグリオンを逃がし、その吸血鬼化を遅らせることで、街に侵入させた。高度な戦術だ。魔王軍の手の物だと思って間違いないだろう。ルナを追跡するため? いや、ここにいることはわかっていないはず。純粋にこの街を陥落させるためか……」


「可能性はありますね。ルナさんにこのことをお伝えしますか」


 鳥は言うが、アルフォンスは首を横に振る。


「彼女は確かに強い魔術士ですが、この件には関わらせるわけにはいきません。教えれば、ルナはグリオンを探そうとするでしょう。自分のせいだと思い込んで。わざわざ危険に近付けるわけにはいかない。それにこれは軍の問題でもあります。同僚にトドメを刺すのは、軍人がやるべきでしょう」


 鳥は何も言わずに飛び立った。


(グリオン。彼を救う方法は、どこにあるのでしょうか。私がもっと上手く魔術を使えれば、彼を救うことができたのでしょうか。何が七魔剣だ。友を救うことのできない、ただの愚かな男でしかない……)


 アルフォンスは拳を握り締めた。何かを破壊したい衝動に駆られるが、唇を噛んでそれを堪え、鷹が飛んで行った夕焼けの空を眺めた。

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