第26話 一極集中
逆さ十字を中心に血の池が広がった。何処からともなく現れたそれは、この世に存在していなかった完全なる異物であった。
禍々しい装飾の施されたそれは、潰したミトの血を吸い取って脈々と赤く光り、白炎がシュガーと逆さ十字を囲い込む。
壁のように反り上がった白炎に閉じ込められ、動揺するシュガーの前に、再びミトが復活した。
相も変わらず喉は亡くしたままで、しかし悪化しない傷からは血も流れず、鮮烈なる痛みだけが彼を襲う。
しかし彼はその痛みを諸共せず、満面の笑みで逆さ十字に腰掛けた。
声を出せないミトが何をするのか、シュガーは満身創痍で彼を睨みつける。
すると彼は片手を持ち上げ、指を一本ずつ立てていった。
一本目。逆さ十字の真ん前に一つの心臓が浮かび上がった。
二本目。一つ目の心臓の隣に、新たな心臓が浮かび上がった。
三本目。二つ目の心臓の隣、逆さ十字を中心に円を描くように心臓が浮かび上がった。
四本目、五本目まで来て、指は一本ずつ折りたたまれる。その度に心臓が浮かび上がり、十二本目に到達した。
浮かび上がる心臓は、ミトが溜め込んだ命だ。
十三回の死を迎えたその時、ミトの最高峰の呪術は完成する。
白炎が昇り上がり、ミトと逆さ十字を飲み込んでいく。底知れない恐怖と違和感に苛まれ、慌てて逃げ出そうとしたシュガーの手足が、なにかに強く掴まれた。
「ッ!?」
見下ろしてみると、そこらに転がっていたミトの死体がシュガーの体を掴んでいた。この場から逃がすことなど許さず、然るべき罰を受ける相手を道ずれにするがために、命を失った器が動き出したのだ。
それも呪術だ。炎も呪術だ。『呪歌』も呪術だ。死も呪術だ。今はもう、ミトの存在そのものが呪いのようにこの世にこびりついているのだ。
シュガーはミトをここに囚えてしまった時点で呪われていたのだ。
「はな、せ……!」
残った右手でナイフを叩きつけるが、既に死んでいる死体に限界などなく、頭を刺しても胸を貫いても止まらない。
十二体の死体のうち、下半身を失ったミト。そう、まだ髪がピンク色だった時のミトの死体が、シュガーの体をのぼり上がってきた。
片目しかない瞳を向け、ミトの死体はケラケラと嗤う。
「これは、僕からの最大級の呪い。あなたがどこに逃げようと、どんな解決策を結ぼうと、どんな光に守られようと、必ず全てを奪い、腐らせる呪文。僕を、僕達を苦しめた、その報いを」
呪いの一矢は、白炎を切り裂くミトの手から放たれた。
「『呪神恋歌』」
白炎が、差し伸べられたミトの手のひらからゆっくりと進み出し、やがてそれは、ミトの死体に捕まったシュガーへと到達する。
「ッ、まずい……!!」
どうしたって逃げられない。迫り来る最強の呪いに、シュガーは為す術なく呑み込まれて───
「ッッ───!!」
「んがっ!?」
その時、屋敷の壁がぶち破られ、オレンジ色の火炎がミトを弾き飛ばした。ミトが焼け焦げて、一瞬して炭化するほどの火力。そんな馬鹿げた破壊力を持つ火炎の正体など一つしかない。
「ヒバリ!!」
シュガーに名前を呼ばれ、呼応する幻獣が炎の蹄で駆け出した。『呪神恋歌』を追い抜き、ミトの死体を蹴散らして、シュガーを背に乗せて走り出した。
「ほんと……いい時に、来てくれた……!」
ヒバリはシュガーの感謝に鼻を鳴らし、空を踏みつけてシュガーをアルゲータの元へと連れていく。
「あー!!ちょっとー!!逃げるなー!!」
破られた屋敷の壁穴から、たった今復活したミトがぷんすかと怒りながらそう叫んだ。
シュガーは一旦の危機を逃れ、しかしまだ完全なる解決に至ってないことを理解する。背後からは、あの白炎がシュガーに追いつこうと迫ってくる。
その速度は徐々に高まり、その質量も時間によって増大している。
おそらくあの炎は、シュガーを殺すまで止まらないのだろう。
襲撃に来た『へレディック』の戦力も半端じゃない。巷で噂の『魅惑』と『勇魔』。それに加えて最高階級の仮面を付けた者達が湧いて出た。
更に更に、死なない呪術師の誕生によって、戦況はアルゲータ達側にかなり不利になってしまっている。
だが、ミトは例外として、不利状況になることは予想できていた。故に、
「王都に、連絡をしておいて、良かった」
シュガーは王都で築き上げた連絡網を駆使し、ミトを囚える前に王都に連絡を寄越していた。申請した通りの人員を手配してくれるなら、こちらの勝利はほぼ確実。
それまでシュガー達がすべきことは、
「生き、残ること」
今までだってそうだった。危ない状況に陥っても、アルゲータの根性とシュガーの冷静なる判断で乗り越えてきた。今回も同じようにするだけだ。
「行こう、ヒバリ」
親友の幻獣が嘶くのを聞きながら、シュガーはなんとか意識を手放さないように努めるのだった。
~~~
「いやいやあんな土壇場で逃げますかね、普通!」
白炎に包まれた屋敷の中、シュガーを追うためにミトは細い足を必死に動かして走っていた。
別に飛び降りてもよかったが、自室に少し心残りがあったので急いでいる。あんまりぐだぐだしていると、自室さえ白炎に呑み込まれかねない。
「お待ちなさい」
「んん?」
そうして息を切らしているミトの前に、一人の剣士が立ちはだかった。
その人物は、焼けこげたメイド服を来たフリダラであった。手にはいつもの木刀ではなく、人を殺すための鉄の刃が握りしめられていた。
色を失った髪を持つミトは、前とは大分見た目も雰囲気も変わっているというのに、フリダラは一目でミトをミトだと見抜いているらしかった。
「全く、あれほど心血注いで教育したというのに」
「まぁ、潜入調査ですから」
「あなたは、真人間だと信じていたんですよ」
「うーん、僕も真人間だと思ってましたよ」
「……何があったのかは知り得ませんが、あなたがしたことは許されざること。屋敷に火を放つなど」
「えー?僕がしたってよく分かりましたね。でも僕だってしたくてしたわけじゃないんですよ?シュガーさんの異空間が突拍子もなく割れちゃうから火がバラけちゃっただけであって───」
「お黙り」
ペラペラと喋るミト、その首が踏み込んだフリダラの一振に切り飛ばされた。
脳という司令塔を失った体は痙攣し、血を拭きながら地面に倒れる。宙をクルクルと舞う頭を一瞥し、フリダラは剣を鞘へ収めた。
「ふぅ……」
久しぶりに人を殺したフリダラは深くため息をついて落ち着きを取り戻す。飄々と言い訳を並べるミトを見て、以前の可愛らしかったミトの面影が感じられず、そのギャップにショックを受けたフリダラはそれを振り払うために刃を振るった。
なんにせよ、屋敷に火を放ったミトは敵だ。水でも消えない白炎がどんな能力に基づいたものかは分からなかったが、それは殺してしまえば関係の無いことだった。
「ちょっとー、人の話は最後まで聞きません?」
だが、その戦法はミトには通用しなかった。
「ッ!?」
切り飛ばしたミトの頭。それがすぐ隣に突如として現れた人物にキャッチされ、驚くフリダラの土手っ腹へ、その顔面が叩きつけられた。
「な、なんです!?」
「僕の『天命』に、メイド長は勝てませんよ」
殺したはずの少年がぴんぴんとした様子でそこに立つ光景を目の当たりにして、フリダラの頭が混乱する。
しかしフリダラの理解など待たずして、ミトの呪術が発動する。
「『
叩きつけたミトの頭が、白炎を吸い込んで膨張し、フリダラへ大口を開いて迫る。
開いた大口の先にある喉は失われているため、その頭がフリダラにかぶりつこうとする瞬間、喉越しに見えたミトは手を振って、
「さよなら、メイド長」
そのミトの言葉を最後に、フリダラの命は噛み砕かれた。
~~~
「もう、無駄時間食っちゃったな」
屋敷の中を走って自室へ向かう。ただそれだけでかなりの時間を要した。何故ならば、出会うメイドのほとんどがそれなりの戦闘の腕をもっていたからだ。
死なないミトが負けることはないが、処理はかなり遅れる。呪術もまだ慣れきったとは到底言えず、一瞬で殺せるナナメが今は羨ましい。
「そういえば、命の価値がどうとか僕言ってたな」
既に五十を超える回数死んでいるミト。手軽に死ねるようになってから、命の価値なんて着目しなくなった。
今は命の価値とか意味とか、そういうのはどうでもいい。
とにかく、今はメロに会いたい。褒められたい。愛されたい。
「あ、ここだっ」
ギリギリ白炎に侵されていない自室の扉を開け放ち、ミトが探しに来たものというのが、ベッドの脇に置かれた、弦楽器ウルールであった。
「これだけは、死んでも捨てたくなかったんだよねぇ」
ウルールの無事を喜び抱擁する。冷たい木の感触に満足したミトは、ウルールを背に背負って鏡を見た。
死ぬ度にメイド服まで複製するミトの能力だが、そのメイド服も参照対象が徐々に変わるせいか既にボロボロで、しかしそれが今のミトには似合っているような気がした。
「僕って結構可愛いじゃん。……メロさん、僕に発情とかしてくれないかな……」
解釈的に不一致ではあるものの、その状況になればもちろん受け入れたい。そんな妄想を繰り返しながら、ミトは屋敷を後にしたのだった。
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