第16話 葛藤

「はぁ……」


 大きく溜息をつきながら、バルコニーを掃除しているミトは俯いた。昨夜の過ちとも言えるナナメとの会話を反芻しては自己嫌悪に陥っている。


『そんなに気にするって、ミト氏どんだけ優しいのさ』

「そう声をかけてくれるワルフさんのが優しいですよ……」

『いやそれな。俺超優しい』

「はぁ……」

『それ、俺に対してのため息じゃないよね?』


 掃除の手も遅まり、次の仕事の時間が押されてしまいそうになってくる。そう、ミトが鬱な気持ちに迷っていると、


「あれぇ?どうしたのミト君。元気ないじゃん?」


 バルコニーへ、煙草を咥えたままやってきたのはシュガーだった。


 紅葉色の髪を風に揺らしながら、シュガーはゆらりゆらりと根無し草のように規律なしに動く彼は、掃除をするミトの顔を上から覗き込んできた。


 身長差がかなり大きく、シュガーが腰を折ってなおかつミトが首を真上にあげてようやく目があった。


「あ、シュガーさん」

「あい、シュガーさんですよ。悩める男子がバルコニーにいるのが見えてね」


 ニッコリと笑うシュガーは優しくミトの頭に大きな手を置いた。


「それで?君は何についてお悩みなのかな?」

「うーん……聞いてくれます?」

「もちろん」


 敵でありながら、ミトはこの沈鬱な気分から開放されたい一心で昨夜のことを噛み砕いて説明した。


 同じ部屋で生活する同僚の気を悪くするようなことを言ってしまったこと。そして相手は強く言い返してこない優しい人であること。加えて、自分の言葉に間違いがあるとは未だに思えないということ。


 それらを聞き終えた頃には、シュガーは次の煙草に火をつけていた。


「なるほどねぇ……君にもそんな悩みがねぇ」

「君にもって、意外でした?」

「そりゃあ、君は明るくて可愛がられて、ナナメさんも君のことは結構信頼してるように見えるからさ。まぁ仲が深まれば深まるほどに、互いの譲れないところがぶつかり合うものさ」


 ミトの悩みに、シュガーは笑って遠い目をした。同じようなことを経験したことがあるのか、シュガーはかなり親身になってミトに寄り添った。


「ミト君が、ナナメさんに何を伝えて、どうして欲しいのかによるかな」

「というと?」

「ミト君の意見をナナメさんが聞き入れて、それが正しいと納得して行動を改めて欲しいのか。それとも、その思いだけを知っていて欲しいのか。この二つの違いは大きなものだよ」


 煙を吐き出し、シュガーはバルコニーから見える領主の部屋を指さした。


「あいつは、昔からの友人だけど、僕が一番ムカついた回数が多いのはあいつさ」

「仲がいい故の、喧嘩ってやつですか」

「互いにぶつかり合ってるとさ、角が削れあって丸くなってくんの。そしたら二つの意見の、それなりに合う形が見つかるってわけ。無理にとは言わないけど、ナナメさんともっと喧嘩してみたら?」


 二本目の煙草を半分ほど吸って、大きく煙を吐いた後、シュガーはまたミトの頭をゆっくりと撫でて、


「ま、大いに悩みたまえ少年。それだけ君は、他人のために悩めるってこと、忘れちゃダメだよ?」


 靴をつかつかと鳴らしながら、背中越しに手を振ってきたシュガーを見送った。


 一人残されたミトはシュガーの言葉を頭の中で反芻し、握りしめている箒へ額を押し付けた。


「なんか……僕ってちっちゃいなぁ……」


 誰にも聞こえない独り言は、穏やかに吹く風の音にも掻き消されるほどだった。


~~~


 ミトは悩んだ。自分は今どうするべきなのか。


 メロに言われるがまま話が進み、『へレディック』の一員とされてしまって、ナナメと潜入捜査を強要されて。


 でも、不思議とメロやナナメ達を悪い人だとは思えなくて。一緒にいて楽しいと感じる自分が、確かにいて。


 人を殺すなというのは、エゴだろうか。これ以上罪を重ねるなと願うのは、傲慢だろうか。


 ミトの願いは、ナナメ達の使命には遠く及ばない。彼女らは罪を重ねるし、そこには彼女らの譲れないものがある。


 多分それは、ミト如きがぶつかっても削り合えない、ミトが砕けてしまうような硬く鋭いものなんだろう。


 だったら、だったらせめて──


「ナナメさん、僕も夜の探索、手伝わせてくれませんか?」

「……なんで?」


 夜、いつものように地下室の探索を始めようとしたナナメへ、ミトはそう切り出した。日中は普段通りに接してくれていたナナメだが、この時ばかりは本気で嫌そうな顔をミトへ向けた。


 気分を害したのは分かっているが、ミトもここは引き下がらない。


「お願いです。あなたにだけ、悪いことをさせたくない」

「……また罪と価値の話?あれはあそこで終わったじゃん」

「はい。なので、これはまた別の話です。いかにあなたの悪さを僕が代われるか。それが今の話です」

「はぁ……勝手にしたら?」


 そう言うと、ナナメは壁を蹴り上げ、天井のある場所を軽く押し上げた。屋敷内を動き回るための天井裏の通路。ナナメが見つけだした、彼女だけの移動区間だ。


 そそくさと行ってしまったナナメ。ミトは決心し、椅子を積上げて天井裏へとなんとか侵入した。


『ミト氏、マジで行く気?』

「はい。ワルフさんも、手伝ってください」

『俺も巻き込まれ……まぁ、ミト氏のために、ちょっと夜更かししますかぁ』

「……ありがとう」


 それからミトは、夜にナナメの後に続いて本格的な探索を一週間ほど繰り返した。


 ナナメはいくつか人が通らない場所や通っても見つかりずらい角度、侵入しやすい経路を独自に見つけていた。彼女の後を追うのは骨が折れたし、ミトの身体能力でナナメについていくのは不可能に近かった。


「うわ!?」

「やばい!右から人が来てる!」

「ぎゃあ!?鼠!?」

 

 ナナメのようにスムーズにいかないミトは、度々不振な姿を目撃されかけた。その度にナナメに助け出され、手伝うどころか仕事を増やす始末。


「……あのさぁ、正直言って本当に邪魔だから、帰ってくれる?」

「あぅ……」


 物凄い鋭い視線で見下ろされながらそう告げられ、ミトは夜中にトイレに出向いたという体で自室はととぼとぼ戻って行った。


『いやぁ、マジで無理だったな。ナナメ氏があんなにやばい経路使ってるとか思わないし』

「……はい……」

『あーえっとぉ……まぁ、そう気を落とすなよ!ほら、ミト氏がいくつか見つけたトラップもあったろ!?』

「まぁ……それは、ナナメさんだって、見つけられただろうし……」


 屋根裏、軒下、階段裏。ありとあらゆる場所に、見えづらいトラップが仕掛けられていた。おそらく、呪術師であるシュガーが仕掛けたものだろうとナナメは推測していた。


 言いたいことを包み隠さず、自らの正義をぶつけまくるアルゲータは、味方も多いが敵も多い。それ故、暗殺を防ぐ目的なのだろうか。


 トラップゾーンはナナメがある程度把握していたが、今夜だけでミトが四つほどその場所を見つけた。ナナメを手伝えたと胸を張って言えるのは、その程度だった。


「僕って……生きてる意味……」

『そこまで行く!?そんなに落ち込むなって!俺もあるから!ここに俺いらなくね?ってなることめっちゃあるから!』


 首が繋がっている理由を考え始めたミトへ、脳内で激励を送ってくれるワルフ。ありがとうと口にする元気すらなく、萎れたミトが自室へ向かう途中の最後の角を曲がったその時、


「うわぶ」

「おっと、すまんすまん」


 視野狭窄を引き起こしていたミトは、無様に前から歩いてきた人物に突入してしまった。大きな胸板に受け止められ、顔を上げたそこには、この屋敷の主であるアルゲータその人の顔があった。


「ミトか。こんな夜更けに、便所か?」

「まぁ……そんなところです」

「そうか。ちゃんとうんこは流したか?」

「流しましたよ、人間なんですから」


 文化人にはあまりしない質問をしてきたアルゲータに、ミトは気力なしに答えた。その俯き加減と声の張りのなさから、アルゲータはミトの顔を覗き込み、


「大丈夫か?シュガーからも聞いたが、お前最近悩んでるんだろ?ナナメとの関係が上手くいってないって」

「上手くいってない……わけじゃないですけど……僕が一方的に地雷を踏んでいるというか、もう生きてる意味感じられないっていうか……」

「おぉ……それは重症だな」


 あまりに重い雰囲気を纏うミトに、アルゲータは赤髪の生えた頭を搔いた。


「んー……おし分かった。ついてこい」


 何かを決めたらしいアルゲータがミトにそう言って歩いてく。自室に戻ってもやることの無いミトは言われるがまま、アルゲータの背中を追いかけて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る