第9話「公開の昼、“うまい地味”で揚げずに勝つ」

 朝の鐘が一つ。

 掲示板には最小限の三行だけ——

〈本日の朝:五分で起きる匂いV(白胡麻+薄蜜・弱)〉

〈本日の昼:公開の昼(揚げ物禁止/十秒→棒→折れ線→円)〉

〈本日の夜:薄い勝利の夜食・“拍の余熱”〉


 学園の食堂は相変わらずカリ、ふう、コトの三拍子で目を覚まし、学生たちの目の焦点は近くに寄った。ミナが「三タテの日ですね」と笑う。私は親指を立て、銀縁皿を布から出して朝日で磨き直した。家の拍は、今日、返ってくる。



 王宮の別棟「公開の昼」会場は、議場を改修した半円形のホールだった。客席は議員と各省の実務官、王宮厨房の面々、学園寮長に保護者代表まで。香りの嫉妬を避けるため、湯気の矢印は半度ずつ寝かされ、観覧導線は鼻の渋滞が起きない角度で組まれている。衛生監察官イラ・トルテが最後に温湿度を確認し、目だけで「合格」と告げた。


「今日の三皿、運ぶのは交代制だ」

 近侍のカイ・レンストが指揮棒のように視写器板を掲げる。「**“誰が運んでも拍が揃う設計”**を示す」


「了解。段取りは人を選ばない」私は深呼吸し、黒板代わりの白布に十秒を走らせた。

「笑顔KPIは腹で測る世論調査。おかわりは信任投票。居眠り減は治安維持。」

 会場の空気が半拍ほど緩む。笑いは、今日の油の代用品だ。


「献立」

 一、“可視化粥・公開仕様”——丼の内側に二線、匙の背に小点、縁に「一線=喉の開き/二線=発言準備」の小さな刻印。

 二、“反逆サラダ・合唱版”——器の縁に四つの白点(噛み質問Q1〜Q4)、葉はロメイン/クレソン/茹で小麦/柑橘薄膜+ローストナッツ。

 三、“肉なしメンチ・公開改”——焼き上げで衣なし、表面にパン粉“降らし”、皿隅に小豆の梯子三粒。揚げゼロ、音は薄雨。


 総料理長ゲルナーが横でうなずく。「うまい地味、準備完了だ」



 開始の鐘が小さく鳴る。

 私は短く挨拶した。「本日の台所は命令ではなく合図で回します。角度は半度、言葉は十秒、勝利は薄く。」


 まずは可視化粥。配膳係は私と、王宮の若手、それから学園寮のブラーク。三者混合で運ぶ。匙の背の小点が、食べ手の視野に入るたび、「今どこ?」が口の中で答えを出す。

 王太子は二口で一線目、四口で二線目をなぞり、匙を置いた。「自分の拍が見えるのは、会議を一人称にするな」


 次に反逆サラダ・合唱版。私は噛み質問を白点に沿って短く案内する。

「Q1、噛み始めに自信が出るか(ここ)

 Q2、途中で笑えるか(ここ)

 Q3、角が丸くなるか(ここ)

 Q4、次の議題を口が待つか(ここ)」

 客席がカリ、ふうと噛むたび、紙の音が柔らかくなり、咳払いが遠のく。怒鳴り声の予備軍が、発声練習のほうへ移動する音がした。


 続いて肉なしメンチ・公開改。焼き板で生まれる薄雨の音が、ホールの木の壁にやさしく吸われる。小豆の梯子は、眠気の谷に橋を架ける遅れてくる助力だ。


 カイが視写器板に数値を重ねる。「発言の重複 -26%、足踏み回数 -33%、昼の沈没率 今日最低」

 保健官が頷く。「救護室搬送ゼロ。怒らない酸の寄与が見て取れる」

 参事官は棒・折れ線・円を指で示し、「王宮+学園+役所、三者とも右肩。おかわり率は王宮1.8、学園2.2、役所1.5。無駄拍削減、財務は肯定する」と淡々と読み上げた。


 ——その時、場外から衣の音。

 ホール後方で、外部業者の誰かが揚げ串をかざし、香りの矢印を乱そうとした。「やっぱ揚げだろ!」という古油の論法。湯気がざわりと揺れる。


「角度、半度戻す」

 私は家政魔法〈湯気誘導〉と〈香り骨格矯正〉を重ね、香りの矢印を客席の胸元で受け流し、議場の中心へ静かに通す。衣の音は壁へ散る。

 ゲルナーが合図もなく立ち、揚げ串を外へ下げさせる。イラが記録板に**“揚げ物持込:退去”**と一行書き、眉ひとつ動かさない。

 私は何事もなかったように皿を差し出した。「揚げの音は祭りへ。政は地味で」


 会場に散っていた緊張がふっと座る。王太子は笑いを堪える気配だけ見せて、「続けよ」と短く。拍は崩れない。段取りは、人を選ばない。



 デモンストレーションの締めは十秒→棒→折れ線→円の可視化セット。

 私は十秒をもう一度だけ噛ませ、棒(笑顔KPI)/折れ線(争い率)/円(おかわり構成比)の順に出す。数字は歌詞に見え、客席に合唱が生まれる。

 “香りで操るな”派の議員が、匙を持ったままため息をついた。「……操られてはいない。歩幅が揃うだけだな」


「交通標識と同じです」参事官。

「鼻は階級に従わないから、嫉妬だけは発生します」とイラ。「だから半度」


 差配官エイドルが立ち上がる。「結論の実行。ステンマイア家台所・条件付き返還の本施行。本日付で保管解除、器具一式の返還とする。併せて、王宮・学園双方で**“笑顔KPI”の月次運用**を試行。異議?」


 灰色の波が静かにうなずく。拍は、完全に揃った。

 私は胸の奥で、揚げ箸ではなく匙を握りしめた。今日は揚げずに勝った。



 式のあと、廊下で。

 ゲルナーが口の端だけで笑う。「地味の王。お前に王冠は要らんが、匙の勲章は似合う」

 カイ・レンストは短く。「明日から王宮は**“拍マニュアル・暫定版”**で回す。誰が運んでも崩れない、人に依存しない段取りだ」


「段取りは人を選ばない。合唱、続けましょう」


 イラは帳面を閉じ、「においの嫉妬、今日は最小。半度、よく守った」と淡々。

 参事官はぽつりと。「昼が、楽しみになってしまった。不本意だが、業務効率に寄与するなら敗北ではない」


 差配官エイドルが近づき、革の袋を差し出した。中には小さな鍵束と、一通の書状。

「返還の証だ。鍋・包丁・寸胴・杓子・ざる——過半が戻る。七日間の実績継続、契約の透明化、月次KPIの提出を忘れるな」


「忘れません。勝率はルーチンで上げるものです」


「それと——」

 彼が少しだけ声を落とす。「王太子からの私信。“平穏を持ち込め”。胃袋外交官、とは書いていない。だが、匙での合意形成を期待している」


「匙での合意形成、いい言葉です」



 学園に戻る前に、私は一件だけ寄り道した。王都財務庁の保管庫。

 埃を被っていた木箱から、銀縁皿の兄弟たちが次々と現れる。縁は黒く、家紋は眠っている。

 〈銀の記憶起こし〉を流すと、**“勝った音”**が薄く立ち上がった。家の拍は、忘れていなかった。



 夕刻の学園。

 寮の食堂では、ミナとブラーク、そして“影の整理班”のラドが、逆風の当たりをもう一度見直していた。

「半度、現場で覚えました」とラドは言い、鍵束の扱いはもう嘘のない角度だった。


「返ってきたよ」

 私はテーブルに鍋・杓子・ざるを一つずつ置き、最後に銀縁皿を棚の一番見える場所へ据えた。金属の縁が、夕焼けの拍で細く光る。


「お嬢さま、祝いは?」ミナが目を輝かせる。


「整えだよ」私は笑う。「薄い勝利の夜食。“拍の余熱”——白だしに薄い米、柑橘薄膜、角のない蜂蜜をひと滴。食べたらすぐ眠くなるけど、悪い眠気じゃない」


 配膳しながら、私は黒板に**“誰でもできる拍(暫定)”を書き出した。

 —二線の粥(自分で速度を見る)

 —四点のサラダ(噛みで質問に答える)

—梯子の豆(眠気の谷に橋をかける)

 —半度(香りの矢印を妬まれない角度に)

 —十秒(数字を噛める言葉**にする)


 食堂では、「公開の昼、こっそり見学した」「配信は匂いが乗らないから無理なんだってね」という紙が増えていく。紙は素朴だが、最強の広告だ。**“生活の側”**に貼られるものは、信頼される。


 ラドが盆を下げながら、ぽつりと言った。「謝る匂い、効きました。薄い勝利も、効きます」


「薄いは続くの別名だからね」



 消灯前。

 私は銀縁皿の前に立ち、白いチョークを握った。壁の余白に、今日の一行を残す。


〈今日の家政Tips:揚げずに勝つ日は、十秒で噛ませ半度で通す。段取りは人を選ばず、鼻は階級に従わない。薄い勝利は、続く勝利。〉


 明日からは返還後の一週間。黒字化は、いよいよ日常の仕事になる。

 王宮は拍マニュアルの調整、学園は試験週間の後半戦。

 平穏は、祝うより整える。

 私は灯を落とし、拍の余熱が静かに部屋を温めるのを確かめた。匙の重さは、そのまま合意の重さだ。

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