13 許してもらわないといけなくない関係

 俺がこっちの世界に残ると言ったら、レオは嬉しいか。


 そんな俺の質問に対して、レオは目を大きく開いたまましばらくの間何も返してくれなかった。……あれ? 予想外の反応だな。てっきりキラッキラした目で「聖女様であらせられるハヤトに残っていただけるなんて、こんな奇跡があるのでしょうか!」とか言われると思ったのにな。


 体感で一分ほど見つめ合った後、何故か驚いたように目を瞠っているレオが尋ねてきた。


「……ハヤトはその、元の世界に戻らなくてもよろしいのですか? 最初に早く帰してくれと仰られていたので、私はてっきり」

「へ?」


 レオの言葉でようやく、俺がずっと元の世界に戻りたがっているとレオが思っていた事実に思い至った。道理で最初から「レオの国にある召喚陣で帰れるかも」とか、とにかく俺を帰す方向で話をしていた筈だよ……! ラノベやアニメで見かけるパターンだと「帰らないで下さい!」とか「帰れません……!」とかが多かったから、正直意外に思ってたんだよな。ようやく納得だ。


 でもまあ実際問題、あの時「帰れません」なんて言われていたら、ただでさえ混乱気味だったから更に取り乱していたことは間違いない。間違いないんだけど……そっかあー。そうだよな。どれだけ一緒にいても、言葉にしないと伝わらないことってあるもんな。叔父一家とのアレコレでわかっていた筈なのに、俺はまた同じ失敗を繰り返そうとしていたらしい。あっぶな。


 第一、俺にとって叔父一家とレオは全くの別物だ。俺はあの人たちに理解してもらうことは早々に諦めたけど、レオとはちゃんと理解し合いたいと思っている。俺にとってレオは全ての世界の中で一番温かい人で、頼りになる人で、とにかく……なんか知らないけど、やっぱり片時も離れたくないと思っちゃうくらい傍にいたい人なんだよ。


 最初こそ抵抗があったけど、手を繋ぐのだって今じゃちっとも嫌じゃない。むしろずっと繋いでいたい。俺の味方でいてくれるレオの腕の中は俺が心底安心できる唯一の場所になっているから、もう今更誰も味方のいない元の世界になんて戻りたくなかった。戻ったらきっと、寂しさと不安に耐え切れずおかしくなってしまうだろうだから。


 俺はもう二度と、突然両親を失ったあの時と同じ喪失感を味わいたくはなかった。


 勿論、レオが「聖女を守らないといけない」という義務感から俺を守ってくれているのはわかっている。でもレオから感じる眼差しは最初の頃に比べて柔らかく感じるし、もし俺のことをこれっぽっちも好きでもなんでもなかったら、こんなに過剰なまでに接触している癖に嫌な顔ひとつしないなんてことがあるか?


 だから俺は、レオも少しは俺――聖女という存在じゃなくて俺自身――のことを好ましく思ってくれているんじゃないか、と考えるようになっていた。


 自分のこの感情をなんと呼べばいいのか、俺にはわからない。ただレオの隣にいたい、それだけが今の俺の願いなんだ。だからレオが望むなら、聖女としてできる限りのことはしたいと思っている。そりゃあ何をしないといけないかがさっぱりだから正直なところ怖さはあるけど、レオが隣にさえいてくれれば、きっと勇気は出る筈だから。


 だったらちゃんと、叔父の時とは違って諦めずに言葉にして伝えないとだ。


「……あー。確かに言っていたけど。でもさ、あの時はまさか異世界召喚されたなんて思いもしてなかったから、単に家に帰って早く休みたいって意味だったんだよ」


 俺の言葉に、レオが笑っちゃうほどの驚愕の表情を浮かべた。効果音は「ガーン!」とかかな。ははっ。


「えっ、そうだったのですか……!? なんと、私はてっきりハヤトはずっと元の世界に帰りたいのだとばかり……!」

「あの時は俺の口が辛子マヨネーズを求めてたんだよ」

「カラシ……マヨネーズ、とは……?」


 レオが不思議そうに小首を傾げる。実は異世界召喚された時に持参していたインスタント焼きそばも缶ビールも、まだレオの鞄に大事にしまわれたままだった。レオが「ハヤトの大事な物ですからね、細心の注意を払って運びます」とか言うからさ、数百円で買える物だよとは言いづらかったんだよな。


 それと、俺と元の世界を繋ぐ数少ない品物だったこともあって、なかなか食べる気が起こらなかった。賞味期限は大丈夫かっていう問題はあるけど、今日が何月何日かも最早わからないしさ。


 ここでいいことを思いつく。


「……レオさ、もし興味があるなら今度一緒に食べてみる? 辛子マヨネーズ味」


 少なくとも、こっちの世界では辛子に該当する味覚にはまだ出会っていない。食べた瞬間レオがどんな顔になるのかと考えるだけで、笑いが込み上げてきそうになった。


 俺の提案に、レオの目が更に大きく開かれる。


「え!? あの品物は食べ物だったのですか!?」

「はえ?」


 まさかのそこからか。でも俺の世界の様子を一切知らないレオから見たら、訳のわからないパッケージにしか見えないか。


 笑ったら失礼かなと思ったけど、レオの驚く様子が可愛すぎて思わず笑いが漏れた。


「うは、うん、実はそうなんだよ。ちなみに水っぽいほうはお酒だよ」

「そうだったのですか!? 私はてっきり聖水か何かかとばかり……!」

「元の世界ではただの一般人だった俺が聖水なんて持ってるかよ」

「そ、そうですよね……っ」


 まだまだレオの反応を見て楽しみたいのは山々だったけど、話を戻さないとだ。俺はまだ肝心なことを何も伝えていないんだから。


「――でさ。俺はよく考えてみて、思ったんだ。あっちに戻っても、俺にはなーんにもないってさ」

「どういうことです……?」


 実はどんよりしちゃうかなと思って、レオには両親のことや俺の育った環境についてはまだ話していなかった。


 でも、そろそろ話してもいいかもしれない。


 レオの碧眼を真っ直ぐに見つめる。レオも当然のように俺の目を見つめ返してくれた。


「俺の話、重いけど聞いてくれる?」

「当然です」


 レオの顔が真剣そのものに変わる。はは、これだから俺はレオが好きなんだよな。……ん? 好き? 勿論好きだけど、この好きって、あれ……いや、とにかく今は俺の事情を説明して、レオにこの先もレオが嫌だって思うまでは一緒にいてもらえるよう説得しないとだ!


「俺さ、子どもの時に両親を事故で亡くしちゃってさ――」


 異世界での出来事を、世界が違うレオに説明するのには時間がかかった。俺も決して説明は得意って訳でもないし。


 だけど俺が中途半端な気持ちで言っているんじゃないとレオにわかってもらう為に、理解してくれるまで細かく説明していった。


 レオは時に痛ましそうな表情を、時には俺を抱き締めながら、最後まで話を聞いてくれた。大筋は理解してもらえたと思う。


「――だからさ、レオにとっては重いかもしれないけど……。俺はレオがいる場所にこの先もいたいなって思っていて、だからレオが望むなら聖女の仕事もきっちりこなそうと思ってるんだけど……。この先もレオといたいと思っていても、迷惑……じゃないかな?」


 へへ、と情けなく見えそうな笑みを浮かべながらも、なんとか俺の気持ちを伝え切った。


 あとはレオの反応だけだ。どうかな、嫌そうな顔はしてないかな――。ドキドキしながらレオの反応を待っていると。


「ハヤト……!」

「むぐっ」


 気が付いた時には、レオの逞しい腕の中に包まれていた。


「迷惑なんて、ある筈がありません……!」


 ――やった! よかった、やっぱりレオは俺のことを嫌だと思っていないんだ! なんとなくそんな気はしてたんだよな! でも本当よかった、許してあげないといけない程度の妥協が必要な存在だなんて、レオは、レオだけは思っていないんだ――!


 嬉しくて、嬉しすぎて、笑みと一緒に涙が滲んでくる。


「それってさ、この先もレオと一緒にいられるってことでいいのか……?」

「私は……っ、ハヤトとこの先も一緒にいたいです……!」


 それはイエスともノーともどちらともつかない返答ではあったけど、レオが俺自身と一緒にいたいと願っているように聞こえたから――。


「……へへ。レオ、大好きだよ。だから俺から離れないでくれよな、頼むから」

「! ハヤト……!」


 腕をレオの逞しい胸周りに回して精一杯の力で抱きつくと、レオは俺の後頭部と背中にあてた手をぎゅうぎゅうに押してきて、俺のことがちゃんと大事だということを態度で示してくれたのだった。

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