4 隼人、いい加減認める

 ここまできたら、いい加減認めざるを得ない。


 俺がいる場所が施設の中とかプロジェクションマッピングとかじゃなくて、本物の異世界だということを。


「レ、レ、レオぉぉおおおーっ!」

「聖女様、私から離れないで下さい!」


 レオはパニックで喚く俺を、左腕できつく抱き寄せる。見たこともない化け物に向かって、剣身が白に輝く剣を構えた。


 ◇


 時間をちょっぴり戻す。


 暗い城下町を抜けて、レオ曰く王都だという街を出て暫くの後。


 月が三つもあるお陰で結構明るいけど、街灯もない夜道であることに変わりはない。ここが街道なのか森の中なのか、文明の明るさに慣れ切っている俺の目にはそれすらも判別つかなかった。


 レオは周囲への警戒をマックスにした状態で俺の肩を抱いたまま、俺にはよく見えない道をズンズン進んでいった。腰にぶら下がっている剣の柄に常に手を添えているのが、リアルさが増して怖い。


 そんな時、真っ暗な木々の間から赤い光がチラチラと瞬いているのに気付いた。当然ながらレオも気付いていたようで、鋭い眼光でそちらを睨みつけている。


 あ、これなんかやばいやつ? ゲームだと不穏なBGMが流れ始める展開?


「レ、レオ……?」


 俺はヒョロガリだけど身長は一七五ある。その俺の全身を隠せるくらい、レオは背が高くて体格もよかった。


 細マッチョとガチムチの中間体型で、「俺もこんなムキムキボディだったらな……」と思わず溜息が出そうなナイスボディなんだよ。さっき生着替えをガン見したから知っている。


 本来なら、男にすっぽり包まれるなんて何クソ案件だ。だけど顔も身体もここまで良いと、腹も立たない。ただひたすらに尊敬の対象だ。


 俺がこんな訳のわからない状況下でも恐怖や混乱もなく動けているのは、ひとえにこの筋肉の厚みから伝わる安心感のお陰だと思う。筋肉は偉大だ。


 そんなレオが、全身を緊張で強張らせている。これが俺にとって恐怖でない筈がなかった。ちょ、ちょっとそういう演出やめようよっ、怖いんだけど!?


「これはお芝居、きっとプロジェクションマッピング……!」と自分に言い聞かせてはいたものの、そもそも何もかもがリアル過ぎるんだよ! 完成度が高すぎてマジで泣きそう……。リアルの境界線が薄れるっていうの? 周囲の暗さも相まって、俺は自分が真っ直ぐに立っているのかすらあやふやな感覚に陥っていた。早くおうちに帰りたい。辛子マヨネーズがどんどん遠のいているし。


「――聖女様っ!」

「はえっ!?」


 レオが突然俺の腰を掴むと流れるように剣を抜き、闇に向かって真横に一閃した。レオの剣身が白く発光していたので、都会っ子の俺の目でも剣の軌跡が暗闇に鮮やかに残っているのを見られた。


『ギャンッ!』


 鳴き声と共に、いつの間にか目前まで迫ってきていた黒くて大きな塊が、どこかに弾き飛ばされる。レオが驚いたような声を漏らした。


「これは……ノワールファング闇狼!?」

「はえっ!?」

「狼の魔物です。通常ならこんな街の近くには現れないのですが……」


 緊張がレオの声から伝わってくる。行き先案内人が緊張すれば、当然俺はビビる。こ、これはお芝居……なのか!? 本当に!? いい加減終わりにしてくれないかなあ!? もうビールなんてシェイクされまくり過ぎて、今開けたら泡だらけだよこんちくしょう!


「チッ……囲まれている……っ!」


 レオの舌打ちとほぼ同時に、俺の耳に複数の狼っぽい唸り声が聞こえてきた。いくつもの黒くて大きな影と赤い光が、いつの間にか俺たちをぐるりと取り囲んでいる。その数は、一匹や二匹じゃない。ひい、ふう、みい……五匹? いや、もっといるな。え、どれだけいるんだよ?


 その時。月を覆っていた雲が晴れ、月明かりが周囲を一斉に照らし出す。ここで初めて、俺は対峙している物の姿をはっきりと拝むことができた。……あは、ははは……? 狼と呼ぶにはいささか大きすぎる気がするなあ。馬くらいあるんじゃないか、あれ……。


 でも、異様なのは大きさだけじゃなかった。やたらと赤い目だらけだなあと思ったら、一匹の左右に目がずらりと並んでいるんだよ。片側で三……いや四? 五個ある個体までいる。しかも背中にはコウモリみたいな翼が生えてるし、尻尾は蠍みたいだし。


「ぜんっっっぜん可愛くない……っ」


 すると絶体絶命のピンチなのに、レオが意外そうな口ぶりで返してきた。


「魔物に可愛さを求める発言は初めて聞きました」

「グロテスクなものは全般的に苦手なんだよ! だったら可愛いほうがまだ多少マシだろ!」

「グロ……なんです?」


 こんな時にも外来語ワカリマセーン設定かよ! と苛ついていると。目の前にいた一匹の身体が沈んだと思ったら、鼓膜が裂けそうな獰猛な咆哮と共に襲いかかってきたじゃないか!


『ガウゥッ!』

「レ、レ、レオぉぉおおおーっ!」


 俺は半泣きになりながら、恥も外聞もなくレオのムキムキボディにしがみついた。レオが左腕で俺を抱き寄せる。


「聖女様、私から離れないで下さい!」


 ――ということで、回想終了。


「ぐっ!」


 剣で防いだノワールファングの攻撃に、レオの身体が大きく後ろにかしぐ。俺は必死でレオにしがみついたまま、俺なりに頑張って踏ん張った。ここで俺が転び、レオの足手まといになってしまったら。この人に何かあれば、俺が即詰む。それだけは明確だった。


 滲む瞳をしばたたかせながら、レオに聞く。


「レオ! だっ、大丈夫!?」

「なんのこれしき!」


 レオは俺を片腕で半ば抱き上げた状態で、しっかりと剣を構え直した。見上げた凛々しい横顔に恐怖の色が微塵もないのが、今の状況では一番の安心材料だ。


 だってさ。


 レオが剣で受け止めた攻撃は、演技でもバーチャル映像でもなく、本物の重みを伴っていた。ということは、これって確定じゃないか。


 俺――本気で異世界に召喚されたんだ……。


「これはリアルなんだ」と脳みそが認めた途端、どこか他人事だった死への恐怖が俺に襲いかかってきた。ガクガクと震え始めた俺に気付いたレオが、ハッと息を呑む。


「聖女様……目を瞑っていて下さい! すぐに終わらせます!」


 レオは俺の腰を思い切り引き寄せると、ひょいと持ち上げた。とんでもない筋力だ。どうしたらこんな状況で笑えるのかわからないけど、レオは抱き上げた俺を見上げて安心させるように微笑む。


「不安定であれば私の首にしがみついていて下さい。大丈夫ですから」


 トュンク、と俺の心臓が跳ねた。これは惚れる……同性でも惚れてまうやつ……!


「いきますよ!」

「は、はえっ」


 もう俺の返事は屍状態だ。それでも言われた通り、レオの首にがむしゃらに抱きついてぎゅっと目を瞑る。


「――さあ来い。私が相手してやる」


 レオの格好よすぎる煽り文句の直後、咆哮が四方八方から鳴り響き――周囲は一瞬でとんでもない喧騒に呑み込まれていった。


 レオが走り、剣を振るい、魔物の断末魔が響き渡る。


 瞼を閉じていても、その向こう側がおかしいくらい白く光っているのがわかった。


 そういえば、レオが持っている剣も光っていた。こっちの剣って光る仕様なのかな――。


 躍動するレオの筋肉と、少し上がった息遣い。


 本当だったらちっとも安心できる状況じゃないにも関わらず、俺はレオの腕の中で心からの安堵を覚えていたのだった。

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