夕顔の 花のゆめより 目覚めれば 几帳のかげに 香のたちのぼる 1
目を覚ました瞬間、鼻をくすぐるお香のような匂い
天井は木造、壁には几帳が垂れ、肌には質感の良い布の感触
けれど色褪せ、部屋の隅には煤けた香炉のようなものが置かれていて
どこか寂れた空気が漂っていた
「夕顔様、朝餉の支度が整いました」
声の方へ振り向くと、動きやすそうで控えめな装束をまとった若い女が、頭を下げている
“夕顔様”
その呼び名に、胸がざわつく
「…夕顔?」
「はい
お顔色が優れないようですが、昨夜はお疲れでしたか?」
昨夜はお疲れ…
昨夜は…私は…
「ここは…どこ?」
女は不思議そうに首を傾げる
「夕顔様のお住まいでございます
東の京の外れ、少し寂しい場所ではございますが…」
東の京の外れ…寂しい場所…
夕顔様の…お住まい…
心臓の鼓動が早くなる
疑念が確信に近づく時のような、恐怖とも緊張とも違う、全身の血流が上昇するような興奮が走る
再び辺りを素早く見回す
部屋の造り、几帳、服、そして香の匂い、女の言葉…
「まさか…ここって…」
記憶が、知識が、頭の中で繋がっていく
素早く立ち上がって外に向かう
「夕顔様?」
外に出ると、垣根には白い花のつぼみ
この花も私は知っている、夕顔の花だ
風に揺れるその姿は、あの場面のイメージのまま
「私、源氏物語の夕顔になってる…」
日が傾き始め、京の町に影が伸びる
遠くからギィ…ギィ…と、何かがゆっくり近づいてくる音
風に揺れる簾の隙間から、静かに外を見つめる
それはドラマや資料館で見た事のある牛車だった
すごい…本物だ
止まった牛車からは、法衣のような服をまとった男が姿を現す
夕闇の中
風に髪をなびかせるその姿は、まるで絵巻物の中の人物のよう
あれは…
もしや、光源氏…
思わず視線を逸らすも
垣根の向こうから男の視線を感じ
扇で顔を隠しながら様子を見る
風が揺れ、夕顔の花が揺れる
扇が差し入れられる
侍女から差し出された扇を手に取り、目を細め
息を呑む
これが…源氏物語の”あの扇”
垣根越しに差し入れられたその扇は
白地に藤の花の文様、そして夕顔の花が一凛添えられていた
流麗な筆跡で記された和歌
「夕顔の 花のゆくへを 尋ぬれば 垣根の風に 香ぞ漂へる」
読めないけど、「源氏物語」を知っているから、書かれている意味は分かる
いってしまえば口説き文句
原作では、ここから夕顔と源氏が和歌を交わして恋が始まる
そして恋に落ちて…夕顔は死ぬ
源氏に恋する六条御息所の嫉妬が生霊となり、夕顔を襲うんだ
それは避けられない運命
確定された未来
でも私は知っている、この物語の結末を
だからこそ選べる
確定された未来なんて、ない
避けられない運命なんてない
運命は変えられる、運命は自ら作り上げるものだから
私は恋に落ちない
”物の怪”なんかで死なない
この物語を、運命を
変えてみせる
私の手で書き換えるんだ
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