悠一
咲子さんは、それからしばらく仕事を休んで家にいるようになった。
「大丈夫なの?」
朝、高校の制服姿で食パンをかじりながら、心配そうに首を傾げた明日美に、咲子さんは肩をすくめてみせた。
「これでも貯金くらいはあるのよ。」
「そうじゃなくて……、」
「いいから、明日美は早く学校行きなさい、遅刻するわよ。」
明日美は不服そうに頬を膨らませたけれど、オレンジジュースでパンを飲み下すと、身だしなみを整えに洗面所に引っ込んで行った。鏡を見るならスカートの短さにも気が付いてほしい所なのだけれど、うるさく言いすぎても反発される気がして、今日は黙っておくことにする。
「悠一は、今日学校は?」
「休講。」
「全部?」
「うん。」
嘘だった。必修の講義も含めて、四コマ、休講なんてならずにあったし、それが終わればバイトだった。でも、バイトにはもう、体調不良で出られない、と連絡を入れていた。しばらく休むかもしれない、とも言ってある。咲子さんの体調が良くならないうちは、あまり明日美を一人にしておきたくない、というのは建前で、俺はただ、珍しく咲子さんが家にいるのなら、俺も側にいたいと、そう思っただけだ。
「そう。そんなこともあるのね。」
「教授も年だからね。体調不良だよ。」
咲子さんには、俺の嘘なんてお見通しなのは分かっていた。分かっていて、別に隠すつもりもなかった。
洗面所から出てきた明日美が、後ろ跳ねてるよね? と、後頭部の寝癖を気にして、俺と咲子さんの前でくるりと後ろを向いて見せる。
「大丈夫よ。気にしすぎ。」
苦笑した咲子さんが、手を伸ばして明日美の癖のない長い髪を梳く。
「そろそろ遅刻でしょ、早くしなさい。」
「悠ちゃんは?」
「今日は休講。」
「絶対嘘じゃん。ずるい!」
「日ごろの行いよね。」
「ひどくない?」
咲子さんと賑やかに言いあいながらも、明日美はリュックサックを背負い、髪を手櫛で整え直し、行ってきます、と部屋を飛び出していった。行ってらっしゃい、と、俺と咲子さんは明日美の背中を見送る。
「元気みたいでよかったわ。昨日は、きっと明日美、取り乱したんじゃないの? 悠一に迷惑かけたわね。」
白いマグカップでブラックコーヒーを啜りながら、咲子さんが斜め向かいに座る俺の目をじっとのぞき込んだ。俺は、昨夜の明日美の様子を思い出して、胸が痛くなった。確かに明日美は、取り乱した。悠ちゃん、お母さん、死んじゃうの? 泣きそうな顔でそう絞り出した明日美は、7歳の女の子に戻ってしまったみたいに頼りなげに見えた。
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