第4話 推しアイドルが俺の部屋にいる異常

 ようやく三人がお風呂から上がったらしい。


 ——お風呂に入ってもらうだけでこんなに緊張してしまうとは……   

 嬉しいやら疲れるやら。

 深呼吸をしてから、お茶を運ぼうと居間の戸を開けた瞬間、折原は固まってしまった。


 ——うちの古びた居間に、推しが三人パジャマ姿で現れるなんて聞いてない!


 母親のパジャマを借りた三人が、思い思いの格好で座っている異常な状況。


 ゆらは肩がこぼれそうな大きめサイズ。

 真琴は胸元がきつそうで、恥ずかしげに腕で隠している。

 こよりは袖が長すぎて手が出ず、まるで子猫のようだ。


 折原は震える手でお茶を置きながら、心の中でつぶやいた。

 ——俺、今日死んでしまうかもしれない……


「折原さんもお風呂どうぞ!」


 無邪気なゆらの声に、反射的にうなずく。


「あ、ああ……お先に失礼して……!」


 慌てて風呂場へ逃げる折原。

 背後で真琴が「ほんま大丈夫かな」と小声で心配していた。


 ***


 風呂から上がり、自室のドアを開けた瞬間——折原は二度目に固まった。


 三人がなぜか自分の部屋に正座しているのだ。


「なんか興奮して眠れなくて、折原さんとアニメの話がしたくて待たせてもらっていました!」


 ゆらがキラキラした目で言う。


「勝手に入ってもうて、ごめんなさい」

「……お邪魔してます」


 三人の視線が、一斉に壁の本棚へ向いた。

 そこには、ホコリをかぶった分厚いファイル。


「これ……『星詠みのアストライア』第8話の絵コンテ!」


 ゆらの声が震える。

 ページをめくるたびに、真琴とこよりの瞳も輝きを増していく。


「このカメラワーク、主人公の心の動きと完璧にリンクしてますね」

「この演出、泣いてもうたわー。何回も」

「……この回で、進路決めたんです」


 彼女たちの温かい言葉に折原の胸の奥で、何かが静かに溶けた。


「……この話は、俺が初めて“誰かを救いたい”と思って描いた回なんだ」


 三人が顔を上げる。

 ゆらが自然に折原の隣へ座り、肩が触れる距離。


「え、ゆら近いって」


 真琴が苦笑いする。


「だって絵コンテ見えないんだもん!」


 そんなやりとりに、こよりが小さく笑う。


 そして、ゆらがまっすぐに折原を見つめた。


「私、折原さんみたいな演出家になりたいです」


 ——本当に俺の思いが伝わっていたんだ。


 その言葉に、折原の中で何かがカチリと音を立てた。



「そうなんだ、このシーンの演出意図はね——」


 気づけば、夢中で語っていた。


「主人公が空を見るカット、あれは“希望”の象徴なんだ。

 ゆっくり引くカメラは、世界の広がりを示してて……」


 ふと、彼女たちの反応が無くなったのに気づいた。


 ハッと絵コンテから目を放し見回すと

 ゆらが折原の肩に頭を乗せて眠り、

 真琴も反対側で船を漕ぎ、

 こよりは膝に頭を乗せていた。


 ——この子たち、本気なんだな。

 俺も、もう一度。


 そっと立ち上がり、布団をかける。


 ——正直、最高過ぎるだろ!


 ***


 朝。

 リビングから包丁の音と、焼き鮭の香りが漂ってきた。


「おはようございます!」

 三人がエプロン姿で振り向く。


 母が笑って言う。

「修ちゃん、いい顔してるじゃない」


「そ、そんなことは……」


 みんなで朝食を済ませ、駅へ向かう。

 もう動き出した街の光の中、三人の笑顔がまぶしかった。


「折原さん、『アストライア』の続編って作らないんですか?」

「めっちゃ見たいです!」

「……第8話を超えられるなら」


「君たちとなら、アストラよりも、もっといいものが作れるかもしれないな」


 その一言で、三人の表情がぱっと花開く。


「一緒に作りましょう!」

「楽しみです!」


 満員電車の中、折原は三人を守るように立っていた。


「折原さん、優しいですね」

 ゆらが見上げる。


「当たり前だろ。君たちは——」

 言いかけて、慌てて言い直した。


「大切な新人だから」


 三人がくすくす笑う。


 電車を降りて街の喧騒の中、心だけは静かに晴れていた。


 ——こんな毎日が、もう少し続けばいい。


 折原はそう思いながら、スタジオへと歩き出した。


【お礼】


 ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。


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 これからも続けていけるよう、頑張っていきます。どうぞよろしくお願いします!

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