【ネタ】いくらフォーマーズ
さかもと まる
プロローグ:赤い海
「着陸……完了」
船内に響いたオペレーターの声に、張り詰めていた空気が一気に緩む。
だが誰もが心の底で感じていた。ここは地球ではない。未知の地、火星だ。
御子柴ツトムはハッチを開け、外に一歩踏み出した。
その瞬間、靴裏からぬるりとした感触が伝わり、思わず身を固くする。
「……砂じゃない?」
「嘘……ここって砂漠のはずでしょ」
踏み込んだ足元は乾いた砂ではなく、赤黒く光る液体だった。
見渡す限り、地平線まで広がる赤い海。
ただの水には見えない。粘膜のように濃厚で、表面は呼吸するかのように脈打っている。
マキが顔をしかめ、つい口にする。
「イクラ……?いや、冗談でしょ。こんなの、食べられるわけ……」
ジーナが冷ややかに切り捨てた。
「違うわ。見て。あの球体……拍動してる」
海に浮かぶのは、無数の橙色の球体だった。
直径三十センチ。まるで巨大な魚卵の集合体だ。
ぷるりと震え、互いに触れ合うたびに小さな波紋を生む。
ただの鉱物やガスの泡ではない。生命を感じさせる規則的なリズムで震えている。
「……気持ち悪ぃな」ツトムが低く呟く。
「サンプルを採取する?」レンジが腰のケースを持ち上げる。
「やめろ!」ジーナが声を荒げた。「不用意に近づくな!」
その言葉が終わるより早く、ひとつの球体がパキッと音を立てて割れた。
中から現れたのは、人型の影。
銀色に近い皮膚、背には魚の鰭のような突起。
口を開けたその奥では、細かい歯列がぎらりと光り、体内では橙色の粒が蠢いている。
「な、なんだよあれ……!」マキが声を震わせる。
影は首を傾げ、こちらを観察するように目を細めた。
次の瞬間、火星の重力を嘲笑うかのような跳躍で、隊列の後方にいた若い研究員へ飛びかかった。
「うわああッ!」
悲鳴が上がり、銃声が続いた。
ツトムは咄嗟に体当たりで怪物を押し返す。「下がれッ!」
マキが震える手で引き金を引き、弾丸が怪物の肩を貫いた。
銀の皮膚が裂け、赤黒い液が飛び散る。
だが裂け目は、橙色の粒が溢れ出し、まるで補修材のように傷を塞いでいく。
「……再生してる」レンジが掠れ声で呟いた。
研究員が膝をつき、口から血と共に丸い何かを吐き出した。
転がったそれは、オレンジ色の透明な殻。
中では小さな指のような突起が蠢き、形を作ろうとしている。
ジーナが顔を青ざめさせる。「人間を……母胎にしてる……」
直後、空気が震えた。
音ではない。脳の奥に直接流れ込む声。
〈人類よ。還れ。おまえたちは我らの胎だ〉
全員が息を呑み、赤い海を振り返る。
その中央で、黄金の粒を冠にした巨大な影が、ゆっくりと立ち上がっていた。
ツトムは歯を食いしばり、叫んだ。
「退け! ドームに戻るんだ!」
誰もが踵を返し、必死に走る。
背後では孵化の音が連鎖し、跳躍、咆哮、破裂が次々と響き渡る。
レンジは走りながらパッドを操作し、震える手で記録を残す。
『火星地表:未知の液体膜/卵群浮遊/人間細胞への侵入・同化確認。』
そして最後に、一行を打ち込む。
『火星は──産卵床だった。』
閉じたドームの外で、赤い海はなおも静かに拍動していた。
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