第33話

 帯広競馬場の門前には並んで開門を待つ。

 前々世に一度、気になった豚丼屋目的で帯広に来た時に(ちなみに豚丼屋は臨時休業だった)、ついでに(というか、やる事が無くなったので)帯広競馬場に来た事があったが、残念ながらその日はレースがなかったので、場内を軽く見学して帰った。それくらいなのでパドックの位置すらも分からないので、早めに来てパドックで馬を確認するのに良さそうな場所を確保する必要があったからだ。

 予め、ばんえい競馬新聞のネット版で出走馬の基本データは頭に入れてある。


 後はパドックでリアルタイムで馬の状態を数値で確認だ……自分で言ってて酷い話だと思う。


 サラブレッドとは随分と数値が違うな……まあ、馬は馬でも違う馬。いや違い過ぎる馬だ。だから全然分からなくて笑うしかない。

 フィジカル面では、重たいソリを牽く競技なので、馬体は大きいに越したことはないだろう。

 逆に推す競技なら馬体の大きさは致命的な問題にならないが、牽くには絶対的に自重が重要になる。

 もう一つが脚力。この二つがフィジカル的に必要な要素だと思う。

 メンタル面では冷静さだ。これは普通の競馬でも同じだが落ち着きのない馬はレース前に無駄に体力を消耗して、ベストの状態を維持出来ない。

 そして勝負と言う場面で必要になるのが賢さだ。

 人馬で戦う競技だが、馬が賢くレースの中で経験を積み。勝利の意味を理解して、高いモチベーションをもってレースに挑むなら、騎手の指示を理解し先回りするくらいのレスポンスの良さを見せてくれえるだろう……まあ、ばんえい競馬の超ド素人の考えだ。まあ今回は特に勝つのが目的ではなく、主の大きな馬を見たいという目的だから。



 馬券を購入後、中段右寄りのスタンド席に座り、主は嬉しそうにぶた丼おにぎりを取り出す。

 おにぎりとしては結構な大振りだ。これは一個に夜の十勝ブランド牛に備えて一個で止めて貰うよう進言する事になるだろう。

『あ、甘い!』

 一口に齧りついた主の一言がそれだった。

『それが帯広の豚丼の特徴で魅力です』

 前々世で初めて帯広豚丼を食べた時、食事としての甘さを越え、甘味としての甘さに一歩踏み込んでいると感じ、これは下品な甘さだと判断した……にも関わらず、気付けばもう一口食べていた。それがぶた丼の恐るべき魅力だ。ちなみにお店はドン・キホーテの従者を想像させる名前の店だ。

『甘いんだけど、どうしてだろうもう一口食べたくなる』

『一度お茶で口の中をリセットしてから、もう一口食べると、きっと止まらなくなりますよ』

 結論として主は自分を止める事が出来なかった。

 我も最後の助言は必要なかったのではないかと、少しだけ反省している。


 競馬の結果は二万円ほどのプラス。

 まあ、今回は少額しかかけて無いし、競馬だけをする為だけに帯広に居る訳でもないので三レースのみだったのでこんなものだろう……いや、初ばんえい競馬としては良くやったと思う。


『あんなに大きな馬さんを、自分の目で見たのは初めてだよ』

 このセリフで何となく分かった。多分主は札幌育ちではなく、道内の内陸部の町で育ち、そして大学に通うために札幌で独り暮らしを始めたのだろう。

 子供の頃に、札幌観光幌馬車の馬車を見たことが無いのは札幌育ちではない証拠で、大通り公園を歩いていればばん馬に負けない巨大な馬を嫌でも見る事になる。

 札幌観光幌馬車は2017年に営業終了し、2023年からは新たに札幌まちばしゃが営業しているので、大学生となり札幌で暮らしている主がそれを見ていないのは、ボッチ気質のせいで人通りの多い土日祝日の街中を避けたと考えれば不思議はない。 ここまで気付いた事は主には秘密だ。我が気付いたのではなく、いつか主から話して貰いたいのだ。



『モモちゃん。お土産を買いたい』

 駐車場に戻る途中と突然言い出す。そんな事を言われたら主を知る人間なら即座に「えっ、誰に!!??」と大層驚くだろうが、優秀なペットである我は主の発言の意図を即座にそして正確に理解する。

 お土産を買う相手はいない。つまり自分へのお土産である。

 そうだとするならば、お土産は食べ物だ。先ほど一個で十分ですよという我の諌言を退けてまで食べたぶた丼おにぎりだろう。

 だがそんな事は、察しの良いレトリバーにさえ分かる事であって、真に優秀な我はその先を考える。

 そのまま、主にぶた丼おにぎりを自分へのお土産とさせてしまって良いのか?

 良い筈がない。何故なら主はまだ本物の豚丼を食べていない。豚丼を食べずしてぶた丼おにぎりしか食べていない小娘……ゲフンゲフン。お嬢さんが豚丼について語り出したなら周囲からどう思われるだろう?

 我なら間違いなく「身の程知らずも大概にせいよ!」と怒るだろうし、他の人もほとんどがそう思うだろう。

 そして人の悪意にさらされた主は心を閉ざし、ボッチの道を究めてしまうのだ。

 そんな未来は断じて受け入れられない。

 ならば、この我が何とかするしかない!


『主よ。お土産は豚丼のテイクアウトにしましょう』

『豚丼?』

『そうです。豚丼おにぎりが幾ら美味しくても、豚丼の派生形であり変化球と呼ぶべき存在です。だからこそ、その源流である豚丼も味わって頂きたいのです』

『そうだね。豚丼おにぎりが美味しんだから、豚丼が美味しくないはずが無いから、食べない理由が無いわ!』

『勿論です』

 主が食べるべき豚丼は本物の中の本物の豚丼であるべきだ。

 その中の一つは敢てもう一度言おう、ドン・キホーテの従者、サンチョ・パンサを連想させる名前の店だ。

 我が最初に豚丼を食べた店であり、そして帯広豚丼の元祖である。よくある元祖だ本家だと勝手に名乗ってるのではなく本当のオリジナルだ。

 ただ最近では、たれがクドイとか古臭いだの、地元でも若者人気がないとか偉い言われようだが、そのクドさで丼一杯をペロッと食わせてしまうのが豚丼の魔法だろう。

 オリジナルを外れて、美味しい豚丼っぽいものなら札幌でも帯広に負けないものが食える。

 だがオリジナルと、その流れを受け継いだ本物は帯広にしかない。だからそこを外す事は絶対に出来ないし、してはいけない。

 それ故に身体は札幌にあって「ああ、帯広に豚丼食べに行きたい。そして帰りにはカレーを鍋を一杯に買うんだ」と心が帯広へと飛び立つ(妄想する)のだ。


 そんな事を言っていたが、その後主を唆して、我お勧めの四店舗でロースとバラを、それも二食ずつお土産にテイクアウトの豚丼の購入を買って貰った。


 沢山買っても問題はない【インベントリ】の中では時間は経過しないんだよ。何時だって出来立てのままだ。


 その後、十勝川温泉郷のホテルでチェックインを済ませるが、夕食の予約の時間には少し間があるのだが、こういう何かするには時間が足りず待つには持て余す時間と言うが旅では困る。

 自らのホームでは無い故の、このちょっとした時間を潰す方法が見つからないじれったさは、同時に今自分見知らぬ場所に来ている事を実感させる時間でもある。


『美味しいね。赤身なのに柔らかくてジューシーさを感じる』

『赤身肉がジューシーなのは十勝若牛の特徴です。そして肉の特性をしっかりと理解して調理していることで特徴が損なわれる事なくジューシーさを保ったステーキが完成したので、生産者の肥育技術と店の調理師の腕前が優れている成果であると思います』

『赤身で満足出来るのはステーキは……助かる……ちょっとだけだよ』

 慌てて言い訳しているが、旅行中は食べ過ぎなのは確かだ。

『赤身肉は健康にも良いですからね』

 それ以上、女性のこの手の話題に踏み込む気はさらさらなかったので、咄嗟に健康面だけを強調した我は偉い。


 まあ、食欲があるのは良い事だ。

 おっさんも三十過ぎて、焼肉屋で肉の脂に胸焼けを知り、それでも、まだだ、まだ食欲は終わらんよ! と自らを奮い立たせて四十まではこのまま行けるはずだ。俺は俺の食欲を諦めない! と抜かしていたが、突然三十五を前にして一気に進んだ自らの衰えを自覚せざるを得なくなった。




 食事を終えホテルの客室に戻り一息ついたところで主のスマホが着信を告げる。

「はい、高坂ですが? ……警察ですか?」

 ああ警察か、思ったよりも遅かったな。早ければ北見に居る間に電話が来ると思っていたんだけどな。

 電話の要件は、あの馬鹿九人衆に関する話で間違いないだろう。他に警察から電話が来る理由が無い。探られて痛いところはあるが我がやってるのは全て完全犯罪だからだ。そもそもエゾモモンガである我の犯罪を取り締まる法律はないので、もし我が悪事が露呈したとしても取り締まる官庁は警察ではない。


「二十一日の朝の事故の件ですか? ……煽り運転をされましたが事故が起きたんですか? ……ええ、確かに契約している駐車場から二台の車に暫く煽られましたが、北十二条通を走っていて、東八丁目通りで左折したら、私の車を前後で挟んで煽ってた二台は、何故かそのまま直進して行きました……はい、前の車が左にウィンカーを出しているは見ましたが、何故かそのまま直進をして行きました……後ろの車がウィンカーを出したかどうかは見ていません……えっ? どうしても何も、普通左折するのに後ろの車のウィンカーまで確認しませんよね?」

 まあ大体の流れは分かる。主に明らかにどうでも良い質問を投げて、相手を怒らせて反応を見ようという魂胆なのだろう。

 

『主、この手の役人とは何でも上からの態度で、どうでも良い事でも疑ってくるのが仕事の、悲しい生き物だから。許して上げ……る必要はないので、心の中で軽蔑しながら、冷静に軽く流してあげて下さい。相手はこちらが声を荒げると喜ぶ変態なんです。変態を喜ばせてやる必要はありません』

『モモちゃん辛辣! でも分かったよ』


「とにかく、貴方の個人的な運転方法はともかく、左折中に後ろの車のウィンカーを確認せずにいられない悪癖があるなら止めるべきでしょう。それで事故を起こされたら警察組織にとって大変迷惑なので、せめて退職してからにして下さい……今、私にあんたと言いましたね。まさか公僕として国民をあんた呼ばわりとか正気ですか?』

 ほう、我が主をあんた呼ばわりしたか……

『その警官の名前と所属は何処か憶えてますか?』

『憶えているし、この通話は録音しているよ』

『ナイスです!』


ああ、私は旅行中で今は帯広のホテルに泊まってるので無理です……ですから、旅行を切り上げて、明日の朝に東警察署に来いと言われても煽り運転されるのと同じく……いえ、それ以上に迷惑です」

 ここで主がまさかの煽りにいった!?

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