第15話 不貞寝とベンチ


 チャイムが鳴った時、琴音は眠りと現実の狭間にいたが、鳴った瞬間にチャイムの主は誰かわかった。


 葉山くんだ。


 どうしよう、どんな顔して出ればいいんだろう。

 来たって事は何か話したいんだろうか?何を話すの?どうしたら今この状況から逃げられるんだろう。

 逃げたい、マジで逃げたい。


 そんなことを思ってる間に、またチャイムが鳴った。二度目のチャイムで、彼女は今の状況から絶対に逃げられないことを確信した。

 長いため息をつき、諦めて玄関に向かった。


 玄関にはやはり葉山らしき人影が、模様ガラスに縁取られていた。


「……はい、どなたですか」


 どなたかは嫌というほどわかっている。でも一応、形式的に応対した。

 ほんの少しだけ、どうにもならない感情への、八つ当たりもあったかもしれない。


「葉山です。急に来ちゃってごめんなさい。バイト終わりました。

LINEに返事ないから心配になって。お話したいことがあるので、琴音さんが良ければ公園行きませんか?」


 話?話がある?

 何だろう?

 あー、でもいいや、どうせまた嫌なことでしょ?

 拓海と最後に電話したのも公園のベンチだったな。公園は違うけど。


 人は一瞬で、様々なことを考える。琴音も、考える必要のないことまで、葉山に答えを待たせている瞬間に考えていた。


 どうせ嫌なことが起きるなら、さっさと起きた方がいい。琴音は、魂の抜かれた人間のように、力無い声で答えた。


「……わかりました、行きます……」


 言ってしまった。これから何が始まるんだろう。

 とりあえず玄関に鍵をかけ、葉山の後ろを歩く。


 二人とも無言だ。あ、すっぴんで来ちゃった。もうどうでもいいや。

 無言のまま、公園のベンチに着いた。無言で目を合わせ、葉山が座った横に座る。


 ──苦しい─。

 わたしは前世でベンチに何かしたんだろうか。行き場のないモヤモヤした気持ちを、どうあしらえばいいのかもわからずに、琴音は黙っていた。

 唐突に、葉山は話し始めた。



「さっきびっくりしたでしょ、ごめんね。拓海はいとこなんだ。

LINEの返事くれたとき、琴音さんの名前を見て、なんか聞いたことある名前だなって思った。

それから琴音さんと話すようになって、あの家に住んだ理由とか色々聞いて拓海の元カノだって確信した。拓海とは実家が近所で親同士仲もいいから、よく話してたし、彼女の話も知ってたんだ。

拓海は営業で近くに来ると、コンビニに寄ってくれてたから、琴音さんと鉢合わせになるのは時間の問題だし、早く言わなきゃって思ってた。

でも、僕がいとこだって知ったら嫌われて会えなくなるんじゃないかって思って言い出せなくて……。

本当にごめんなさい!謝ってどうなるもんじゃないと思うけど、ごめんなさい」


 琴音は、葉山が話す言葉を半分上の空で聞いた。

 葉山が話す前は、ちゃんと聞いてしっかりした答えを葉山に返そうとしていたが、「いとこ」というワードが強すぎて、他の話してくれた内容が、上の空になってしまった。


 そして、『それを言いたくなかった』『会えなくなるのが嫌で』などの自分に都合の良い言葉だけが、頭からすり抜けずに都合よく脳みそに引っかかった。

 恐怖のベンチでの会話は、悪いことばかりでもなかったが、悩ましい内容ではあった。


 すぐに処理して答えを出せる気がしなかったので、また連絡すると伝えた。葉山は名残惜しそうに公園を離れた。


 世の中は梅雨で、今日はたまたま晴れていた。もうそろそろ梅雨明けの発表があるかもしれない。

 琴音は、さしていた日傘をずらして太陽に顔を当ててみた。

 顔の表面がじりじりして熱が自分の肌で弾かれているような感覚になる。


 太陽の熱を肌が拒絶しているように、自分も【あの事件】から世の中を拒絶してきた。

 もうそんなことばかりしていられないことは、琴音が一番よくわかっていた。


「やるしかないか」


 琴音は声にならない、唇と微かな息でその言葉を発した。

 自分と、真っ向から向き合う時期がきたことを、その言葉を発することで自分に確認した。




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