第2話 初恋と帰り道



 琴音は失恋をしてこの家に住み始めた。

 もうすぐ二年目に突入する。


 さっき注文したカレーは、部屋に持ち込んだ瞬間から芳醇な香りを放ち始めた。


《拓海、カレー好きだったな……》


 彼女には、大学生の時から付き合っている拓海と言う彼がいた。


 拓海とは、大学時代にバイトしていた居酒屋で知り合った。琴音が先にバイトしていて、そこに新しいバイト仲間として拓海が入ってきたのだ。


 機転が効いてしっかり者の琴音は、店長から新しいバイトの教育係を任されていた。

 教育係だからとわかっていても、テキパキと仕事をこなしながら、自分の事を気遣ってくれる琴音に拓海は好感を覚えた。

そして、同時に琴音は、拓海の素直さと、不器用ながらも優しく明るい人柄に好意を感じていた。


 拓海はすぐにバイト仲間や、仕事に馴染んだ。

 にこにこと穏やかで、バイト中も皆をそっとフォローしてくれる拓海に、彼女はそこはかとない安らぎと、いつか拓海がいなくなってしまわないかという不安を漠然と覚えた。


 拓海が大学の友人達と出掛けたと聞くと、そわそわしたし、お客に振りまく笑顔でさえ、すべて自分に向けてもらえたら、どんなに幸せだろうと考えた。


 ああ、これが人を好きになるってことなのか。

 今まで、他の人に告白されたりデートに誘われたことが何度かあった。それは話したこともない先輩だったり、いい友達だと思っていたクラスメイトだったり様々だった。


 わたしを好きだと言っているけれど、何を好きなんだろう、わたしの何を知っているんだろう、友達だと言ってたのに違う気持ちで見てたのだろうか。

 友達だと思っていたから楽しかったのに。

 そんな違和感に包まれるだけで、相手に対する想いに変化は生まれなかった。


 一緒にいるクラスの女友達は、楽しそうに好きな子の話をしている。

 でも、自分だけ好きな人がいないと言い出せなくて、卒業して学校からいなくなった人気のありそうな先輩を好きだったと言った。

 中学も高校も同じようなやり方で、適当なことを言って誤魔化してきた。


 琴音の、拓海に向かう気持ちは、明らかに今までとは違う、別の何かだった。拓海のことを考えると、意味もなく嬉しくなった。

 いれば目で追ってしまうし、目が合うと恥ずかしくて目をそらした。


 バイトで会える日は、前の晩からドキドキして、明日はバイトがあるのにと焦って、余計寝つきが悪くなった。

 ほんと困るなぁと思いながら、それは嬉しい悲鳴だった。


 そして、そんな思いを感じていたのは琴音だけではなかった。

 二人が初めて出会って3ヶ月ほど経った頃、琴音はバイト終わりの拓海との駅までの道で映画に誘われた。


 映画はアクションで、よくわからなかったけれど拓海は楽しそうだった。

 面白かったか聞かれて、

「あんまりよくわからなかった」と、言うと、ゲラゲラ笑って、

「じゃあなんであんな楽しそうだったのよ」

 と、言われて恥ずかしかった。

「拓海が楽しそうだから楽しいんだよ」

 とは、言えなかったけど、言っとけばよかったと、別れてから思ったことがある。


 映画を観て、食事に行き、別れ際に告白された。初めて好きになった人が、彼氏になったのだ。

 その時、実感はあまりないもんだなと思ったけれど、その日の夜はどきどきして眠れなかった。


 付き合いは継続したまま、二人はそれぞれ、同じタイミングで別の大学を卒業した。

 大学から東京に出てきていた彼は、そのまま東京で就職、琴音も就職し、元々東京なので実家から会社に通った。


 しっかり者で活発な琴音と、穏やかで優しい拓海は全く違う性格なのに、お互いが無いものを求めるように上手くかみ合った。

 お腹を抱えて笑うような面白さがしょっちゅうあった訳ではなかったけれど、一緒にいると安心出来たし、仕事で疲れていても、拓海と話すと春の陽だまりのような、ふわふわと暖かい気持ちになった。


 仕事が始まり、環境が変わってすれ違い気味な時期もあったが、一年経つと仕事や大人の世界にも少し慣れた。

 大学のときから変わらないのは家族と、数人の学生時代からの友人と、拓海だけだった。



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