死者のメッセージ 解答編
「横山さんってやっぱり自殺だったのかなぁ」
二美が私の顔色を伺いながら言った。
隣の部室では今でも警察がなにやら調べているようだ。いつになったら帰れるのかわからない状況に皆、少し苛立たしげに思えた。
「どうかしらね。遺書だって出てきてるんだし、自殺なんじゃないかしら?」
菱田がテーブルを指で叩く。川添も同意なのか頷く。
「そうかな」
私はそう断言した。
「あれが自殺だって断定するのは早いかもね」
「どういうこと?」
二美が不安そうに眉をひそめる。
「――そうね、理由をあげるなら、二つの遺書のことかな」
「どういうことかしら?」
菱田が相変わらずテーブルを一定のリズムで叩きながら言う。
「どう考えたって、映像と封筒、二つの遺書があるのに違和感があるわ」
「お、おい。それってつまり……誰かが監督殺したってことかよ?」
川添が全員を見回して言った。
「そうね。綾瀬先輩がどんな人だったか私は知らないけど、皆けっこう親しかったんでしょう? あの映像のことを知っていたなら殺人の動機がないとは断言出来ないわよね」
「どちらかが発見されなかったときのために用意しただけかもしれないじゃない」
菱田が私を睨んで言う。疑われたのがさぞかし嫌だったのだろう。
「そ、そうだよ。遺書が出て、それで監督が毒を飲んで死んだんだろ? だったら……」
前川が控えめな声で発言しようとした。
「あれはどっちも監督が書いた遺書じゃない」
私はきっぱりと前川の声を遮る。
「どうしてそう言い切れるんだ?」
川添がため息を漏らして言った。
「封筒に入っていた手紙がワープロ書きだったから」
簡潔に答えてから続ける。
「監督には手書きであることに強い拘りがあったわ。特に自分の創作したものに関してはね」
「そんな監督が、ワープロ書きの遺書を残すのはヘンってこと?」
二美が私の言葉に続けた。
「じゃあ、あの映像に残ってた方が監督の残した遺書だったんじゃないの?」
菱田の言葉に私は首を振った。
「いいえ、あれはそもそも遺書じゃないんじゃないかしら。あれは誰かが監督に向けて発した告発文だったとは考えられない?」
私は、後でメモに残した映像で流れた文を読み返した。
この映像は、すべてをみていたことの証である。
見てもらった通り、彼女はもうこの世にはいない。
何故このようなことになったのか、もはやそんなことはどうでもいい。
ただ一ついえることは、この事実を明らかにし、償わなくてはならないということだ。いや、償うべきなのだ。
それが使命だと感じた。
よって私はこのことを、ここにいる皆に伝えようと考えた。
彼女の遺作であるあの作品は、これによって完成となる。
彼女の本当の、最後の姿を映した、この映像をもって。
ただ一つ残されたことは、その罪を償うこと、それだけだ。
「この文の中で、『私』が使われてるのって、ここにいる皆に伝えようと考えた、って部分だけなのよね。そこ以外に関することはすべてがあやふやなの。これは監督に綾瀬先輩を殺した罪を償うべきだという警告だったんじゃないかな。だけどあのとき、このメッセージの直前に監督が死んでしまったものだから、私たちはそれを遺書だと勘違いした」
私は一呼吸置いて皆を見回した。
「――じゃああの映像を用意したのって誰なの?」
二美が呟くような小さな声で言った。
「さっきも言ったように、あれは監督が用意した映像じゃない。私や二美、菱田さんは映像編集の技術がもとよりない」
そういうと、視線が前川と川添に集中した。
「リハーサルまでは間違いなく本来の映像が流れていた。そして今日、皆が集まるまでの間、誰もこの部屋には入っていない。つまり、この部屋の鍵が開かれてから上映が開始されるまでの間に、パソコン内のデータを何者かが入れ替えたことになる。上映直前ぎりぎりにやってきた川添くんにはそれが出来ないってことは……」
私はそこで一旦言葉を切り、視線を下に逸らした前川を見つめた。
「君があの映像を差し替えたとしか考えられない」
「じゃ、じゃあ監督を殺したのも……」
川添が、一歩前川から離れる。
「違う。彼はあの映像を用意しただけ。それにさっきも言ったでしょう? あれは告発文だって。告発するべき相手を殺す理由なんてないわ。そうでしょう? 前川くん」
前川は静かに頷いた。
「――あれは、偶然カメラを録画モードにしたまま椅子に置き忘れていたんだ。そしたらあんな映像が残っていて……。すぐに知らせようと思った。だけど……」
「作品を完成させたかったの?」
二美が詰まる前川の言葉に続けて言った。
しばしの沈黙の後、川添が堪らず口を開いた。
「じゃ、じゃあ一体誰が横山さんを殺したんだよ!」
「――監督は毒を飲んで死んだのよ? 誰がどうやって、監督に毒を飲ませたっていうのよ」
菱田の言葉に、私は事件のときのことを思い返した。確かに誰も、彼の体に一度も触れてはいない。
「それは――」
「一体どうやって犯人は監督に毒を盛ったのよ」
菱田がどこか苛立たしげに呟く。
私は事件のことを思い返した。覚えている限りの行動をひっくり返しているうちに、一つ、引っかかるところを発見した。
「一つ、気になっていることがあるんだけど、映画の始まる前、二美、オレンジジュースこぼしたわよね?」
「え、あーうん。こぼしたねぇ。ばたばたしてたからそのことすっかり忘れてたよ」
「そのとき、確か監督のハンカチにオレンジジュースが染み込んだじゃない? 覚えてる?」
私が言うと、二美は首を傾げて視線を泳がせ、記憶を遡る。
「うんうん、だから私、監督に謝ったんだもん。汚しちゃったから」
「私、あの後、上映が始まるほんの一瞬前、監督のハンカチを見たんだけどさ。あのとき、ハンカチまったく汚れてなかったんだ。真っ白なハンカチだったのよ」
そう、あのとき、あの一瞬だけハンカチに一切の汚れがなかった。
「だけど、監督が倒れた後は、やっぱりオレンジジュースのしみがついていた」
「それってどういうこと?」
二美がやはり少し怯えた様子で訊ねる。私が言わんとしていることを直感的には理解しているのだろう。そう思う。
「その一瞬だけ、あのハンカチはすりかえられていた」
「すりかえられた?」
川添が私の言葉を繰り返した。
「どういうことだよ」
「毒は、ハンカチに塗られていた。犯人は隙を狙って毒の塗られたハンカチと監督のハンカチをすりかえていたんだ。監督には親指をしゃぶり、ハンカチで拭う癖があった。犯人はそれを利用した。指をしゃぶった監督はそうとは気付かずに毒を塗られたハンカチで指を拭い、自分の手で自分の指に毒を塗らされていたんだ。そして倒れた後、電気がつけられるまでの間にハンカチを戻し、毒の入った容器を床に落とした」
「ね、ねぇ、こんな話やめない?」
二美が言う。私は無視する。こればっかりは途中でやめてはいけない。
「――ハンカチは常に監督の傍に置かれていた。テーブルを挟んで前の席にいた前川くんは手が届かないから、ハンカチをすりかえることは出来ない。背中側にいた私や二美ももちろん無理。川添くんに至っては部室に顔を出したのが上映直前だった」
「なにが、言いたいわけ?」
ずっと黙って聞いていた菱田が私を睨んでいた。
「――菱田さん、あなた、ハンカチ持ってますよね? 携帯を出したとき、ちらっと真っ白なハンカチ、みえてたんですけど」
菱田は視線を逸らして黙った。私は構わずに続ける。二美はおろおろとその様子を見つめていた。
「どうして二美がジュースをこぼしたとき、私にティッシュを渡すように言ったのか、疑問に思ってたんですよ。隣では二美がハンカチでジュースを拭いていて、私も同じようにそうしてました。あなただけが、ティッシュでテーブルを拭いていました」
「ハンカチ、汚れるのが嫌だったのよ」
「じゃあ、見せてください。あなたの、その真っ白なハンカチを。よかったらご自身で口に含んでみせてくれませんか?」
皆が、黙ってその様子を見つめていた。嫌な沈黙の所為か、二美がお腹を押さえて眉をひそめていた。
菱田はため息をついてふっと笑みを浮かべた。
「――どうにもうまくいかないものね。単なる自殺に見せようと思っていたのに。どうしてこんなときに限って、あんな映像が流れちゃうのかしら」
口の端を少しだけ上げて、菱田は前川に笑みを送った。
「――この日しかないって思ってたんです。彼女の……綾瀬先輩のための作品を披露するこの日に全てをみせてやろうって。監督に、全てを話してもらおうって……」
前川はそれだけ言って、堪らずに泣き出し、部室を出た。川添がちらりと私たちをみてからその後を追った。
「私は見たのよ。志保が殺されたあの日に、横山が志保の遺体を捨てるところを。私は悩んだわ。警察にいくべきか、横山に事実を突きつけるべきか。だけど気がかりがあった。志保が一生懸命取り組んだあの作品が未完のまま消え去るのは耐えられなかった。だから私は映像の完成を待った。待って、横山をこの場で殺そうと、そう思っていたのに……」
菱田はプロジェクタに目を向けた。
「あの映像が全部を狂わせたわ」
むしろさっぱりとした表情で言う。
「私も前川くんくらい人を許せる人間だったら、こんな方法はとらなかったでしょうね」
「――許してなんて、いないと思います」
二美が呟くように言った。
「許さないから、殺さないんです。だって死んじゃったら全部、終わりじゃないですか。償いは、罰なんです。生きていることこそが、罰になるんです。だからたぶん、何一つ、許してなんていないんです」
そっか、と菱田は答え、部室の扉をあけた。近くにいる警察官に近寄る彼女を見送り、私はパソコンを操作して、プロジェクタを起動した。
スクリーンには薄っすらと、綾瀬先輩の笑顔が映っていた。今なら、前川はじめがどんな気持ちで彼女を撮っていたのか、ほんの少し、わかるような気がした。
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