探偵譚8:夢枕の猿とミッシングピース

第36話「糸と意図の繋ぎ目」【上】

「いと、いと、いと、いと……」


 ぬえ騒動の一件があった日の夕刻、光印こういん学園探偵部の部員天宮 珠央あまみや たまおが神社の敷地内にある自宅の引戸を開けると、居間から祖父の祈るような声が静かに聞こえて来た。

 珠央はこの家で祖父と二人暮らしをしている。事故で亡くなったという両親や歳の離れた兄の写真が仏壇に飾られているが、当時まだ赤子だった珠央には、彼らと家族だった実感がない。今も昔もずっと、家族の記憶は祖父と二人で過ごした時間だけだ。


「おじいちゃん、ただいま!」


「おかえり、珠央」


 珠央が居間に向かって叫ぶと、つぶやいていた祖父の声が優しく変わる。

 珠央は玄関ホールに鞄を置くと、持ち手にシールで印をつけたビニール傘を開き、

玄関前に干した。――その時、小さなコウモリが暗い境内けいだいの闇夜に紛れて彼女を追いかけてやって来た。

 珠央の額に目掛けて飛んで来たコウモリは、まるで見えないバリアがそこに張られているかのように、引戸のあたりで何かにぶつかって跳ね返った。コウモリは何度挑戦しても、見えない壁に弾かれるように跳ね返され、玄関の中へは入れない。

 珠央が立ち上がって引戸を閉じようとしたタイミングで、コウモリはがむしゃらに空中を噛んだ。すると、コウモリの犬歯に珠央のセーラー服の胸元に縫い付けてある赤いリボンが引っ掛かった。


 珠央はそんなことには気が付かずに、居間へ向かって歩いて行く。

 コウモリは必死で珠央の制服のリボンの糸を離すまいと硬く口を閉じて引戸の外で抵抗している。

 リボンから、糸がじわじわとほつれて伸びて行く。


 珠央が居間に入ると、祖父が畳の上で正座をして、ちゃぶ台の上で作業をしていた。


「おかえり、珠央。今日は少し遅かったね。文化祭の放送、神社にもちゃんと聞こえたよ。あれ、珠央だろう?」


 祖父は切り目を入れた白い奉書紙ほうしょしを折る手を止めて振り返った。


「うん、今日はちょっと……部活で色々あってね。放送係任されちゃって。おじいちゃんは、今日も紙垂しで作り?雷が鳴る日は良く作ってるよね。」


紙垂しでは雷様のお力を借りて神聖な場所を守って貰うものなんだよ。雷様はもともと神様に鳴るで『神鳴かみなり様』だからね。稲妻の光と雷の音は邪悪なものを追い払い、豊作をもたらすと言われているんだ。光印学園のパレードも、もともとは豊作を祈るものだから、町内会の神輿も出動するだろう?その時に必要だからね。今日の雷様はいつにも増してお力が強かったから、きっと強力な紙垂しでになるよ。」


「へえ、今まで考えたことなかったけど、そうだったんだ。まだ作るなら私も手伝うよ!」


 珠央はそう言ってちゃぶ台の祖父の向かい側に正座をして、奉書紙ほうしょしに慣れた手つきで切り目を入れた。


「いと、いと、いと……」


 祖父と珠央は口々に呟きながら奉書紙を折っていく。


「そういえば、紙垂を折る時に『いと、いと』って言うのは何でなの?」


 珠央は作業をしながら祖父に尋ねる。


「糸を二つ並べて書く、旧字の『いと』という漢字があるだろう?紙垂はその象形しょうけいに見えるように口に出して唱えながら作るといいと言われているからだよ。」


「そうなんだ!それも知らなかった!」


 珠央は自分で折った紙垂を顔の前に両手で掲げて、「上出来」と満足そうに頷くと次の奉書紙に切り目を入れ始めた。


「珠央は家の仕事の細かいことには昔から興味がなかったのに、どうしたんだい?急に色々聞いてきて。」


「最近、やっぱり神様の力とかあるのかなとか、妖怪……じゃなくて、邪悪なものを追い払う道具とかがあるなら使ってみたいなと思ったりしてて……」


「神様のお力はきっとあるんじゃないかと、おじいちゃんは思うよ。だって、珠央がこんなにすくすくと健康に育ったからね。大切に守って貰っているから、おじいちゃんは感謝の気持ちを込めて毎日お仕えして毎日お祈りしているんだよ。」


 祖父は真剣に作業をする珠央を穏やかに見つめた。

 外では、先ほどのコウモリが珠央のリボンから出た糸をくわえたまま家の周りをぐるぐると回っている。コウモリは戸や窓に体当たりをするが、やはり、何かにはばまれて跳ね返されている。


「そっか、今日も何だか色々解決したし、神様にお祈りしてから寝よっと!……あ、そういえば、この前、狭間岬と学校の裏山に繋がってる森に行った時に、大きな太い幹の木があってね、しめ縄と紙垂しでが巻かれてたんだけど、あの木って何なのかな?」


「おや、大樹様たいじゅさまのところに行ったのかい。あれは、この六角町で一番古い木で、何百年……もしかしたら何千年も前からあそこに立っていて、この町の歴史をずっと見守っているんじゃないかと言われているよ。」


 家の外では、コウモリが玄関前に戻って繰り返し玄関の引戸にぶつかっている。


「どうしてそんな大昔からある立派な木なのに、街の人たちは気にも留めないの?私もこの前初めて知ったし。」


「大昔に、大樹様たいじゅさまの近くで子供が神隠しに合う事件が多発したらしくてね。それ以来、大樹様がお怒りになるのを恐れて、大人たちが子供に近づけずに何世代か時が過ぎた結果、みんなの記憶から薄らいでいったと聞いているよ。私は年に一回しめ縄を交換しに行っているから、伝え聞いているけれどね。」


 ピンポン


 そこで玄関のチャイムが鳴った。


「私、出るね!」


「珠央、知らない人だったら開けなくていいからね。……雷が鳴る日に紙垂を作るのは、本当は珠央が居なくなるんじゃないかと思って怖いからなんだよ。」


「えー?心配性だな。居なくならないよ。」


 祖父がボソリと呟き、慌てて立ち上がった珠央は動きを止めて冗談めいて言った。珠央は祖父の妙に深刻な表情が少し気になったが、再度 ピンポーン とチャイムが鳴り、すぐにその事は忘れて玄関に向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る