探偵譚8:夢枕の猿とミッシングピース
第36話「糸と意図の繋ぎ目」【上】
「いと、いと、いと、いと……」
珠央はこの家で祖父と二人暮らしをしている。事故で亡くなったという両親や歳の離れた兄の写真が仏壇に飾られているが、当時まだ赤子だった珠央には、彼らと家族だった実感がない。今も昔もずっと、家族の記憶は祖父と二人で過ごした時間だけだ。
「おじいちゃん、ただいま!」
「おかえり、珠央」
珠央が居間に向かって叫ぶと、
珠央は玄関ホールに鞄を置くと、持ち手にシールで印をつけたビニール傘を開き、
玄関前に干した。――その時、小さなコウモリが暗い
珠央の額に目掛けて飛んで来たコウモリは、まるで見えないバリアがそこに張られているかのように、引戸のあたりで何かにぶつかって跳ね返った。コウモリは何度挑戦しても、見えない壁に弾かれるように跳ね返され、玄関の中へは入れない。
珠央が立ち上がって引戸を閉じようとしたタイミングで、コウモリはがむしゃらに空中を噛んだ。すると、コウモリの犬歯に珠央のセーラー服の胸元に縫い付けてある赤いリボンが引っ掛かった。
珠央はそんなことには気が付かずに、居間へ向かって歩いて行く。
コウモリは必死で珠央の制服のリボンの糸を離すまいと硬く口を閉じて引戸の外で抵抗している。
リボンから、糸がじわじわとほつれて伸びて行く。
珠央が居間に入ると、祖父が畳の上で正座をして、ちゃぶ台の上で作業をしていた。
「おかえり、珠央。今日は少し遅かったね。文化祭の放送、神社にもちゃんと聞こえたよ。あれ、珠央だろう?」
祖父は切り目を入れた白い
「うん、今日はちょっと……部活で色々あってね。放送係任されちゃって。おじいちゃんは、今日も
「
「へえ、今まで考えたことなかったけど、そうだったんだ。まだ作るなら私も手伝うよ!」
珠央はそう言ってちゃぶ台の祖父の向かい側に正座をして、
「いと、いと、いと……」
祖父と珠央は口々に呟きながら奉書紙を折っていく。
「そういえば、紙垂を折る時に『いと、いと』って言うのは何でなの?」
珠央は作業をしながら祖父に尋ねる。
「糸を二つ並べて書く、旧字の『
「そうなんだ!それも知らなかった!」
珠央は自分で折った紙垂を顔の前に両手で掲げて、「上出来」と満足そうに頷くと次の奉書紙に切り目を入れ始めた。
「珠央は家の仕事の細かいことには昔から興味がなかったのに、どうしたんだい?急に色々聞いてきて。」
「最近、やっぱり神様の力とかあるのかなとか、妖怪……じゃなくて、邪悪なものを追い払う道具とかがあるなら使ってみたいなと思ったりしてて……」
「神様のお力はきっとあるんじゃないかと、おじいちゃんは思うよ。だって、珠央がこんなにすくすくと健康に育ったからね。大切に守って貰っているから、おじいちゃんは感謝の気持ちを込めて毎日お仕えして毎日お祈りしているんだよ。」
祖父は真剣に作業をする珠央を穏やかに見つめた。
外では、先ほどのコウモリが珠央のリボンから出た糸を
「そっか、今日も何だか色々解決したし、神様にお祈りしてから寝よっと!……あ、そういえば、この前、狭間岬と学校の裏山に繋がってる森に行った時に、大きな太い幹の木があってね、しめ縄と
「おや、
家の外では、コウモリが玄関前に戻って繰り返し玄関の引戸にぶつかっている。
「どうしてそんな大昔からある立派な木なのに、街の人たちは気にも留めないの?私もこの前初めて知ったし。」
「大昔に、
ピンポン
そこで玄関のチャイムが鳴った。
「私、出るね!」
「珠央、知らない人だったら開けなくていいからね。……雷が鳴る日に紙垂を作るのは、本当は珠央が居なくなるんじゃないかと思って怖いからなんだよ。」
「えー?心配性だな。居なくならないよ。」
祖父がボソリと呟き、慌てて立ち上がった珠央は動きを止めて冗談めいて言った。珠央は祖父の妙に深刻な表情が少し気になったが、再度 ピンポーン とチャイムが鳴り、すぐにその事は忘れて玄関に向かった。
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