第8話 最後のノック
視界が暗転した。
足元から、何か冷たいものが這い上がってくる。
闇は生きているようにうねり、床と壁の境目を呑み込んでいく。
逃げなければ――。
そう思っても、足が動かない。
心臓の鼓動がやけに遅く感じる。時間の流れが、また狂っている。
「佐伯さん! 外に出る方法を教えてください!」
闇の中で叫ぶと、どこからともなく彼女の声が返ってきた。
「ノックが三度鳴ったら、もう出口はありません」
「じゃあどうすれば……!」
「四度目を鳴らすんです。あなたの手で」
意味がわからない。
だが、彼女の声は穏やかだった。
「この家は、“誰かが外からノックしてくる”ことで繰り返しを続けている。
外と中を繋ぐ音。それを止めるには、あなたがその役を終わらせなければ」
――コン。
不意に、ドアが震えた。
「誰か」が、もうすぐそこにいる。
冷たい空気が隙間から流れ込み、息を吸うだけで肺が凍る。
「開けて……」
田島の声。いや、違う。
それは、自分の声だった。
耳の奥で同じ声が囁く。
「開けて。ここ、寒いよ……」
理性が溶けていく。
目の前のドアの向こうに、もう一人の自分が立っている気がした。
黒い影のように輪郭が滲んで、声だけがはっきりと響く。
「ねえ、開けて。中に入れてよ」
――コン。
最後のノック。
喉の奥で、佐伯の声がした。
「あなたが開けた瞬間、この家は“次”に進む。
開けなければ、あなたは永遠に“今”に取り残される」
闇の向こうで、影が笑った。
自分と同じ顔、自分と同じ声。
その瞬間、手が勝手に動いた。
ドアノブに触れた指先が、焼けるように熱い。
開けてはいけない――
でも、このままでは終われない。
息を吸い、力を込めた。
ドアが音を立てて開く。
白い光が、爆発するように視界を満たした。
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