第2話 だって、しょうがないよね。

 少し昔話をさせて欲しい。

 5年前、突如としてはじまった戦争。

 かつての世界大戦からちょうど300年の節目の時に、それは皮肉にも起きた。

 よく言えば平和、悪く言えば平和ボケ。そんなあたしたちの国はものの見事に、3か月足らずで滅んだ。

 人口は四半分にまで減り、都市機能は麻痺し、秩序は崩壊した。

 暴力や犯罪が蔓延る中、生き残ったわずかな人々のなかには、未来に絶望して、自ら命を絶つ者もいた。

 その時、あたしは何をしていただろうか。

 そうだ、思い出した。

 逃げていた。

 ただひたすらに逃げ続けていた。

 ひーを引っ張りながら、懸命に。

 父譲りの白髪は、嫌でも目立った。

 それを隠すために、あたしはフードを深く被る。

 必然的に視界が狭まり、足下のくぼみに気付かずに転んでしまった。

 あたしと手を繋いでいたひーも、それに釣られて同じように転んだ。


「痛っ、ごめん! ひー、大丈夫? 」


 彼女は何も言わずに立ち上がった。

 青みがかった黒髪が月の光に照らされる。

 ショートパンツから覗く膝は赤くなり、血が滲んでいる。

 綺麗な顔にも砂汚れがつき、それを拭う手にも血が滲んでいた。

 申し訳なさで言葉を失うあたしを、今度はひーが引っ張って走り出した。

 彼女の外ハネのボブは、走るたびに軽やかに上下に弾んでいる。

 しばらく風呂にも入れていないはずなのに、どこからかいい匂いがする気がした。


「どこに向かえばいいんだっけ」


 走りながら、ヒナタが背中越しに声をかけてきた。


「お父さんの2つ目の工場。ほら、あれだよ! ひーが発電機を水洗いしてぶっ壊したところ!」

「あーすごい。めちゃめちゃ嫌な記憶掘り返されたけど、めちゃめちゃ分かりやすい! 」


 人の目を避けるように裏道を使いながら、小走りで目的地に向かった。

 あたしに憎しみの感情を抱いているものが、どこにいるか分からない。

 実際に昨日は、"シェルターまで案内してあげる" と綺麗なお姉さんについて行ったら、暴徒のところにまで連れて行かれそうになった。

 いち早くそれに察して慌てて逃げたが、その時にフードが外れてしまい、あたしの白髪が目についてしまったのだろう。

 奴らの車が周辺を頻繁に行き来していた。

 あれに捕まったらどうなるかなんて、考えたくもない。

 きっと、父のように──


「……ッ」


 ──良くないことを考えてしまった。顔を振り、頭の中から、余計な情報を追い出す。

 どれくらいの距離を移動しただろう。

 やがて目的地に着いた。

 大きな川と、山を二つ越えた記憶はある。日は何度沈み、何度上がっただろうか。

 目の前には、朽ちた工場があった。

 そこにあたしたちは足を踏み入れる。

 肺が悪くなりそうなほど埃が舞い、油と錆の独特な匂いが鼻をついた。


「懐かしいねー、来たのいつ以来だろう?」

「あたしはちょくちょく来てたけどね、ひーは三年は来てないんじゃない? 」


 ここはかつて、父が代表を務めていた工場だった。

 優秀だった父はすぐに大きな企業に声をかけられ、そこに移籍すると共にここの工場を部下に引き渡した。

 とはいえ、面倒見がいい父のことだ。最低でも年に二回はここに訪れていた。

 かつての上司なんて目の上のたんこぶにしかならないようなものだが、父が来るたびに部下たちは笑顔で歓迎をしていた。

 多くの人に慕われていた人だった。

 奥に進み、代表室と書かれた札を見つけ、その部屋の中に入った。

 父の部屋だと一瞬で分かった。

 代表は代わり、ここを使っていた人も代わっているだろうに、それでもそこかしこに父の面影がある。

 今はまだかつての状態を維持している工場だが、やがて父の経歴が暴かれ、ここの存在も知られることになるだろう。

 そうなると、おそらく二度とここには来られない。


「ひー、こっちに来て」


 あたしの声に驚いたのか、工場内の機械に触れていたヒナタは肩をはねさせる。

 そして、小走りであたしの隣にやって来た。

 彼女を横目で見ながら、ガラス張りの飾り棚に指をさす。

 正確には、その飾り棚の中。

 黒い半透明の箱があった。

 それを慎重に取り出すと、机の上に置いて、箱を開ける。

 中には、円筒状のものが入っていた。

 装飾も一切ない、冷たく滑らかな半透明な筒。

 強いて特徴を挙げれば、中に液体が入っていることくらいだろうか。


「これが、みんなを救うんだね」


 ヒナタがそんなことを呟いた。

 彼女の目は輝き、どこか嬉しそうでもあった。

 これで、この終わりかけた国を救えるのだと。

 思わず毒づきそうになった。

 こんな国、救う価値があるのか?

 そもそもの話、これはそんな素晴らしいものではない。

 否定したかった。

 何で?

 何が?

 誰を?

 なぜ?

 どうして?

 あたしの中の、"良くないあたし"が何かを囁いてくる。

 さながら、楽園の悪魔だ。あまりにも今の状況に皮肉が効いていて、鼻を鳴らしてしまう。

 深く息を吸い、ヒナタの方へ顔を向ける。

 希望に目を輝かせる彼女を見て、あの時、あたしは何を思ったのだろうか。

 不安はなかった。心配もなかった。

 しかし、あの時のあたしの中にあった感情の名前をあたしは知っている。

 あれは、──■■、だった。


 ◯●◯


 キャンプ地に戻ったあたしたちは、ブランケット代わりに使っていたボロ布を脱ぎ、きちんとした服に着替えた。

 無地の少しオーバーサイズのシャツだったが、ヒナタは気に入らなかったのか、目を細めていた。

 しかし、着られる服がこれしかないと伝えると、しぶしぶといった様子で着替え、あたしと共に展望台から見えた街の中を歩いていた。

 いや、街と呼ぶのはおかしいのかもしれない。

 かつて街だった場所を、ヒナタと二人で並んで歩く。

 無価値で、無意味で、無彩色の景色がどこまでも続いていた。

 足元の小石を蹴り、近くの車に当てる。

 当然、それを咎める者はいない。

 乾いた音が響くだけだった。

 荒廃した世界で、音を出すのはあたしたちしかいない。

 そのせいか、小石が車に当たった甲高い音は、遠くの方まで響いているようだった。

 ヒナタも小石を蹴ろうとするが、ぶかぶかのサンダルを履いているせいでうまく当たらず、小石はあらぬ方向へ飛んでいく。


「ねえ、もしかして私たち以外の人って、みんな死んじゃってたりするの? 」


 どこまで行っても人の気配を感じない景色を見て、彼女はつぶやいた。

 あたしたちが歩いているこの場所は、かつて40万人近くの人々が暮らし、一日で5万人以上が利用する駅があった。

 しかし、その面影はもうない。

 駅前の大きな通り、左右合わせて六車線の車道。

 左手には駅、右手にはかつて不動産屋か何かだったのだろうか、入居者募集の張り紙が貼られたガラス張りの建物があった。

 そのガラスを見ていると、ヒナタも同じように目を向け、ガラスの反射越しに目が合った。

 そんな彼女に声を掛ける。


「他の国が攻めてきた直後は、人口が4分の1にまで減ったらしいよ。けど、なんだかんだ言っても、人はしぶとかった」


 あたしたちは駅の方へ足を向けた。

 かつての偉人を称える金の像を通り過ぎ、近くのベンチに腰を落とす。


「今は、五か所ぐらい大きなシェルターがあって、それぞれで自治が行われている。少しずつだけど、復興しようとしているらしいよ」


 その一か所に今は向かっていると続けた。


「そこに行けば何か思い出せるかも、ってこと? 」

「うーん、どうだろう。あそこは復興が目まぐるしいからね。景色は私たちが通ってきた時よりもだいぶ変わっていると思うよ。前行ったのはちょうど一年ぐらい前じゃないかな」

「一年でそこまで変わる? 」

「変わるよ」


 あたしの返答に、ヒナタは目を丸くして驚いた。


「まあ、間が空いたもそうだけど、そもそもあのときはそこまで長く滞在していなかったしね」


 記憶もクソもないだろう。

 あの時のあたしは必死だった。

 五年前とは違い、追われていたのはあたしだけではなかったから。

 はじめの頃は海沿いにずっと逃げていたが、どうしても人の目が気になった。

 一息つけたのは、山奥に身を隠すようになってからだ。

 このときの話は、あまりヒナタにしたくなかった。

 思い出して欲しくないことも思い出してしまいそうだからだ。

 じゃあ、なぜそこに向かうのかと、至極真っ当な質問をされた。


「会いたい人がいるんだよ。で、話したいこともある」

「そのシェルターにいるってこと? 連絡手段もなさそうだけど会えるの? それに電話とかできるものが入ってたりするとか? 」


 彼女はあたし大きなリュックを指さしながら話した。

 当然、そんなものは入っていない。

 そもそも "電話" なんて言葉を数年ぶりに聞いた。

 あんな基地局とかが必要な不完全なものは、戦争が始まるとともにガラクタと化していた。

 そんなものはない。

 連絡手段もない。

 でも、絶対に会える。

 あたしが力強く答えると、そっかとヒナタは軽く返した。

 どこか諦めたような、悲しげな声だった。

 その時の彼女の感情は、あたしには分からなかった。


 □■□


 軽く駅構内を散策していたあたしたちは、アパレルショップの跡地を見つけた。

 サキちゃんをコーディネートしてあげると、意気揚々と店内に入った彼女は、数分も経たずにため息をつきながら出てきた。


「……なにこれ、ほとんど何もないじゃん 」

「当たり前でしょ? あたしたちにぴったりのサイズの服なんて、とっくに回収され尽くしてるよ」


 戦争直後、崩壊したモラルの下で窃盗は当然の権利と化していた。

 誰もが自分を第一にしなければ生きていけない世界。

 そんな中、以前のように洗濯と呼べる行為ができなくなったことで、衣服は回収され尽くされていた。

 時代が時代なら、あたしたちはまだ学校に通っている年齢だ。

 オシャレしたい気持ちは分かるし、そういう気持ちは当然あたしにもある──はずだ。

 少し自信がないが、笑顔で店の中に入っていったヒナタの顔を見て、何も思わなかったわけではない。

 あたしは、わざと大きく息を吐き、うなだれている彼女に近づいて、軽く尻を蹴った。

 ヒナタが何かを言う前に手を引っ張り、とある場所へと連れていく。


「ここって……」

「リサイクルショップ。なに? リサイクルショップのことまで忘れたの? 」

「いや、それは覚えてるんだけど……。なんでここに? 」

「知らないの? リサイクルショップは服も扱ってるのよ」

「知ってる。知ってるよ! ただ、その、こう、なんていうかなー。私はサキちゃんをコーディネートしたいわけ! こんなとこにあるような服じゃ──」

「あたしをオシャレにできないってわけ? へー、ヒナタはその程度のファッションセンスしかないんだー。残念だなー。ここ以外には服がある場所は思いつかないしなー。諦めるしかないかー」


 煽ってみた。

 子どもでも引っかからないような露骨な煽りだった。

 しかし、ヒナタには思っていたよりも効いたようだ。明らかに顔色が変わった。

 無言であたしの手を取り、店の中へ入る。

 古着コーナーは店内の最奥にあるようだ。そこへ向かう。

 かつては綺麗に整理されていただろう店内は、無造作にありとあらゆるものが床に散らばっていた。

 それらを踏みしめて進み、目的のものを見つける。

 服は当然のようにハンガーから下ろされ、一か所にまとめられて山のようになっていた。

 ヒナタはしゃがむと、その山に手を入れた。

 かき分け、一着ずつ確認して仕分けていく。

 どれくらい時間が経っただろうか、彼女は満足した表情であたしに何着かの衣服を押し付けてきた。

 そして無言で試着室の方を指さした。

 着替えろ、ということらしい。

 彼女の圧に負けて、そそくさと試着室に入り、衣服を着替える。

 正直あたしとしては、このボロボロの服も年季が入ってはいるが逆にそれがいい味を出していて気に入っていた。

 まあ、ヒナタがわざわざあたしのために選んでくれたものだ。

 悪い気はしない。

 あたしは一年ぶりに新しい衣服に袖を通した。

 数分で着替え終わり、鏡で軽く髪を整えてから試着室を出る。


「いいじゃん。悪くないでしょ? 」

「そうだね。悪くない」


 いくら古着とはいえ、あたしたちにぴったり合うサイズの服はなかったらしい。大きさに少し違和感を覚えるが、それでも彼女が選んだ衣服の組み合わせは十分に様になっていた。

 グレーのシャツに、ダークブルーのダメージジーンズ、かなりオーバーサイズの白いパーカを重ね、裾を前で結び、どこかあどけなさが残るがしっかりと垢抜けた感じのあるファッションになっていた。

 あたしが着替えている間に、ヒナタも着替えていたようだ。

 黒を基調に濃い青色が差し色にした服を着ており、ワイドスタイルのデニムパンツは明るめの色だった。ぱっと見ボーイッシュな印象を受けるが、肩部分のスリットがアクセントになっていた。

 やはり、センスがいい。

 記憶を失う前から、彼女にはこういったセンスがあった。

 これが記憶喪失と一緒に忘れられなくてよかったと、心の底から思う。

 近くに姿見を見つけ、ホコリを払って自分を写した。

 落ちていたキャップを拾い、短めのポニーテールをシャツの中に入れてフードを整えると、ある程度は白髪を隠すことができた。

 すると、ヒナタは不思議そうな視線を向ける。


「髪、隠すの? サキちゃんの綺麗な白髪に合うように服選んだんだけどな」


 拗ねたようにつぶやく彼女を見て、罪悪感を覚えた。

 別にここは人目が多い場所ではない。

 キャップを外し、白髪を出すと、途端に彼女の顔が明るくなった。


「やっぱり綺麗。サキちゃんのその髪、好きだな」

「ん、ありがと」


 屈託のない笑顔を見せられ、あたしの顔が熱を帯びるのを感じた。

 もしかしたら赤くなっているかもしれない。

 そのことがバレないように、姿見の方へ視線を戻した。

 そこに映るのはもちろん自分だが、いつもの自分ではなかった。

 久しぶりにオシャレをした気がする。

 思わず頬が緩んだ。

 隣に来るように、ヒナタを手招きした。

 少し大きめの姿見に、あたしたち二人が並んで映った。

 あたしたちはほぼ同じ身長で、強いて言うならヒナタが少し高いくらいだ。


「いい服選んでくれたね、ありがと」

「いえいえ、お粗末さまです」

「それ、言葉の意味違うくない?」


 そんな小言をいいながら、彼女の方に体重をかけた。

 あたしがバランスを崩したのかと思ったのか、ヒナタは少し驚いた表情でこちらに顔を向ける。


「ん、」


 ほんの一瞬。

 唇を重ねた。

 刹那にも満たない時間。

 その瞬間を覚え込むように、唇に人差し指を当てた。

 フリーズした彼女を置いて、あたしは先に店を出た。


 □■□


 駅前の広場に戻ったあたしたちは、目の前の大きな階段を登り、再び駅構内に入る。

 左手の奥に進むと、本屋の跡地があった。

 ここはまだアパレルショップほどは荒れてはいなかった。

 ところどころ棚に空いたスペースがあるが、それは戦前からのものなのか、戦後に誰かが持っていったのかは分からない。

 ただ、後者だったらいいなと願う自分がいた。

 こんな世界でも、まだ娯楽に使える時間と心の余裕がある人間がいるということだからだ。

 あたしは漫画コーナー辺りを散策し、ヒナタは店の奥の方のある、併設されたカフェの様子を見に行った。

 別に漫画が好きというわけではない。小説も読まないし、そもそも本自体、あたしにはあまり馴染みがなかった。

 だけど、それでも本屋には得も言われぬ魅力があった。

 本に使われたインクの匂いだろうか。理由は分からないが、心が落ち着く何かがある。

 何気なく棚を見ていると、見覚えのあるタイトルの漫画を見つけた。それを手に取り、開いた。

 100年ほど前の学校を舞台にした、男女の恋愛模様を描いた作品。

 遠すぎず近すぎない、絶妙なレトロ感が話題となり、実写映画化もされた人気作品だった。

 確か半年前に、とあるシェルターでこの映画の上映会がされていて、ヒナタと一緒に隠れて見た記憶がある。

 彼女は、隠れて見ているという状況も相まって、かなり楽しんでいたようだったが、あたしはどうだっただろうか。

 なぜだろうか、不安のようなものを感じていた気がする。

 それは隠れて見ていることがバレることでも、あたしの白髪に気づかれることでもなく、それよりも苦しく、嫌で、目を背けたくなることだった。

 もっと根本的な何か。


(あ、そうか、あたしは──)


 その原因を思い出した瞬間、静寂を引き裂く悲鳴が聞こえた。

 本能的な恐怖とともに、それ以上の不安があたしを襲う。


「ヒナタ! 大丈夫!? 」


 急いで彼女の元に駆けつける、ヒナタは腰を抜かしていた。

 そして、震える手で何かを指さした。

 その指さす方へ視線を向ける。


(あぁ、なるほど……)


 そこには、たくさんの死体が重なっていた。

 四、五人ほどの死体が不自然な形で積まれていた。

 腕や足があらぬ方向へ向いている。

 腐敗は均一には進んでおらず、あるものは中身が見えていたり、あるものは骨が見えていたりした。

 そばには、かつて食料を保存するために使われていたであろう冷凍庫があった。

 元々はこの冷凍庫に詰めていたものが、劣化とともに飛び出たのだろう。

 誰かが死体を冷凍保存をして腐敗を防ごうとしていた可能性が考えられた。

 当然、戦争開始直後から電気は止まっている。

 冷凍機能はもちろん、冷気ひとつすら出なかっただろう。

 それでも残したかった。

 火葬をせずに、ここで保管をすることを選んだ。

 その理由を察して、ヒナタを支えながらその場を離れた。


「サキちゃんは、今の……大丈夫なの?」


 未だに震えている彼女は、移動しながらそんなことを呟いた。

 死体の状態の話をしているのだろうか。


「まあ、確かにあそこまで絶妙な腐敗具合は久しぶりに見たね。脳みそと ──」

「そうじゃなくて! 」


 彼女は突然叫び、あたしを強く押した。

 バランスを崩し、腰を床にぶつけた。

 鈍い痛みが背中まで響く。


「痛っ! ちょっと、なにするの!?」


 怒りを言葉にしたあたしは、涙でぐちゃぐちゃになったヒナタの顔を見た。

 嗚咽を漏らしながら、手を震わせながら、それでも必死に言葉を紡ぐ。


「人が死んでたんだよ! 人がっ!死んでたの! 意味分かる!? 」


 彼女は膝から崩れ落ち、涙をこぼしながら、懸命に訴えていた。


「嫌だよ! あんなものを見て、何も思わないなんて嫌だよ! おかしいよ! ──ッ、そんなの人じゃない! 」


 ここで初めて、彼女の言葉の意味を理解した。

 サキちゃんは人の死体を見て、何も思わなかったの? と。


「ご、ごめん……」


 泣き叫ぶ彼女を前に、あたしは戸惑いながらも謝ることしかできなかった。

 だって、しょうがないよね。

 何も思わなかったんだから。

 少し胸にモヤのようなものを感じて、それを無理やり振り払った。

 ──この感情は、きっと今はふさわなしくない。

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