第2話:神官見習いの少女、ルナ

 翌朝。


 木漏れ日が窓から差し込む。

 古びた宿の一室、俺は机の上の水差しを手に取って、ベッドに横たわる少女のそばへ向かった。


 昨夜、街外れで倒れていた少女――。

 修道服は土に汚れ、手には細い傷。だが、表情は穏やかでどこか神々しかった。


 ゆっくりと彼女の睫毛が揺れる。


「……ん、ここは……?」


「ああ、気づいたか。」


 俺は椅子を引いて座った。

 少女はぼんやりと辺りを見渡し、そして俺を見つめた。


「あなたが……助けてくれたんですか?」


「まあな。夜中に倒れてるのを見つけた。放っておけなかった。」


「……ありがとうございます。」


 そう言って、小さく微笑む。

 その笑顔があまりにも柔らかく、俺は一瞬言葉を失った。


「俺は天城朔夜。冒険者……ってことになるのかな。昨日登録したばかりの新人だ。」


「……朔夜さん。」


 少女は静かに名前を繰り返し、少し目を伏せた。


「私は……ルナ。元・神官見習いです。」


「元?」


「はい。神殿を……追放されました。」


「追放? なんでまた。」


 彼女の指が胸元のペンダントを握る。

 金色の小さな輪の中に、月のような石がはまっている。


「……“神の声”が聞こえるんです。」


 その言葉に、思わず息をのむ。


「神の……声?」


「はい。

 でも、神殿では“神託を自称する異端”とされてしまって……。

 どんなに祈っても信じても、誰も私の言葉を信じてくれませんでした。」


「……ひどい話だな。」


 ルナは静かに笑った。


「でも、あなたのことは……神様が教えてくれたんです。」


「……俺の?」


「“ゼロの器が、世界を揺らす”って。」


 俺は苦笑する。


「神様、だいぶ適当なこと言うんだな。」


「ふふっ……。」


 その小さな笑い声が、妙に温かくて。

 初めてこの世界で、誰かと笑い合えた気がした。



 ルナは体を起こし、カップの水を飲む。


「神官の修行をしていた頃から、時々……“声”が聞こえたんです。

 たとえば、倒れた人の命の光が消える前に、“まだ終わりじゃない”って。

 その声に従って祈ると、奇跡のように助かることがありました。」


「つまり、癒しの力か。」


「はい。でも、その力を“神以外の力だ”と疑われて……。

 私の存在が、神殿の教えを揺るがすって。」


 淡々と話すその声が、少しだけ震えていた。

 孤独と、恐怖と、そして――それでも人を救いたいという祈り。


 俺は静かに言った。


「ルナ。信じるかどうかは分からないけど――少なくとも俺は、信じる。」


「え……?」


「神だろうが何だろうが、誰かを助けるために動けるなら、それは立派な力だ。」


 ルナの瞳がわずかに潤んだ。


「……ありがとう、朔夜さん。」



 昼過ぎ。

 ルナは体を休めながら、外の光を眺めていた。


「これから、どうするんですか?」


「とりあえずギルドの依頼でも受けようかと思ってる。

 金がなきゃ飯も宿も続かねぇしな。」


「……私も、一緒に行ってもいいですか?」


「え?」


 ルナは少しだけ顔を赤らめて言った。


「私……祈りの力を試したいんです。

 神殿では、怖がられるだけだったけど……。

 あなたとなら、きっと何かできる気がして。」


 その真っ直ぐな瞳に、俺はしばらく言葉を探した。


 そして――笑った。


「いいぜ。神の声が聞こえるヒーラー、悪くねぇ相棒だ。」


「えへへ……ありがとうございます。」



 そのとき、外から鐘の音が響いた。

 ギルドの呼び出しだ。


「……ちょうどいい。依頼を見に行くか。」


「はい!」


 ルナが立ち上がる。

 その動きに、陽の光が反射して髪がきらめいた。


 白銀の輝きが、なぜか懐かしく感じた。

 ――まるで、遠い昔に一度、彼女と出会ったことがあるような。


(気のせい……だよな。)


 俺はその感覚を振り払い、宿を出た。



 ギルドの掲示板には、数十枚の依頼書が貼られていた。

 その中で、ひときわ簡単そうな一枚をルナが指差す。


「これなんてどうですか? “薬草セリア草の採取”。」


「ほう、初心者向けか。」


「報酬は銅貨十枚……食費にはなりそうです。」


「よし、それにしよう。」


 受付嬢が依頼を受け取ると、俺のギルドカードを見て一瞬目を見開いた。


「……Zランクの方、ですか?」


「ああ。」


「……お気をつけください。北の森では最近、魔獣の目撃情報が増えていまして。」


「魔獣?」


「ええ。Eランク以上で推奨される依頼です。本当に大丈夫ですか?」


 ルナが不安そうに俺を見る。


「……危ないなら、別の依頼に――」


「いや、行こう。」


「え?」


「逃げてばかりじゃ、何も始まらねぇ。」


 俺はカードを受け取って立ち上がった。


「Zランクの実力、試してみようぜ。」


 ルナは少し驚いて、それから――微笑んだ。


「……わかりました。

 じゃあ、私も神様にお願いしておきますね。

 “彼が、無事に帰ってこれますように”って。」


 その祈りが、本物の奇跡を呼ぶことを――

 このときの俺は、まだ知らなかった。

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