空色の貝殻

みずあめ

第1話

僕は夏が好きだ。好きなのに、いつの間にか終わっていた。もう9月の中旬。まだ厳しい暑さが続いている。夏休みなどとっくに終わっているのに、9月に入ってから1歩も外へ出ていなかった。夜6時半頃、母親が部屋の前までご飯を持ってくる。

「夜ご飯、ここに置いておくね」

いつも通り部屋の前にご飯を置いて去っていく。どうせまた明日も外へは出られない。外では夕立が降っていて、秋雨前線の訪れを感じる。どうしたら夏に戻れるのか。それだけを考えて今日も部屋に籠る。


*


出会いは突然とよく物語で聞くが、まさか本当にそんなことが起きるとは思ってもいなかった。8月13日、ただなんとなく海へ行きたくなって、気がついたら足を動かしていた。電車で片道2時間。少し遠いがあっという間だった。浜辺に座りひたすら波に打たれる貝殻を見ていた。日常なんて見たくもなくて、こんな時間が続けばいいのにと思った。そっと貝殻に触れる。空色の見たことのないとても綺麗な貝殻だ。ポケットにしまおうとしたとき、声がした。

「あ、綺麗」

その声に驚きびくっと肩を動かした。横を見ると透けてしまいそうな白い肌に、こげ茶色の長い髪の毛の少女が貝殻を覗き込んでいた。おそらく15、6歳くらいだろうか。

「いきなりごめんなさい、でもすごく綺麗だなって思って」

とても美しい姿に緊張して思わず目を逸らしてしまった。僕が動揺していると、彼女は驚かせてしまってごめんなさいと頭を下げた。

「もし良かったらそれ、くれませんか?」

「え、ああ、全然構いませんよ」

彼女の美しさに見惚れていてあまり考えずに返事をしてしまった。貝殻を手にした彼女は嬉しそうに微笑み、僕の隣に座った。彼女は貝殻を太陽に掲げた。

「あおい」

「え?」

「私の名前、あおいって言うんです」

彼女はどこか悲しそうに笑って言った。

「死んじゃったお母さんがつけてくれたの。"碧"に"海"であおい」

碧海は実の母親が亡くなってしまい、今も尚その母親が忘れられないのだと言った。

「お母さんが病院でね、死んじゃう前に突然言ったの。"海のどこかにあるのよ"って」

「どういうこと?」

「分からない。他にも何か言ってた気がするけど、覚えてないの」

碧海は貝殻を手のひらで転がしながら呟いた。その後碧海は母親との思い出をたくさん話してくれた。母親は料理が得意だったこと、描いた絵を褒められたこと、どんなに仕事で帰りが遅くても絶対に自分との時間を取ってくれたこと、そのどれもが幸せだったこと。そして碧海は少し黙ったあとこう言った。

「でも、記憶がないの。ここにきたあとの記憶が、全くないの」

「記憶が、ない?」

最初はただの冗談だと思った。でも碧海があまりにも真剣に言うもんだから信じざるを得なかった。本当に記憶がないのか、なんでここにいるのか、何度も何度も聞いた。しかし返ってくる答えは分からない、覚えていないばかりだ。碧海は本当に記憶喪失しているようだった。

「最後にお母さんとここに来たのが最後の記憶なの」

「えっと、お母さんは病院で亡くなったはずだよね…?なのになんでお母さんと2人でここにきたのが最後の記憶なの?」

「分からない、全部分からないの。考えるだけで息が苦しくなってくる…」

呼吸を乱しながら涙を流すので、僕は碧海の背中をそっとさすった。少し疑問を抱えつつも、いきなり問い詰めてしまったことを反省した。しばらくして泣き止んだ碧海がいきなり立ち上がって言った。

「私どこに帰ればいいんだろう」

「家の場所、思い出せない…?」

碧海はまた泣きそうになりながら、静かに頷いた。スマートフォンを開くと時刻は午前11時。僕は少し、碧海を助けたいと思った。

「まだ時間はあるし、いろんな場所に行ってみない?何か思い出せるかもしれないよ」

「一緒に行ってくれるの…?」

「もちろん」

碧海は涙を拭って僕に微笑んだ。このときはまだ知らなかったんだ、夏がこんなにも恋しくなるなんて。

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