断片の映像

2148年6月5日 19時20分

冴木市 白桜大学 冴木キャンパス 大サークル棟 旧文化研究会 部室


資料室の片隅、埃をかぶった端末に光が灯った。

宮本梨花は再生ボタンを押し、古びた映像記録を食い入るように見つめた。

画面には狭い居間と食卓が映っている。白い皿に載せられた揺れる黄色――プリンだ。

周囲には家族らしき人々が座り、笑顔を交わしている。


「これが……」

宮本は思わず息をのんだ。


プリンが食卓に置かれた瞬間、子供が歓声を上げる。

母親は「今日は特別だからね」と微笑み、父親はカメラ越しに冗談を飛ばす。

誰もが楽しげで、プリンはその場を和ませる中心にあった。


だが映像はそこまでだった。皿の上でぷるりと揺れる姿は確かに愛らしい。

けれど、肝心の味を伝えることはできない。香りも舌触りも、画面には記録されていない。


「核心に近づけない……」

宮本は小さく呟いた。


別の映像を再生すると、冷蔵庫を開ける場面があった。

兄と思しき青年が中からプリンを取り出し、断りもなく匙を入れる。

次の瞬間、妹が叫びながら飛び出してきて、相当な勢いで怒りをぶつける。

家族全員が笑いに包まれるその光景は微笑ましくも、同時に宮本の胸に複雑な感情を残した。


――なぜ、そこまで怒るのだろう。


プリンは単なる甘味以上の意味を持っていたのだ。

家族の誰かにとって、それは自分だけの楽しみであり、待ち望んだ瞬間だったのかもしれない。

小さな一皿が、日常の喜びと葛藤を引き出す触媒になっていた。


だがやはり、味の記憶は映像から抜け落ちている。

兄がどんな風に甘さを感じたのか、妹がなぜ必死に守ろうとしたのか、

その核心を掴むことはできなかった。


映像を止めると、資料室に静寂が戻る。宮本はノートを開き、書き留めた。

〈プリン=家族の中心、争いと笑顔〉


「でも、味は……?」


空白の欄にペン先が止まる。視覚と聴覚の記録だけでは、舌の記憶を呼び戻すことはできない。


後日、仲間にこの映像を見せると、篠森悠真は腕を組んで言った。

「大切なのは“誰かが笑顔になった”という事実だ。味は記録できない。

 でも、その場の空気がプリンの価値を示している」


香坂璃音は冷静に指摘した。

「逆に言えば、映像だけで復元しようとするのは無理。

 味覚は五感すべてと結びついてるから。欠けた部分をどう埋めるかが課題になるわ」


水無瀬は少し笑って付け加える。

「妹が怒るくらい大事にされてたなら、それだけ“プリン”という存在が特別だったんだよ」


宮本は深く頷いた。プリンは単なる菓子ではなく、家庭の記憶そのものだった。

だが記憶は曖昧で、分量も味も欠けている。

黄ばんだ紙と断片的な映像、その二つを合わせても「本物」には届かない。


それでも、彼女の胸には確信が芽生えつつあった。

記録に穴があるからこそ、自分たちがそこを埋めなければならない。

兄妹の笑い声の奥に、まだ形にならない「本物」が眠っている。


宮本はノートに新たな言葉を記した。

〈映像は断片、味は未来に探すもの〉


小さな字が、夜の資料室の光に淡く揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る