第3話 確認の三日目
潜入三日目。
今日も遅番で出勤した二人は朝礼後、廊下で藤沼とスタッフの一人、上澤が神妙な様子で話をしているところを見かけた。無論その会話をホール業務をしつつ受信機にて聞いていると、上澤の思いつめた相談内容が聞こえてきた。
「自分、朝礼の司会をやり続けてもう一ヶ月っすよ。しんどいっす……」
「そうだよな。前のミスは大きかったけど、さすがにここまでやる必要はないよな」
上澤は去年入社した若手の社員だ。真面目だがいじられキャラとしてみんなに可愛がられている。
そんな彼は二人が潜入する約一ヶ月前、仕事中に大きなミスをしてしまった。その処罰としてリーダーをやる権限をしばらくという形で取り上げられ、出勤する度に朝礼の司会をやらされ続けていた。
ミスがミスだったためにある程度の罰則は仕方ないと藤沼は思い、上澤の反省態度を見つつ様子を見守ってきた。そして彼は十分に反省し、態度からも見て取れるくらいになったのでその処罰も一週間程で終わる予定だったのだが、あろうことか上は止めずにまるで晒し者にするかのように全員の前でからかっては続けさせたのだ。
「藤沼チーフはマネージャー達に終わるように頼んでくれていたことは知ってます。でもこのままだと、きっとマネージャーと店長が満足するまでやらされ続けてリーダーだってやれないまま評価の時期を迎えると思います。それは辛いです。自分で言うのもアレっすけど、もう十分反省しました。もう許してほしいです。藤沼チーフ。僕はどうしたらいいんですか? どうしたら止めてもらえるんですか? ……正直もう仕事を辞めたいっす」
その見るからに憔悴した様子を、話しを藤沼は真剣に受け止める。
上澤を含めスタッフ達は上司、ましてや自分達よりも二つも階級が上の人には絶対に逆らえないし意見だって言いにくい。また、過去に相談や意見を言いに行った人もいたそうだが、威圧的な態度をとられたり話を聞いているようで聞いていないといった様子だったこともあり、件の二人に対しての信頼は皆無だという。
でも藤沼だけは違った。誰よりも部下に寄り添い話も聞いてくれる。良い意味で上司っぽくないのだ。
「ごめんな。もっと俺がしつこく言ってればよかったよな。分かった。この後俺からまた二人にこれ以上はやり過ぎだって言っておくよ」
「ありがとうございます。話を聞いてくれて少し楽になったっす。ホール出ます」
「よし、じゃまた何かあったら何でも言ってくれよ? 時間作るからさ」
直後インカムにはホールに出た上澤の声が、受信機にはマネージャーへ話があると言って話を始めようとする藤沼の声が流れ始めた。
「上澤のこと? 何かあったっけ?」
二人はしらばっくれているのか、本気で言っているのか分からない様子だ。それにより藤沼はこの人達が自分の上司であることが恥ずかしくなった。
「まだ罰を続けるんですか? もう一ヶ月です。上澤君は十分に反省しました。ここ最近の行動を見ても明らかです」
それに返ってきた言葉は驚くべきものだった。
「最近見てないから反省しているのか分からないんだよな。それにだ、罰はもう終わってる。上澤が今でも勝手に続けているだけじゃないのか? 俺がこう思っているってことは、店長も同じように思っていると思うよ。ねぇ? 店長」
「ん? そうだな。上澤は自分から続けているだけで俺達は何も強制しているわけじゃない。いつでも終了して構わんのだがな。彼は本当に律儀だな」
といい、二人してゲラゲラと笑い始めた。するとついに藤沼の中で何かが切れた。
「あなた方はそれでも上司ですか? 罰と称して部下を苦しめることが、もう無関係と自分達で勝手に決め本人には終わりを告げずにさも自分の意思だと言う、それが上の人間のやることですか!」
「そう怒んなって。別に強制してるわけじゃないんだからよ。何も言ってこないってことは、上澤がやりたいってことなんだろ? リーダーのことだって何も言ってこないし、本当はもうやる気が無いんじゃないのか?」
「だろうな。本当にやる気があるなら自分から言ってくるものだしな」
主に話をしているのは海野。それに同調し自分から意見を言わない大谷。
直後、温厚な藤沼が机を蹴り飛ばし、周囲に轟音が鳴り響いた。それはホールにいた数人のスタッフにも聞こえたようで、
「藤沼チーフ。事務所の方から大きい音がしたみたいなんですけど、何かあったんですか?」
とインカムで問いかけるスタッフ。
「ごめんね。机にぶつかっちゃっただけだから大丈夫だよ。もう少しホールはよろしくね」
さすがに無関係なスタッフに感情をぶつけるわけにはいかないので藤沼はいつもの調子で答えた。そして、再び二人を睨みつけた。
「二人がそういうつもりならもういいです。上澤君には終了と言っておきます。全員の前でいじられても無理に従う必要もないと。リーダーも復活させます。僕が彼に評価の場を作ってあげます」
藤沼は呆れたように事務所の扉の方へ歩いていき、出て行く前に
「上澤君は僕に言いました。辛いと、もう仕事を辞めたいと。辞めていった部下達はスタッフとは仲が良かったです。上がそんなんだから潰れたんです。新人だって何人も辞めていきましたよね。全てあなた達のせいです。いつか必ず報いを受ける日がきますから……」
と言い残し藤沼はホールに出て行った。
その顔には明らかな疲労と憎しみにも似た怒りがあった。しかし、それでもスタッフには気付かれまいと必死に平静を装っていた。
***
「どう思った?」
報告や相談を兼ねて今日も
時刻は深夜一時前である。
「聞いているだけでも藤沼チーフの怒りというか、あの二人の、特に海野マネージャーのクズさが分かりますね」
「海野はもちろんクズだけど、止めようとせずに同調する大谷もクズだよ。藤沼チーフが話した中に部下や新人が何人も辞めたってあったから
「よくそこまで調べられましたね」
「まぁ、ROOの諜報機関は優秀だからね。それに今はSNSで何でも発信出来る時代だから、それ関連のことを見つけるのは案外簡単だったりするよ?」
元有名インフルエンサーのチカですらも盲点だったと気付く。
「明日で四日目だね。私の中では答えは出てるんだけど、チカはどうするのがいいと思う?」
その問にチカは答えを察したが、自分でそれは言えなかった。いや、少し前まで人間だったチカに言っていいのか、果たしてそれは許されるのかが分からなかった。
「そうですね……はい…… でもまだ明日含めて二日あります。明日じゃなくても……」
「いや、明日じゃなきゃ先に藤沼チーフが潰れる。彼はあの店には必要な人材だよ。チカも昨日今日で知ったでしょ? スタッフとの接し方、それにスタッフからの信頼が段違いよ? あとこれも辞めて行った人達の意見なんだけど、藤沼チーフだけは最後まで自分を支えてくれていたって言葉が多数上がっているよ。だから未来に必要なのは、そうやって人を思うことが出来て大切にすることが出来る人だよ」
チカはふと藤沼が事務所を去る時に言っていた言葉を思い出した。
―いつか必ず報いを受ける日がきますから……
あの言葉はもしかするとスタッフ達のために自らの手であの二人をどうにかしようということなのかもしれない。それこそ最悪の場合、もしかしたら……
チカは次の言葉を迷った。しかし、もうほとんど答えは決まっていた。
その気持ちを悟ったユウはROOMに一人追加した。
「はいはーい。入ったよぉ。どうしたの?」
今日も今日とて陽気な声のミヤコは画面の先でぐいっとウイスキーを飲んでいた。
「ミヤコさん。やっぱりその量は体に毒だって」
「だってぇ~仕事終わりに飲む一杯は格別なのよぉ? あ、一瓶か」
この人に飲みすぎという概念は無いのだとユウは何度思ったことか。
そんなことはさておき、さっそく本題に入った。
「明日、執行するよ。もう潮時かなって」
「そう。本当にいいのね? チカちゃんも」
執行と聞いて真面目な様子に変わるミヤコ。その真剣な声音でチカにも問いかけた。
「はい。さっきユウさんと話しました。明日執行すべきだと私も思います」
それを聞いたミヤコは何度か頷いてからテーブルにウイスキーの瓶を置いた。それが許可の合図だと理解したユウが作戦を言う。
「明日の営業終了後、いつも二人は車で帰る前に煙草を吸うみたいなんだけど、そこを襲撃する。それでいこうって思ってるよ。いい?」
「分かった。とりあえず三日間は見てくれたし、現場の判断でそれが得策ならいいよ。人払いとか、その後のことはこっちで回すから任せてね」
「ありがとう。それじゃ、執行が終わったら店に戻るよ」
そうしてミヤコとの通話が切れた。
「人払いとかその後のことってなんですか?」
「私達が仕事をしている間は万が一にでも誰かに見られちゃいけないの。だから周囲に人が入らないようにしてくれるんだよ。あとは、やった後に死体とかが残るでしょ? それの処理とか、その場所から私達の痕跡を完全に消したりとかね。あとはその人の穴埋めを手配したり、その日の標的の行動を辻褄が合うように調整したりね。まぁ色々だよ」
古巣の時も次の日には元通りになっており、それで高橋智哉のデータが無くなっていた。また、二人の死因や行動の記録までも全て仕事の範囲内だったのだと理解した。
「それと、明日は店に出勤したら夜はもう部屋には戻れないから荷物は一ヶ所にまとめておいてね。執行した後にアシが付かないように私達がいない内に荷物はリアトリスへ運びこまれて、この部屋で過ごしたありとあらゆる形跡を消してくれるからね。だからこれは確実に頼むね」
「分かりました。それでその、執行の間の私は何をすればいいですか?」
「それじゃ、どっちか殺してみる?」
「軽い感じで言わないでくださいよ。それでもいずれはやる時がくるんでしょうけど」
「いい経験になると思ったんだけどね。まぁ冗談だけど。今はね。覚悟はあるとはいえ、チカはHNになってまだそんなに経ってないから罪悪感とか抵抗感があるのは当然だよね。というか、そもそもの戦闘訓練もまだ十分じゃなかったもんね」
ユウは冗談で殺しと言えるほどにもう人を殺すことに何の抵抗も無いように見えた。
仕事だから、いや、それこそ本当にゴミ掃除をする感覚に近いのかもしれない。
「とりあえず、今回は勝手が分からないので勉強します」
「おっけ。それじゃ私が動きやすいようにサポートと、万一何か障害が起きたら任せるね。あ、ちなみに人を気絶させるにはね、首の延髄部分を思いっきり殴ればいいらしいよ。アニメとかでやってるみたいにね」
「私が延髄切りをやることはないと思いますが、分かりました。今後の参考にします」
それからユウはあの二人をどういう方法で執行するかを考え、今後のためにとチカに相談してみた。でもまだ素人のチカは、どうですかねぇくらいしか言えなかった。
****
「ふざけやがって……絶対に許さない……」
暗い部屋で藤沼が何かをしていた。
彼の心はもう限界だった。部下に対するあの二人の態度はもちろん、人を人として見ずに駒のように扱うやり方に。
今日だって彼が帰宅したのはかなり遅かった。それも、藤沼が作業をしているのを尻目に二人はゲームアプリで遊び、仕事を完全に丸投げしたせいである。
二人は営業中にトラブルが起きても我関せずと全く動こうとしないで全て藤沼へ丸投げする。忙しすぎた藤沼は今日もまた決められた休憩をとることが出来なかった。
気が付けば一ヶ月近くも休憩というものにありついていない状況である。終いには、休憩は義務だから取らないと俺が本社から言われるから取れと大谷は言う。
それなら仕事しろよ。俺の手を空かせろよ。と思うが、もはやそれを言う気力すらもわかない状態である。
実は藤沼にはチーフに上がる前に慕っていた先輩チーフがいた。その人も上の状況の悪さと、からかいと言う名のいじめのような扱いを受け続けて辞めていった。
そんな彼の真意を微塵も理解していない二人は何食わぬ顔で藤沼をチーフへ昇格させた。
最初の頃の藤沼は自分が上に上がったらこの環境を変えてやるんだと意気込んでいたが、実際この腐りきった根はあまりにも深く、一人のチーフがどうにか出来る問題じゃないことを痛感したのだった。
しかしこのまま二人を野放しにしていたら、この先に昇格する部下や新卒の若い子達が可哀そうだと思うようになって今に至る。実は労基にも行っていた。でも彼らは証拠が無いならと動いてくれなかったうえに話すらも聞こうとしなかった。本社にも相談した。だが、そんなことはないと一蹴され、せめて調査だけでもと頼んでも動いてくれなかった。
部屋の中で藤沼は光る物を鞄に詰めた。
「俺がここで断ち切らないとみんなが可哀そうだ。待ってろよ。必ず俺が……」
夜がさらに更けていき、部屋に差し込んだ月光が憎悪と決意に満ちた彼の顔を照らした。
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