第2章 初潜入

第1話 潜入開始

 潜入当日。

 ナオとクルミはミヤコからそれぞれ仕事用のスマホを受け取り、ROOルーの車で移動を開始した。


 二人の姿はもうリアトリスでのナオとクルミのものではなくなっていた。

 ナオは肩に触れるくらいの栗毛色のセミロングで、一見活発そうなツンとした目付きをしているが、実際は大人しい性格という女子大生、佐藤ゆうになっている。


 クルミはというと、背中まである長い黒髪に眼鏡をかけた地味な印象だが、実際は活発な性格で人当たりの良い女子大生、田中千佳ちかになっている。


「スマホの操作方法なんだけど」

「もう覚えました。これが緊急用の連絡アプリですよね?」

「受け取ってからずっといじってたから余裕か。なんだけど」

「XとInstagramとTikTokですよね?」

「いやRXルックスRinstagramリンスタグラムRikTokリックトックだよ。ROOが既存のそれら仕組みをオマージュして作った専用アプリね。で、今回は例としてRXね。専用アイコンがあると思うんだけど、それを開いてみて?」


 ということでクルミが見覚えのあるマークをタップすると、開かれたその書式や表示方式がXそっくりだった。

 ただ、明らかに違うことがあった。


「なんか、ネガティブポスト多くないですか?」

「そうだよ。これはXでネガティブポストをしている人と、そのポストのみを表示してくれるようになってるの。そこから今回みたいな案件を上層部が探してるのよ」


 例えばと、ナオがある人のポストを見せた。


「この人は上司のパワハラ事情と社内環境の劣悪さ、自分の精神状態とかを言ってるよ」

「なるほど。見てるだけで鬱になりそうですね。まぁ実際、SNSであれば普段心に抱えていても吐き出すことの出来ない本音を書く人もいますし、むしろ、SNSだから書きやすいってのもありますしね」

「さすがはリアルZ世代の元有名インフルエンサー。ちなみに、今見せたポストの主が今回潜入する場所の人だよ」

「えっ。これだけでその場所が危険か分かるんですか? もしかしたらただ気晴らしで書いているだけかもしれませんよ?」

「そうだね。でも上の判断は危険とのことだよ。念のために自分でもこの人の過去ポストを遡って見たんだけど、数か月間ずっとこんな調子だったし、有難いことに写真とか何月何日にどんなことがあったのかとかの情報まであったの。助けて、なんて救助を求めるものもあったから確実に黒だなって私も思ったよ」


 人間の時にもそういう鬱ポストを見ているクルミですら踏み込まない領域でROOは動いていた。

 みんなに元気を与え、明るい気持ちになってほしくてSNSでは楽しい話題しか発信してこなかったクルミ。でもそれだけが人を救う方法ではないんだと痛感した。


 クルミは過去にネットの友が酷く落ち込んだ時に明るいことばかりを投げかけて救おうとしたことがあった。でも結局その思いは届かずに友は自殺してしまった。

 その時は自分の元気や励ましが足りなかったと自らを責めたのだが、本当に必要だったのはそんな言葉とかよりも、実質的な救いや寄り添う気持ちだったんだと今になって気付いたのだった。


「たかがSNSだと馬鹿に出来ない世の中になりましたもんね。多くの人、特に若い世代の人は何かあればすぐにSNSの世界に行って吐き出したり、色々な情報を集めますから。ROOはそういうこととか、先を見たうえで多くの人を救うために行動しているってことが今分かりました」

「私達はこの国や人の未来を作るためにHNをやってるの。大元のROOが行動しないでどうするのよ。―そろそろ着くよ。中に入ったら、私はユウ。クルミはチカ。いいね?」

「分かりました。頑張ります」

「あ、ちなみに他の二つのアプリも同じようにネガティブなものしか出ないようになってるから、もしも個人で異常だって判断したらミヤコさんに報告するとそれを元にROOが調査してくれたりもするよ。現に他の地区でそこから解決した事例もあるくらいだし」

「分かりました。その点も含めて見てみます」


 リアトリスから約一時間。時刻は十五時半を過ぎたあたりだった。車を降りた二人は、特にクルミは初仕事ということで緊張の面持ちで歩いた。

 中に入ると耳がおかしくなるような騒音が二人の鼓膜を支配した。


「パチンコ店ですか?」

「なに? 何か言った?」


 この音の影響でそれなりの声量で話さないと聞こえないと二人は理解した。

 カウンターにて今日からアルバイトということを告げてスタッフ専用の入口に通された。そして部屋に案内されると、二人の前に今回の標的の内の一人の男が現れた。


「佐藤悠さんと、田中千佳さんですね。五日間の短期アルバイトと聞いていましたので、今日からよろしくお願いしますね。俺はマネージャーの海野です」

「よろしくお願いします」


 ナオ、もといユウのその言葉に続くようにしてチカも頭を下げた。


「店長はまだ来ていないので後で紹介します。とりあえずこれに着替えてもらえますか?」


 海野からこの店の女性用制服であるキュロットと黒Tシャツ、ベストを受け取り更衣室にて着替えを始めた。


「大丈夫?」

「はい。まだ緊張しますけど、しっかりと田中千佳を演じきりますよ」


 更衣室を出ると海野の案内の下で事務所へ通される。そこには既に働いている今日がシフトのスタッフ達が集まっていた。ここは早番と遅番の交代制シフトとなっているので、今集まっているのは時刻的に遅番の人達だ。


「今日から……五日間お世話になります、佐藤です。よろしくお願いします」


 少し伏せ気味の目に小さめの声量、自信無さげにもじもじする様子のユウ。だけれどもあざとい雰囲気はなく、ただ単に人見知りの子なんだなという印象が一瞬で周囲に認知された。

 その様子を見ていたチカも


「同じく、今日からお世話になります、田中です! 頑張りますので、仲良くしてくれたら嬉しいです! よろしくお願いします!」


 と外見の印象を裏切り、設定通りの活発な印象を周りへ振りまいた。


「ということなんでね、短い間だけど仲間が増えるから仲良くしてあげてね」


 海野の声にスタッフ一同から元気な声が返ってきた。

 それからスタッフ達が店内、ホールに出ると二人は別室に呼ばれてソファーに腰かけた。


「いやはや、来てくれた時にいなくてすいませんね。俺がパチンコドバドバ中央店の店長の大谷です。五日間よろしくお願いしますね」

「はい。よろしくお願いします!」


 二人目の標的である大谷は海野と同様に印象の良い中年といった様子だった。


「うむ。えっと、田中千佳さんか。君は元気があっていいね。佐藤悠さんは人見知りって聞いてるけど、大丈夫、すぐに慣れるから」

「……ありがとうございます」


 先の高橋智哉、リアトリスでのナオ、そして今回のユウといい、全て性格が違うのに見事にその人になりきっている様子に感服するチカ。


 初日は店内設備の案内と決まり事、仕事内容に役職者の説明を一通り受け、海野の下でホールの巡回や実際の接客対応を行った。もちろん事前知識として頭の中にインストールされているので、二人にとっては実物との差異が無いかの確認になったわけだが。


「いやぁ、二人ともよく動けていいね。実は急にスタッフが辞めちゃってね、新しい子が来るのが五日後だったから助かるよ。もし気に入ったら新しい子が来た後も残ってくれていいからね」

「ありがとうございます!」


 と、早くも大谷と海野の信頼を得た二人。その言葉にチカが元気よく答えた。


 初日の潜入が終了すると、二人はドバドバから少し離れたビジネスホテルに入室した。

 この期間中の二人はここで過ごすことになるわけだが、もちろん部屋は別々なので五日間の滞在でもしっかりとプライベートな時間を確保することが出来る。


 深夜一時。定時連絡の時間となり、二人はリモート会議アプリ、ROOMルームを立ち上げた。これも既存の会議アプリのROOバージョンである。


「ユウちゃん、チカちゃん。初日はどうだった?」


 スマホの画面の先ではアイリスの営業が終了したミヤコがウイスキーの瓶を持っていた。


「そうだね。チカが思いのほかちゃんと擬態出来てたし、演技も頑張ってたから良かったんじゃないかな」

「そう。それじゃ変に怪しまれてないというか、その辺は大丈夫そうなのね?」

「はい。私としては大丈夫だと思います。全部ユウさんのおかげです。ただ、標的の二人がどうも悪い人には見えないんですよね。それに、他のスタッフの人達も活き活きとしてる感じでしたし、どこに問題があるのか今のところは分からないです」


 ユウがチカに見せた陰鬱なポストを発したような人が見当たらなかったこと、大谷と海野がかつて自分が経験した二人っぽくなかったことを話すチカ。彼女の頭には正直拍子抜けというか、疑問符が浮かび続けていた。


「そうねぇ。まだ一日目だからじゃないかな。人って最初は誰でも猫被るし、いずれボロが出ると思うよ? ね? ユウちゃん」


 ミヤコはそう言うとウイスキーのボトルを開けて直飲みし始めた。水のように勢いよく飲むその様子にユウは


「まぁ、そうだね。というか、そんなに飲んだら体に毒だよ?」

「大丈夫よぉ。もう死んでるんだから毒も何もないわよぉ。はぁ…ウイスキー美味し」


 心配の声をかけるも、ごもっともな意見で返される。


「あとはシフト制のところだし、今日はその人がいなかったからとか。それか、原因が店全体ではなくて小規模の組織なのかも」


 とユウがミヤコに付け足すように言った。


「その通りぃ。さすが頭がキレるねぇ。何も全ての人が暗いわけじゃないのよ? 事情を知らない人は普段通りだし。私が思うに、ユウちゃんの言う通り問題を告発した人が今日はたまたまいなかっただけじゃないかな」


 そしてまたぐいっと飲むミヤコ。

 ウイスキーの件は別として、二人の会話に合点がいった様子のチカ。


「分かりました。それじゃ明日からも調査と、終わったらまたこの時間に報告会ですね?」

「そうだねぇ。でも報告会は万一盗聴とかされてたら厄介だから、これからは緊急時と執行前日だけになるよ。まぁ、ROOの独自回線はハッキング出来るものならやってみなさいってくらいにセキュリティが完璧だけど、やってる事が事なだけに念には念を入れてね」


 話している間にもミヤコの酒を飲むスピードは一切衰えない。人として死んでいるとはいえ、チカはさっきユウが言っていたようにミヤコの体が心配になった。


「ということで、ユウちゃん。いつも通り現場の判断の下でよろしく。もし執行が早まりそうとか、緊急で何かあったらRINEルインでね」

「分かった。チカは他に何か聞きたいこととか、言っておきたいことはある?」

「もし、その執行の時に誰かに見られたらどうするんですか?」

 直後、ミヤコとユウの空気感が変わる。

「現場の判断で生かすも殺すも自由よ。ほとんどは後々のリスクを考えて殺しているんだけどね。私達ROOの仕事は標的以外には決して見られてはいけないの。チカちゃんみたいにはあるけどね」

「例外?」

「―ということで、あとはよろしくね、二人とも」


 ROOMからミヤコが退出すると


「ユウさん。その例外ってなんですか?」

「そうだね。その人に生きててもらわなきゃいけない理由があるとか、かな」


 ユウは聞いてくるであろうと予感していたその問に答える。その声は真剣だった。


「私達は昔から君のことを知っていた。それでいつか私達の一員になってほしいと思っていたんだ。だからあの時私、高橋智哉は西野友花を殺さなかった。本当は後日偶然を装って高橋智哉としてリアトリスで会って勧誘するつもりだったんだよ」


 でもその予定に反して友花が高橋を追いかけ、その日の内に高橋とナオというHNヒューマノイドの手がかりを得てしまったわけだ。


「どうして昔から私を知っていたんですか? インフルエンサーだったからですか?」

「えっと、そうだね。まぁ、いつか話してあげるよ」

「分かりました。それじゃ何かあったらその……」

RINEね」

「それもLINEじゃないんですね」

「うん。これもROOの開発努力の結晶だよ。もちろん機密性も利便性も完璧だから」


 分かりました。

 チカがそう言うと二人はROOMから退出した。


 ROOが私を仲間に入れたかった理由、二人が自分のことを昔から知っていた理由はなんだろう。と思いながらチカは、RXで例の彼か彼女かのポスト履歴を遡っていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

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