第9話 明日からの準備
「そういえば、今日私はどこに帰ればいいのでしょうか?」
パフェや団子などが食べ終わり、談笑も落ち着き始めた頃にはすでに夕方の十八時を過ぎようとしていた。
「そうだねぇ。二階に泊まってく? 上は私の家なんだけど、部屋が余ってるしベッドもあるからいいわよぉ?」
ウイスキーのボトルを三本空けたのにも関わらずミヤコは素面だった。
「もしクルミが泊まるなら私もいい? ミヤコさん」
クルミの返事を待たずしてナオが名乗り出る。
「いいわよぉ。今日は賑やかになるぞぉ」
「だってさ。どうする? クルミ」
「うーん……家に荷物とかがありますし……」
「あっ。ごめん、言い忘れてた。転生したことで家も即変えなきゃいけなくて、クルミちゃんの荷物は
「そうですか。それなら今日はお言葉に甘えて」
汗をかかず、外見を好きなように変えられるゆえにメイク道具もいらない。なんなら化粧水の類もいらないと考えると身一つで大丈夫だろうと判断し、今日のところは二階に厄介になることにしたのだった。
「ちなみに、さすがの
「あ、気になる? 一応入らなくても臭いや汚れは外見を変える時に消えてくれるようになってるから大丈夫だけど、やっぱり女の子だし入りたいよねぇ?」
「まぁ、はい。風呂キャン界隈ってのもいますが、私はどんなに疲れていても毎日入るようにしているので。それに、やっぱり入らずに寝ると変な感じがすると思いますし」
「おっけ。ナオちゃん。それじゃ、上でのことはお願いね。私はそろそろアイリスの準備をしなきゃだから」
「え? そっちも店休にすると思ってた」
「何言ってるのよぉ? バーは私が好きでやっているんだから、風邪でも引かない限りは年中無休よ。あ、HNは風邪も引かないんだったわ」
するとミヤコは着々とバーの準備を始めていき、照明が薄暗くなるとともに店内の雰囲気が完全に変わる頃にはヤゴの姿になっていた。
「それじゃ、ナオさん。後はよろしく。クルミさん、今日は疲れただろうから入浴したらゆっくりと休むといい。ご希望ならカクテルでも作ろうか?」
髪はオールバック。少しの口髭が整えられ、しわ一つ無いワイシャツにピッチリとした黒いベスト。それらを気品高く着こなしたダンディなイケオジが二人の前でそう言う。
この人がさっきまでウイスキーを飲んでいたミヤコだなんて誰にも分からないくらいの変貌ぶりだった。
「いえ、カクテルはまたの機会に」
クルミが遠慮すると、ナオに連れられて二階に上がっていった。
***
それから二人が入浴を済ませると、クルミの部屋にいた。
八畳程の部屋にはベッドとテレビが置いてあった。しばらくの間使われていなかったのか、多少埃が舞い照明もLEDではなかった。しかしクルミは泊めてもらっている身ゆえに我儘は言わなかった。
「クルミ。明日からはリアトリスを手伝ってもらうことになるよ。それで、空き時間には擬態と演技の練習だよ」
「練習ですか? どんなふうにやるんですか?」
「ひたすらに顔と体を変えてその人になりきる。それだけだよ。イメージしやすいように言うと、私が擬態してた高橋智哉みたいな感じでその人の歳や性別相応に見えるように仕草とか口調とかを練習するんだよ。私達は立場上、誰にも正体がバレちゃいけないからね」
人間の西野友花は死んだ。ここにいるのはHNのクルミだ。だから友花の外見では外に出ることが出来ない。仕事用と、リアトリス兼外出用で顔を作らなければならないのだ。
「リアトリス用だったらミヤコさんみたいに男女入れ替わらない限りは性格まで繕う必要はないし、元の顔から変えすぎなくても大丈夫だから、まずはそれを今日中に出来るようになろう」
「もう二十二時なんですけど、今やらないと駄目ですか?」
「これだけはね。大丈夫、日付が変わるまであと二時間あるよ。それに、クルミは元有名インフルエンサーなんだから今まで多くの人と関わってきたでしょ? そこからでも使える情報とか記憶を使っていけば、案外すぐに納得のいく顔になれる。私はそう思うの。大丈夫、クルミなら出来るよ」
そう言われてもなぁ、といった気持ちでとりあえず頭の中になりたい顔を想像し始めたクルミ。
そこでナオは病院の時と同じくクルミの目の前に鏡を置いた。
少しして鏡の中のクルミの顔が少しずつ変わり始めた。それから一旦確定するもどうもバランスがおかしいことに気が付いたのだった。目の位置が離れすぎていたりそれぞれのパーツの大小、配置、形状全てに違和感があるような完成度だった。
これでは人前に出ることは出来ない。また、そんな及第点を求めている以上に元が女性だからか見た目の美しさや可愛さに満足がいっていない様子である。
それから何度も調整を重ねながら続けること二時間。ついに日付が変わってしまった。
「なかなか難しいですね。どうして自分の元の顔はすんなり出来たのでしょう」
「それは自分が一番慣れ親しんだ顔だからね。否応にも特徴が意識の中に強く残っていたんだよ。もしどうしても難しいならパーツごとにやって、納得がいったら写真を撮る。そうしたら次のパーツをやる。最後に全部の写真を見ながら合わせていくのも手だよ?」
「それいいですね。そうします」
クルミはその方法でさらに擬態に励んでいった。写真はというと、自分のスマホが無くなったためナオに撮ってもらった。そして挑み続けることさらに一時間。
「やっと出来た。出来ました。これなら人前に出れます」
クルミ自身が納得出来る顔が完成した。それを忘れないようにと、すぐに写真に残しておいてもらっていると
「あ、まだ起きてたの?」
アイリスの仕事が終わって二階に上がってきたのはヤゴではなくミヤコの顔だった。
「ミヤコさん。どうにか明日からクルミをリアトリスに出せそうな顔にしたよ。どう?」
「ん~? どれどれ?」
ミヤコはクルミの顔をくまなくチェックする。
「うん。これなら大丈夫だね。ありがとう。ナオちゃん」
その言葉を聞くとナオとクルミは一安心した。
少し童顔で大きな瞳は透き通り、目尻は垂れ気味。小さな鼻に薄過ぎず厚すぎない桃色の唇。栗毛色のセミロングヘアは健康的な肌感に合っておしゃれな印象を放出していた。
「良かったね。これでひとまずは安心だよ」
直後集中の糸が切れたかのように急激な眠気が二人を襲った。
「暑さ、寒さは感じなくても眠気は感じるんですか?」
「いくらHNでも休息をとらないと動けなくなるよ。これだけは人間と同じね。明日は朝六時に部屋に迎えに来るから、今のその顔で待っててね」
「分かりました。今日はありがとうございました」
ということで、ナオは自分の部屋へ戻っていった。それからミヤコも自分の部屋に帰っていくと、クルミはその睡魔に誘われるようにベッドに入った。
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