第7話 決意、そして転生へ

 友花は再びリアトリスの前に立っていた。

 時刻は十九時過ぎ。リアトリスは既に営業を終了し、代わりにあの時のバーが開店していた。


 今さらここに来ても何にもならない。でも自分はやはり将来若い人達のために何かがしたい。それこそ彼、高橋のようにその心に寄り添って支えていく。そんな人でありたい。

 そう思って少しの躊躇の後にドアノブを引いた。


「いらっしゃい」


 中からはあの時の渋いダンディなマスターの声がした。

 店内にはマスター以外に一人、見覚えのあるイケオジがカウンターで飲んでいた。

 友花は吸い込まれるように彼の隣に座った。


「僕とはもう会わないんじゃなかったのかい?」

「それを言うなら、どうしてまだそのストラップを付けてるんですか? 高橋さん」


 あの時と同じ席で高橋はカクテルを飲んでいた。


「何か飲むかい? 奢るよ」

「ありがとうございます。ではお任せします」

「そうか。マスター。彼女に合うカクテルを。僕にはバーテンダーを」

「かしこまりました」


 マスターは静かに手際よくカクテルを作り始めた。

 シェイキングの音が店内にこだまし、まもなくして


「プレリュード・フィズです。こちらはバーテンダーです」


 と二人の前に差し出された。


「前もでしたけど、私へのメッセージのつもりですか?」

「どうだろうね。今日の僕はもう一度来た君の真意が知りたい。聞き手になるつもりだよ」


 低めのジャズミュージックがゆっくりと流れる店内。程よく調整された照明が高橋をどこか妖艶に包み込む。その様子は紳士然としつつも、話してくれるまで終わらないという独特な雰囲気を纏っていた。

 それから二人はカクテルを飲みながら話始めた。


「……やっぱり私はこれからの若い子達のためになる仕事がしたいと思いました。あの時高橋さんは自分の仕事について、人が長年続けてきた性格や行動、考えが変わることはない、手遅れの人は消してしまった方が将来は安泰する。少人数を間引くことでの大多数への人助けと言いました。あの時の私は人殺しをしておいて何を言っているんだと思って自分の気持ち優先になっていました。でもあれから考えて、色々なものを見て聞いて実感しました。やっぱりこの国の未来を作るために不要な存在は消してしまった方がみんなが幸せになるに違いないと。現に会社の人達はあの二人がいなくなったことが嬉しそうでした」


 高橋は一口、二口とカクテルを飲みながら静かに友花の話を聞いていた。


「でも、私はまだ社会人になりたてでSNSくらいでしか活躍出来ないし。それでも何か、高橋さんのやっている将来への人助けとか国作りのお手伝いが出来ないかって思ったんです。何も出来ないでいるのは嫌なんです。だからその……私にもその仕事を教えてください。未来のため、将来の国を作っていく若い子達のために力になりたいんです」


 友花は高橋の方を向いて深々と頭を下げた。それを見た高橋は静かに口を開いた。


「君は昔の僕に似ている。だから僕は君を歓迎したい。でも最後に決めるのは―…」


 高橋は目線を店内のもう一人の男へ向けた。


「マスターと君自身だ。ねぇ、マスター?」


 友花は顔を上げると、カウンターの中で静かにグラスの手入れをしているマスターに目を向けた。そんな彼はグラスを置くと、真っ直ぐと友花を見た。


「……そうだね。今日はもう君しかお客はいない。だから話しをしてあげよう。ここにいる高橋なる人物の正体とその仕事を」


 マスターはそう言うと、店の外にClosedの立て看板を置き、カーテンを完全に締めきった。そして高橋に目配せして会話を促した。


「マスターが言うなら仕方ない。でも西野さん。これだけは先に言っておきたい。ここから先は全て自己責任だ。見たこと聞いたこと、その全てが表の世界に出回っていない極秘中の極秘。聞くことだけでも君は命を懸けることになる。それでもいいのかい? ちなみにまだ引き返せる。無事に帰るなら今の内だよ」


 その真剣な言葉の直後、店内の空気が急に重くなり、それは友花の心に強く圧し掛かった。しかし友花は一瞬の間の後、こくりと首を縦に振った。


「分かった。君の覚悟は受け取った。それじゃまずは僕をよく見ててくれるかな?」


 ということで友花がじっと見つめる中、その目の前で信じられないことが起きた。

 なんと高橋の外見が見る見るうちに変わっていったのだ。変装とかそういう類ではなく、皮膚や服にノイズのようなものが走った途端に左から右へと輪郭や質感、大きさ、高橋と判別出来る全ての要素が消え、代わりに自分と同年代の女の子の姿が出現し始めたのである。


 それから彼、いや、もうほぼ彼女になってきている存在が椅子から立つと、その身長や体格までもが高橋よりも小さくなっていった。加えて服も以前リアトリスで見た女性用の制服へと変化した。

 それから全ての変化が落ち着いた時、友花の前には高橋を追ってきた時に見た長く艶のある黒髪を靡かせた美少女、ナオが立っていた。


「わぁ~やっぱり綺麗だねぇ。その格好は」


 続けて友花の耳に飛び込んできたのは、今ここにいるはずのない女性の声だった。

 そこへ目を向けると、さっきまでダンディなイケオジマスターがいたカウンター内にリアトリスの女性店長がブラウスにルーズサイドテールといった格好で朗らかに立っていた。そんな彼女はナオに向けてパチパチと無邪気に手を叩いていた。


「これは一体……」

「驚くのも無理はないね。僕……じゃない、私は高橋智哉というおじさんになっていたROOルーの工作員、ナオよ。そっちは―」

「はいはーい。リアトリスの店長のミヤコと、バー・アイリスのイケオジマスターのヤゴだよぉ。二十五歳と五十歳の体を行き来するから大変なのぉ」


 自己紹介されてもどう反応すればいいのか分からず、加えて目の前で起きたことが現実なのか全く分からなくなっている友花は、わなわなしながらただ沈黙していた。


「私達は実は人間じゃないんだ。アンドロイドと人間の合成体、HNヒューマノイドだよ。だから年齢や性別を超えてどんな姿にだってなれるの。例えば―」


 ナオは顔だけを男の老人、体を幼児といった奇妙なものにして見せた。


「こんなふうに自由に姿を変えて将来的に有害になる会社、もしくは集団に潜入して対象の人の処理をする。今回でいえば、古巣証券株式会社に高橋智哉というおじさんに姿を変えて潜入し古巣社長と三橋部長を処理する。それが仕事だったわけ。もちろん、人間じゃないから指紋とか人間が人間を断定する証拠は一切残らない。公的記録もだし、カメラ映像とかは……まぁ上手く消えてくれるわけよ」


 ナオが元に戻ると、続いてミヤコが口を開いた。


「つまりね、私達みたいに若い子達への国作りとか有害人物の処理をするには何かと覚悟が必要なのよ。で、どうする? 私はいいと思うけど、西野さんにはその覚悟はある?」


 それを聞いて友花はゴクリと唾を飲む。そして少しの思考の後


「あります。将来の国作りのために人を殺す覚悟が私にはあります」

「うーん……それもなんだけど、そういうのじゃないのよねぇ」


 ミヤコがそう言ってナオに目配せをすると、ナオは友花の手を取って自らの胸に当てた。程良い大きさと整った二つの山に友花の手が埋もれると同時に気付いてしまった。


「鼓動が……無い……?」

「君がする覚悟は人を殺すのもだけど、それよりも人として一度死にHNとして転生する覚悟よ」

「そう。西野友花さん。HNとして私達と働くためには人間としての記録を全て抹消する必要があるの。つまり、一度死なないといけないの。それで世間では自分を死んだことにして、HNとして新しい生を受ける。簡単に言うとリセットね。そこまでの覚悟があなたにはある?」


 さっきまで和やかな雰囲気のミヤコだったが、この時ばかりはと真剣な口調になった。その言葉の重要さに気圧されたのか友花の言葉が詰まった。


「……やっぱりそんな覚悟はない。なんて言ったらどうなります?」

「そうだね。この話をする前に私は、命を懸けてもらうって言ったよね? それでも構わないと君は頷いた。HNのことはこれから仲間になる人にしか話してはいけない国家重要機密の一つなんだよ。もしここで首を横に振るのなら、機密保持のために君にはここで死んでもらうよ。もちろんHNへの転生はないよ」


 なぜあの時引き返さなかった?

 家族の夢を自分が叶えなければと焦っていたのか?

 自分の命を以ってNHとして転生し家族の夢を叶える、もしくはここで何もせずに死に人生を終えるか。どちらにしても死ぬことに変わりはない。でもその先が違う。

 友花はそんな岐路に立たされてどうにか言葉を繋いだ。


「少し時間をくれませんか?」

「ここでならいいよ。事実を知っている状態で外には出せないんだよね」


 友花は混乱する頭で必死に考えた。

 自分はまだ二十三歳。SNSでも何でも手を出して成功出来る可能性がある。仕事だってきっとこれから上手くいくに違いない。そんな将来がある。

 ただ、私が本当にしたかったことは何だろう。このまま平凡に過ごし、インフルエンサーとして情報を発信し少しずつでも世の中を変えること? いや、それは今日思い知った。こんなちっぽけな自分が何かをしたところで若者を揶揄する古参によって意見は簡単に淘汰される。それに、いいように晒しものにされるかもしれない。


 お父さんも若者のためにと動いた末に死に、お母さんも死んだ。妹も自殺という形で死んだ。

 自分が今ここで死んだとして何が残るのか。もしくは少しでも遺すことが出来るのか。

 いや、何も残らないし遺せない。SNSだって、最近投稿してないね程度で忘れ去られるに違いない。家族もいない。もう弔ってくれる人すらもいない。だから何も成し遂げられずに無意味に死ぬだけなのだ。


 自分は……このまま何にもならずにここで死んでいいのか?

 いや、そんなことになったらみんなが目指した夢が消え、多くの若者が苦しむ未来になるに違いない。

 この国だって今でも世界的に多くの点で遅れている状態だ。そんな状態が続けば最終的に苦しむのは誰だ? 未来を生きる若者達だ。そんな未来などあってはならない。


「分かりました。私、HNになります。将来の人達のためにこの命を使いたいです」


 友花は考えに考えた末に決意に満ちた瞳でナオとミヤコを見た。


「後悔はないのね? もう人間には戻れないよ?」

「はい。私はこの命を以って未来の国を作ります」


 だってさ、と言っているような目をナオに向けるミヤコ。


「私を見られても困るよ。まぁ、そういうことなら決まりだね」


 それからナオは真剣な眼差しで友花を見た。


「それじゃ、あなたはこれからHNになるために外科的処置とバイオテクノロジーを駆使した魂変換処置を受けてもらうよ。とは言っても、あなたは全身麻酔をかけられてただ眠っていればいいだけなんだけどね。目が覚めたらその時からあなたは私達と同じHNよ」

「えっ、私は死ぬんじゃ……」

「そうよ。でも西野友花を構成している魂と性格と記憶だけは残るの。簡単に言うと、SIMフリーのスマホみたいな感じね。データ、つまりそれらをデータ変換してHN個体へ移植する。SIMカードさえあれば外側が変わってもスマホが使えるでしょ? そんな感じよ」


 分かったような分からないような、理解してはいけないようなどうなのか分からないまま話が進んでいく。

 そんな中で、友花はミヤコから謎の錠剤と複数枚の紙が渡された。そこには同意書と書かれたものもあった。


「こっちはあなたがHNになることの同意書よ。あとこっちは生前に西野友花として所有していたデータ類、SNSのアカウントや居住所、スマートフォン内に至るまであなたを構成する全てを私達の管轄に置き、場合によっては削除しても良いという承諾書よ。HNになるなら全てにサインをしてもらうことになるよ。もちろん悪用はしないから安心して」


 それを聞いた友花は今日でインフルエンサーとしての活動の終わりを悟った。しかし、自分は若い子達を助けるんだという意思をもって全てにサインをした。


「この薬は何ですか?」

「麻酔薬よ。飲めば最低半日は目が覚めることはないわね。私やナオちゃんが飲んだものと同じだから心配しなくて大丈夫よ。でも、それを飲んだら一時間以内に処置を始めなきゃいけないんだけど、どうする? 飲むタイミングは任せるけどもう飲む?」


 つまりはこれを飲めば人間としての西野友花とはもうお別れということである。


「はい。決心が揺れない内に」


 目に決意を宿してそう返答すると、その薬を口に含み、用意してくれた水で一気に流し込んだ。すると数分後、耐え難い睡魔により友花は椅子に崩れ落ちた。


「おやすみ。君は今までよく頑張ったよ。これからは私達と一緒にこの国を変えるんだよ」


 友花はその言葉を薄れゆく意識の中で聞いた。


 この時を最後に、人間である西野友花とこの世界との繋がりが消えた。

 くしくもこの日は友花の誕生日の前日であった。

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