生贄として理不尽に捨てられた俺、ユニークスキル【天啓のレシピ】で孤独な神獣様の胃袋を掴んだら、番としてめちゃくちゃ溺愛されることになりました

藤宮かすみ

第1話「生贄の置き土産は、極上の香り」

 ひやりとした岩の感触が、薄い衣服越しに容赦なく体温を奪っていく。

 鬱蒼と茂る木々の隙間から差し込む月明かりだけが、ここが神域の祭壇であることを示していた。


 俺、ユキは、村の掟によって山の神獣への「生贄」として、この場所に置き去りにされた。


「……はは、生贄、か」


 乾いた笑いが唇から漏れる。

 俺には前世の記憶がある。日本の、どこにでもいる平凡な大学生だった記憶が。事故であっけなく死んだと思ったら、この世界に赤ん坊として生まれ落ちていた。

 二度目の人生、今度こそはと願ったのに、結局はこんな理不尽な運命の駒の一つでしかないらしい。


 山の神のご機嫌を損ねぬよう、定期的に生贄を捧げる。

 それが、この村の古くからの習わし。そして今回、その大役(という名の厄介払い)に選ばれたのが、両親を亡くし、居場所のない俺だった。


 静かな絶望が、冷たい霧のように心を覆っていく。死ぬのは怖い。

 けれど、それ以上に、誰にも必要とされず、忘れ去られて死んでいくこの孤独が、どうしようもなく悲しかった。


 その時だった。

 ズウン、と地を揺るがすような振動が、岩肌を通して全身に伝わってきた。

 続けて、地の底から響くような、重い足音。

 来たのだ。俺を喰らうであろう、この山の主が。


 息を呑み、身を固くする。

 茂みの奥からぬっと現れたその姿は、俺のちっぽけな想像を遥かに超えていた。


 山のように巨大な、純白の狼。

 月光を浴びてきらきらと輝く毛並みは、まるで銀糸で編まれた織物のようだ。天を衝くかのような巨躯、鋭く尖った牙、そして何より、黄金に爛々と輝く双眸。

 それは神獣と呼ぶにふさわしい、神々しさと畏怖を同時に感じさせる、圧巻の存在だった。


「――フェンリル様」


 村の人間がそう呼んでいた名を、無意識に呟く。

 神獣フェンリルは、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。その一歩一歩が、俺の心臓を締め付けた。

 金色の瞳が、俺を真正面から捉える。その視線はあまりに冷ややで、まるで道端の石ころでも見るかのよう。何の感情も、何の興味も映してはいない。


 やがて、フェンリルは俺のすぐ目の前で足を止め、ふん、と興味なさげに鼻を鳴らした。

 そして、あっさりと俺に背を向けた。


「え……?」


 見捨てられた。

 喰われることすらなく、興味を持たれることすらなかった。

 生贄として、死ぬことすら許されないのか。


 ぷつり、と心の中で何かが切れる音がした。

 その瞬間、脳内に直接、光の文字が明滅するように浮かび上がった。


【ユニークスキル:天啓のレシピ 発動】

【素材『森の恵み』を認識。作成可能な料理を検索します】

【候補:木の実のクラッシュクッキー、森の果実の即席ジャム……】


 これは、俺がこの世界に生まれてから持っていたユニークスキル。料理に関する知識が、必要な時に天から降ってくる。

 まあ、前世で料理サークルにいた俺にとっては、宝の持ち腐れ感は否めないスキルだったが。


 祭壇の隅に、村の連中が申し訳程度に置いたお供え物が見える。色とりどりの果物や、ころころとした木の実。


「……ああ、そうか」


 どうせ死ぬんだ。誰にも看取られず、神にすら見捨てられて、野垂れ死ぬ。

 それなら。


「最後に、何か美味しいものを作って死んでやろう」


 それはヤケクソだった。絶望から生まれた、最後の我儘。

 俺はふらふらと立ち上がると、無我夢中で調理を始めた。

 硬い石で木の実を砕き、手頃な葉の上で粉状にする。粘りが出るまで果汁を少しずつ加え、丁寧にこねて形を整え、平たい石の上に乗せる。魔力で火を起こすなんて芸当はできないから、乾いた枝を懸命に擦り合わせて火種を作った。


 やがて、パチパチと心地よい音と共に、小さな炎が立ち上る。

 クッキーを焼く傍ら、別の果実を石鍋でことことと煮詰めていく。木の実が焼ける香ばしさと、果実の煮詰まる甘い香りが混じり合い、絶望に満ちた空気を優しく侵食していく。

 それは、孤独なこの場所に、あまりにも似つかわしくない、幸せな香りだった。


 その時、去りかけたフェンリルの足が、ぴたりと止まったのを俺は見た。

 巨大な鼻先が、くんくんと忙しなく動いている。

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、あの巨大な白狼が振り返った。


 その金色の瞳は、先程の冷え切った色とは違う。未知のものに対する好奇と、抗いがたい何かに引き寄せられるような、不思議な光を宿していた。

 フェンリルは再び俺の元へと戻ってくると、平たい石の上でこんがりと焼きあがったクッキーを、じっと見つめた。

 俺は恐る恐る、一番出来のいいそれを一枚手に取り、彼の前にそっと差し出した。


 フェンリルは一瞬ためらうように俺の手とクッキーを交互に見た後、おそるおそる大きな口を開け、長い舌でそれをぺろりと掬い取った。

 サクリ、という軽やかな音が、静かな森に響く。


 次の瞬間、フェンリルの金色の瞳が、驚愕に見開かれた。

 カッと目を見開いたまま動きを止める。まるで、生まれて初めて経験する味覚に、脳が処理を拒否しているかのようだ。ゆっくりと咀嚼し、ごくりと喉を鳴らす。


 そして、無言のまま、残りのクッキーが乗った石皿に視線を落とした。

 その瞳は、雄弁に「次をよこせ」と語っている。


 俺は言われるがままに、次々とクッキーを差し出した。フェンリルはそれを夢中になって食べ、あっという間に平らげてしまった。仕上げに、とろりとしたジャムを差し出すと、それもまたぺろりと舐めとってしまう。


 全てを食べ終えたフェンリルは、満足げにふぅ、と息をついた。そして、再び俺の顔をじっと見つめる。

 今度こそ、喰われる番か。

 そう覚悟した俺の耳に届いたのは、地響きのような、低く厳かな声だった。


「……明日もこれを作れ」


 それは、死の宣告ではなかった。

 神獣が、生贄に与えた、初めての生への命令だった。

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