第8話 キュウビ

「進展ねえな…」


捜索開始から一週間たつも進展はなくただただ時間だけが無為に過ぎていく。


『少し休憩だ。結縁ゆえはそこのベンチで座ってろ。小僧はついてこい。見回りに行くぞ』

「暮雲くんが行くなら私も」

「いいから座っとけ」


自販機で買った水を押し付け、休憩させる。

タマは自分で歩く気はないようで結縁の肩から正愛の肩へと飛び移る。


「自分で歩け駄猫」

『いざと言うとき守ってやるのは俺なんだぞ。いいのかその態度で』

「自分の身ぐらい自分で守るわ!」

『いいか?行くのは近くの神社だ。3つあるからさっさと終わらせるぞ』

「無視すんな!降りろ!」


一向に話を聞く気がないタマに正愛は諦め、一番近い神社へと向かう。

得意に異常はない。次へと向かう。

2件目も良好だ。


「…少し焦げ臭くないか?」


3件目の神社の階段を上る直前、焦げ臭さが正愛の鼻をついた。


『警戒して登れ。嫌な予感がする』

「なら、先に結縁を呼んだ方が…」

『念話でとっくに呼んでる。すぐに来る。俺たちはやつを逃がさないように餌になる』

「…わかった」


正愛は覚悟を決め、一段。また一段と階段を上る。

登るごとに強くなる焼け焦げた臭いに竦みながらも進んでいく。


「…あれが、キュウビ」


白い躯体に燃える九つの尾。

キュウビが燃やしたのか神社のあちこちが燃え、黒く焼け焦げている。

そして、何かを喰らうキュウビ。


『嫌な予感ばかり的中しやがる。いいか?あいつはまだ助かるかもしれない。石を投げて、あとは走り回れ。キュウビは見なくていい』

「あ、ああ」


頷き、言われたままに石を投げる。

なにかに気づいたキュウビはゆっくりと首をもたげるとこちらを見て邪悪に嗤った。

それはあの夜の怪物のような捕食者の笑みだった。


『走れ!』


タマの声と同時に足が動いた。

炎が着弾したのはそれとほぼ同時だった。


「うおぁ!」


爆風に背中を押され、体勢を崩しながらもなんとか駆け出す。

高温と爆発音が焦燥を生み、息を上がらせ足を速めさせる。


『生まれたての小童が!オレを舐めるなよ!』


駆ける正愛へとジャストのタイミングで撃ちだされた炎弾はタマの一喝に消滅する。


「なんだそれ!」

『何度もできる技じゃねえ!当たりそうなのは消してやるから結縁が来るまで持ちこたえろ!』


震える足に喝を入れ、再び加速する。

結縁が来るまでおよそ3分ほどだろう。

キュウビの九つの尾が振るわれるたびに炎が撃ち出される。

結縁がくるまであと、何百発と炎を避け続けなければならない。


(無理じゃね!?)


漏れそうになる弱音を頭の中だけで留める。

足を止めれば死が待っていることだけが本能的に理解できる。


『あと、2分もたせやがれ。……まずいな』


タマの言葉にキュウビを見れば動きは止まっていた。

そして、大きく息を吸い込む。


『炎が来るぞ。止まれ。俺の真後ろに立ってかがめ』


言われたとおりに従う。

これほどに己の盾が必要に感じたことはない。


「出ろよ…!」


呼びかけても己の中の神秘に反応はない。

炎をタマが防ぐ。正愛を避けて周囲一帯を焼き尽くす業火に過去のトラウマを思い出す。


『おい、今のは連発できねえ。もう一回…チッ!しょうがねえガキが』


タマは正愛がもう走れないと見ると前に立ち、すべての炎弾を対処する。


(なにしてんだ!?動け!結局何もできないままか!)


正愛の意思に反し、心はすでに折れている。戦えない。


『悪いな、巻き込んじまって。戦いの経験もないてめえを巻き込むべきじゃなかった。怪我無く帰してやるから安心しろ』

「俺は…!」


戦える。言葉は声にならなかった。


「大丈夫。暮雲くんは下がってて。絶対に守るから」


いつもの弱い自信なさげな声ではなく凛とした声が響いた。


「タマちゃん、行くよ。神纏・猫神」


猫神と一体化した結縁は神聖な気をまとい、巫女服姿に換装する。


「討伐対象確認。戦闘開始します」


一歩踏み出し、二歩目で加速、三歩目には姿が消えた。

音すら置き去りにした結縁は光をまとった打撃をお見舞いする。


「神威!」


キュウビも吹き飛ばされるがすぐに態勢を立て直し、臨戦態勢へと入る。

先ほどの獲物を見る目とは違う。敵を警戒する目だ。


「…あんなに強いのか」


何かできると思っていた。

結縁の力になれると思っていた。

俺にだって何かできるんだって、心の底で思っていた。


「何にもできねえじゃねえか…。力にもなれない…!」



「……」

『どうした、結縁』

「やけに硬くない?気のせいかもしれないけど、ダメージが入ってない気がして…」

『気をつけろよ。奴は何柱か神を喰らってるはずだ。どんな権能を奪ってるかわからんぞ』

「そうだよね。なら、先手必勝!」


一瞬でキュウビの懐へと潜り込み、一瞬で連撃を叩きこむ。

そして宙に浮いたキュウビより上へと回り込み叩きつけ、跳ねたところを蹴り飛ばす。

およそ常人離れしたコンボ攻撃を当たり前のように叩き込んでいく。


(スピードは私の方が上…。だけど、普通の異形ならあれだけ神威叩き込んだら10回は倒せててもおかしくないし、耐久以上の何かがありそうかも…)


「タマちゃん」

『分かった。交代だ、ワン公!』


結縁の姿が変わる。雷を纏い、猫耳は犬のような耳に代わる。

天の荒々しさと神々しさを兼ね備えたその姿は見るもの全てに畏怖を覚えさせる。


「ガルちゃん、よろしくね」


そう言って踏み出すと雷の奇跡だけを残し、消えた。

キュウビすらも知覚できない高速…いや、光速の連撃は姿を見せることなくキュウビを圧倒する。

結縁は考えた。耐久力に分がある相手に長期戦は不利だと。

その上、こちらの神纏いは燃費が悪い。

相手に隠し玉がある可能性が高い以上、最短で決着をつけるのが最善。

ならば、分のある速さで戦おうと。


「神威・迅雷」


雷の軌跡が何重にも重なりほぼ同時、多角的に神威を叩きこんだ。

さしものキュウビも百以上の神威を喰らい立つことはできなかった。しかし


「……自動再生かぁ」


疲れたように呟く。

目のまえでは与えたはずの傷が癒えていくキュウビ。

回復手段がある以上、最大の一撃をもってして迎え撃つべきだ。しかし、

チラリと正愛を見る。

へたり込み、立ち上がれない。

あの戦闘を見れば無理もない。

自分がまきこんだ以上、怪我をさせずに日常へ帰すのは最低限だ。

最大威力の技を撃つには時間がかかる。

正愛に怪我をさせるリスクがあるならそれは背負えない。

その、思考がまずかった。

ニヤリとキュウビは嗤った。

「分身も!?」

影より分身を生み出すキュウビに驚きつつも身構える。

2体のキュウビは結縁へと襲い掛かり、もう一体は別の方向へと駆け出した。


『結縁!神を狙ってる!』

「…っ!わかった!」


2体の攻撃を捌き、雷の速度で神を咥えるキュウビへと接近する。

新たに生まれた2体の分身が壁になり、捌いたはずの2匹も戻ってくる。

それでも、キュウビの本体へと手が届くはずだった。


「え…」


本体は神を口から離すと心底楽しそうに嗤い、炎を吐き出した。正愛へとむけて。


「暮雲くん!?」



キュウビの眼光がこちらを捉え、口から炎が燃える。

炎が放たれる瞬間、一瞬キュウビの動きが止まった。今なら逃げられる。少し動くだけで炎の軌道から外れられる。


だというのに足は動かなかった。

機は逸した。

迫りくる炎。一瞬は何秒にも引き延ばされたように感じるのに肝心な体は動かない。

砕けた盾は戻らず、折れた心も奮い立たない。


「出ろよ…。出ろよ出ろよ!」


形だけの言葉は空虚に溶けていき、なにも生み出すことはない。

業火は雷光のごとき結縁によってせき止められる。


「逃げられた…」


業火の晴れた後にキュウビの姿はない。

まんまとキュウビの策略にはまり、逃がしたことに結縁は悔しさを覚える。


「すまん…俺のせいだ」

「いえ、決して暮雲くんのせいというわけじゃ…。巻き込んだ私の責任です」


そう言って、申し訳なさそうにうつむく結縁の態度が一層、正愛の心を締め付けた。

罵ってくれればどれほど楽か。責任の所在を明確にしてくれればどれほど心が軽くなるか。

しかし、それを求めるほどに結縁は自分を責めることは分かっていた。

だからこそ、正愛は口を噤んだ。


「……一応、姿は確認しましたし決して、マイナスではないですからお気をやまずに…。えっと…」


へたくそな慰めは無意味だと言葉に詰まる結縁の隣でタマは不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「…ここで終わりにしないか?」


口をついて出た言葉は正愛ですら言うつもりのない言葉だった。


「これは神代さん一人が背負うレベルのことじゃない」


いくら強いと言っても無傷とはいかない。

正愛をかばった際に負った火傷はひどくはないものの見れば痛ましさを覚える。

4体の分身との戦闘時に付いた傷からも赤い血が流れている。

数日の短い付き合いだが、学校で噂をされている以上に、英雄である前に、結縁は普通の女の子だと思ってしまった。

だからこそ…いや、それも言い訳だ。

死を恐れてしまった。ただそれだけにすぎない。


「…珀さんの神社でもお話ししましたが、こういう生き方しか私はできません」


いつもの容易く折れてしまいそうな声ではなく一本の芯が通った結縁の声に正愛は返す言葉なく再びうつむいた。

しばらく、静寂が続き、ゆっくり正愛が口を開いた。


「…俺はここで降りる。俺に…神代さんの隣に立つ資格はない。対等でいられる自信がない」


人見知りで、コミュ障で、弱気で、自信がなく、一人ぼっちで。

だけど、強くて、優しくて、覚悟をもった英雄である彼女の隣に立つ資格があると正愛は思えなかった。

どれだけ表面を取り繕おうと、虚勢を積み上げようと正愛はあの夜から一歩も進めていない。

力になれると己惚れていた。傲慢だった。


「そんなこと…」


結縁はその続きを口にすることなく寂しそうにうなずいた。


「分かりました。一週間ほどですがお世話になりました。暮雲くんがどう思っていたかわかりませんが私は…すごく楽しかったです。お友達と一緒だったみたいで」


やめてくれ、そう叫び出したかった。

結縁の一言一言が正愛の心の奥底深くに突き刺さって抜けない。

正愛は何も言わぬまま、結縁の顔を見ぬまま神社を後にした。

悔恨と恥辱と自己嫌悪でぐちゃぐちゃな心を誤魔化すように街を駆け抜けていった。


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