撮影プランは綿密に

石野舟

入ったのは写真部

決定的瞬間

 普段全く使われていない視聴覚室のプロジェクタースクリーンの裏に、準備室なる部屋があるなんて、入学から半年以上経っても全く知らなかった。

 隠し扉を見つけたみたいで胸が高鳴った。

 ドアをノックすると「どうぞ」と短く返事があった。ノブを回して部屋に入ると——、


「あなたが入部希望者ね? ようこそ写真部へ」


 そこにはえらい美少女がいた。

 クールな黒目がちの瞳を長いまつ毛が縁取り、頭頂部をふんわりさせた黒髪がうなじにかけて伸びて立体的なひし形のシルエットを作り出していた。ウルフカットって言うんだっけ。


 可愛い系というよりはキレイ系。大人びた雰囲気だ。

 にやけそうになるのをなんとか堪える。


「久保田先生に言われて来たんだけど……えぇと、間宮まみやさん、だっけ?」

「そうよ、写真部の部長兼天才女子高生カメラマン、1年E組の間宮まみやアンリ、よろしくね」


 間宮は目を細め蠱惑的にほほ笑んでみせた。

 立冬が過ぎた十一月下旬の北海道だというのに、気合いの入ったミニスカートの間宮はブレザーを脱ぎ、シャツに革ベルト? いやハーネスか、のようなものを巻き付けるといった奇妙な恰好をしている。


 カメラを掛けたボディハーネスは身体のラインを強調させ、『ここに注目! ハーネスに締め付けられて形がくっきり!』と主張している。正直目のやり場に困る。


「今年、三年生が抜けて私一人だったから部員が入ってくれて助かったわ」

「……他に部員いないの」


 間宮は首肯し、ベルトに引っ掛けた古そうなカメラを手に取ってため息をついた。


 俺は担任の久保田先生による「どこかの部活に入りなおせ」という再三の指導を無視し、今日までのほほんと学校生活を送っていたわけだが、生徒の自主自立に任せた見守りのフェーズは突然の終了を告げ、半ば強制的に写真部への入部を申し付けられた。


「ちゃんと部室も機材もあるのにもったいないわよね」


 八畳ほどの部屋の中央には長テーブルと椅子があり、窓を残した壁一面には背の高いスチール製の棚が設えられているせいで間取りよりも狭い空間となっている。

 部活というからにはジャンク的な機材や視聴用教材で溢れたこの狭い密室で放課後を共に過ごさなくてはならないのだろう。

 マジで? いやちょっと待ってくれ。確かにスケベな気配がするシチュエーションだけどさ、気まずいだろ、普通に考えて。予想外の事態に尻込みする情けない俺。


「言い辛いんだけどさ、俺は見学のつもりで来ただけだから」


 へぁ?


「え?」


 ぶっ壊れたリコーダーみたいな音が聞こえ、俺は思わず辺りを見回す。何だ今の。


「ま、まぁ良いわ、入るかどうかはゆっくり考えて頂戴———ところであなた、名前は?」


 スフマート技法で描かれた絵画みたいに柔和な笑みを作る間宮。


「そっか、すまん。俺は花水はなみず——」

「どんな漢字? ここに書いてみてくれる?」


 自己紹介を遮り、間宮は長テーブルの隅に置かれたA4の用紙を引き寄せ指でトントン。


「あ、あぁ」


 同時に差し出されたボールペンを受け取り、俺は自分の名前を書き込もうとした。

 ——のだが、ペンを握る手が急ブレーキをかけた。

 用紙には既にこう書かれていたのだ。


『入部届』と。


「あっぶねえっ!」


 俺はボールペンを机に叩きつける。

 携帯ショップで店員に誘導され必要のないサービスが盛り込まれた高額契約プランにサインさせられる可哀想なお年寄りみたいになるところだった。


「いきなり入部させようとするなよ! 油断も隙もねぇなおい」

「バレたか」

「はい……?」


 一瞬ギャグでやってるのかと思ったが、表情を見ればそんな可能性は無いと分かる。眉間に縦線が入っているし舌打ちまでしてやがる。

 外見だけじゃない。中身も変だこの女!

 だが、俺は気づけば次の様に言っていた。

 まったく、気遣いのできる性格が恨めしい。


「ま、まずはこの部活がどんなことをしているのか教えてくれよ。入るかどうかはそれから決めるからさ。あ、それと俺は一年A組、花水はなみず勇仁はやとね」


 バカ真面目にも俺は通学リュックの中から生徒手帳を取り出し、記された漢字まで見せてやった


「ゆうじん、ユージン、良い名前ね、伝説的写真家と同じじゃない。私のアンリって名前も写真家から取ったものだし、これはもう写真部に運命づけられていると言っても過言では無いわ」


 過言だろ。つーかユージンじゃない、はやとだ。何聞いてたんだ。


「活動は撮影と校内の定期展示が主な内容で、コンテストに向けて作品作りをする人もいたわ、それと夏休みには少し遠出をして撮影旅行もしたわね」


 喜色満面で語り始める間宮。


「私は色んなカメラもレンズも持っているけれど、部員に機材を強制しないのがウチのルールなの、実際、先輩たちの中にはずっとスマホのカメラで撮っていた人もいたのよ」

「そうなのか、構図とか理論とか小難しいイメージがあったけど意外だな」

「確かに大事なことだけれど、そういうものはこだわりたい人がこだわれば良いのよ、まずは撮る楽しみを知らなくちゃ写真は始まらないわ」


 だからね、と間宮は付け加え、


「きっと楽しいはずよ」


 上目遣いの潤んだ瞳がこちらを見上げてくる。気後れしてしまうほどの美貌で分かり辛かったが、よく見るとタレ目で中々どうして庇護欲を掻き立てられるようなあどけなさを感じさせる。


「そっか、良い部活みたいだな」

「えぇ、楽しいと思う。私がきっと楽しい部活にしてみせるわ」


 今度はパッと明るい表情になって立ち上がり、窓際に置かれた脚立を引きずり始めた。


「もう日暮れなのよね。撮影は次の機会にしましょう。写真を撮る楽しみが良く分かるDVDがあるからそれを貸すわ、ニューヨークの有名な写真家の自伝的映画よ」


 間宮は壁に設置された背の高い棚に向けた脚立に上り始める。

 クールに見えたと思ったら、色気を感じさせる蠱惑的な笑みを浮かべ、険しい表情をしたと思ったら、純粋に喜びを表す。実にエキセントリックだ。


 ふっ、おもしれー女。

 なんてな。俺様系王子様的イケメンなら多分こんな風に言うんだろうな。

 いや、まじで面白い人間ではあるのだが。


 ——正直言うと、この時俺は少し彼女に同情していた。

 楽しそうに写真部について語る彼女だったが、その言葉の全ては過去形だった。写真活動に熱中しているのに、この部屋で独りぼっちと思うと可哀想な気がした。楽し気な笑顔も実は虚勢なのかもしれない。


「グラついて危ないぞ」

「ありがとう、気が利くわね」


 結局、俺は自分の脳内で勝手に作り上げた『いじらしい美少女象』を妄信し、脚立を支える役割を買って出た。


 ——だが、それこそがケチのつき始め、運の尽きとでも言うべきか。間宮の言った通り、俺は写真部に運命づけられてしまうことに。


「うーん、どこにやったのかしら」


 危なっかしく脚立の上段でつま先立ちをしながら棚をかき回す間宮。

 支える俺の丁度目の前に左右に揺れる尻があった。ひらひらと揺れるスカートの裾とそこから伸びる白い太もも。間宮は棚に夢中でこちらを見る気配はない。


 そう、魔が差したのだ。

 例えば気温の低い冬の早朝、通学路にある水たまりに薄い氷が張っているとする、何となく踏んで割ってしまいたくなるものだろ? ——いや、それとこれとは話が違うな。完全に俺が悪い。

 俺はもう一度間宮がこちらを見ていないことを確認し、アハ体験の如くじわりじわりと身を屈める。


 お、もう少しで……、


 その瞬間、


 パシャリ。


 期待していたモノは見えず、代わりに小さなカメラが目の前にあった。

 尻を庇うようにして間宮がスカートを押さえ、押さえる手にカメラが握られていた。


「まさに決定的瞬間ね」

「違っ」


 間抜けにも俺は尻もちをついた。


「何が違うのかしら? 私が脚立に上って、あなたは支えるフリをしてスカートの中を覗こうとした……でしょ?」

「し、してないしてない! もしそんな気が起こったとしても俺は直前で踏みとどまれる人間だ!」

「ただ臆病なだけでしょうに」


 振り向いた間宮はカメラを握る手でちょいちょい、と長机の上の用紙を指差す。

「入部届にサインしてくれるわね?」と言われなくても分かった。無言の眼差しが俺をゾンビの如く立ち上がらせ、氏名の記入を強制させる。


 やっちまった。まさかこの状況、全てが仕組まれていたんじゃないだろうな。俺はまんまと掌の上で転がされたのかもしれない。悪いことはするもんじゃない。


「これからよろしく、ユージン君」


 余裕たっぷりに微笑む間宮は軽快な調子で脚立の横から飛び降りる。


「へぁ?」

「お」


 どうやらやたらと脚立がグラついていたのはボルトが緩んでいたことが原因だったらしい。

 僅かに飛び出たボルトが飛び降りた間宮のスカートを引っ掛けた。

 勢いそのままに着地した間宮のスカートは脚立のある左側から腰までをまくり上げられる形となった。


 淡いピンクのローライズ!


 直後、耳をつんざく大音声が炸裂した。

 視聴覚室が防音仕様で本当に助かった。

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