016 粉を挽き風を詩う者、グレイン

 

「このパン、なんでこんなに……深い味がするんだ?」

 

 噛み締めるたびに甘みがにじみ、外は軽く弾け、中は柔らかく沈む。


 ティナの腕前は知っている。


 それでも──この香ばしさの奥に、もう一つの「何か」が潜んでいる。


 ふと浮かんだのは、生地に使う小麦粉のことだった。

 

 そう思い立った俺が向かったのは、村の北端。


 朝の光を浴びて、どこまでも続く緩やかな丘を登り切ると、遠くからゴウン、ゴウンと、低い風車の音が聞こえてきた。


 空には白い雲がゆったりと流れ、その下には巨大な風車小屋が堂々とそびえ立つ。まるで、この地の風そのものが形になったようだ。

 

 さらにその近くには、直立した石が二つあり、その上に一つの石が乗ったドルメンのようなオブジェがあった。


 高さは5mぐらいだろうか、あそこは日当たりが良くて、日向ぼっこをするには最適な場所な気がする。


 心のメモに記しておくか──。

 

 くだんの風車小屋には、なんでも村の粉挽き職人が住んでいるらしい。


 近づいてみると、その前に仁王立ちしていたのは──

 

「がっはっは! 粉の挽き具合ならワシに任せんかい!」

 

 その豪快な声は、風車の唸り声にも負けず、丘全体に響き渡った。まるで、ユウマの考えをすべて見透かしているかのように。

 

(いやなんで、お見通しなんだよっ!)

 

 図星を指されたかのように、俺は思わず心の中で突っ込んだ。


 目の前に立つ男は、その巨体で太陽の光を遮るほどだ。


 陽気な大声とともに現れたのは、筋骨隆々の巨漢。赤茶の髪にお祭り鉢巻き。


 白い歯がピカリと光る、村の製粉職人・グレインだった。

 

「ユウマっちゅーたな? パンに惚れた男に悪いヤツはおらん! よーし、見せてやるぞ! 風と粉の神髄をな!」

 

 そう言うなり、グレインは俺の頭をわしわしと撫でまわした。

 

「おおっ、この手触り! モフモフ具合、粉雪級じゃな!」

 

 突然の撫で攻撃に、俺は目をぱちくりさせるしかなかった。

 

(粉雪級ってなんだよ……まあもういいや)


 抵抗する気力もなく、ただされるがままにその大きな手のひらを受け入れた。


 その直後、脳内で通知が鳴った。




経験値獲得!

・グレインとの出会い 30EXP




(また経験値が! 次のレベルまで残り20か……ちょっとヌルゲー過ぎない? 戦闘しなくて良いのは助かるけども!)







 風車の内部は、想像以上に巨大だった。


 天井まで続く太い柱が何本もそびえ、窓から差し込む光が、舞い上がる微細な小麦粉の粒子をきらきらと輝かせている。


 機械油と乾燥した小麦が混じり合った、独特の香りが鼻をくすぐった。


 大きな歯車がゆっくりと回転し、石臼が低く唸りながら粉を挽く。


 その横で、グレインが両手を腰に当て、仁王立ち。

 

「パンは粉で決まる! 粉は風で決まる! 風は空で決まる! つまり──空を読まにゃ、うまいパンは焼けんのだ!」


「いや、話が飛びすぎでは……?」


「ほれ見ろ!」

 

 ドン! と袋を開け、中の粉を勢いよく掬う。サラサラと舞い上がる白い粉から、香ばしい匂いがぶわっと広がった。

 

「この粉は、昨日の西風で挽いたやつじゃ。やや乾燥気味で、軽い焼きに向いとる」


「……風の違いでそんなに変わるの?」


「変わるわい! 焼き上がり、味、香り、すべてじゃ!」

 

 その後もグレインの熱弁は止まらなかった。


 品種ごとの小麦の特徴、焙煎の度合い、湿度との兼ね合い……それはまるでパンに向き合う詩のようだった。

 

 俺はグレインの言葉一つ一つに、パン作りの奥深さを感じ取っていた。


 彼の話を聞くにつれ、ただの食べ物だと思っていたパンが、風や土、そして職人の情熱が織りなすひとつの芸術のように思えてくる。



 そして──


 

「……粉届いてた?」


 ふと影が差し、振り向けば、青みがかった褐色の肌の少女が立っていた。感情を控えた瞳が、一瞬だけ和らぐ。


「サラ! 粉って? サラの牧場にいる魔物から?」

 

 俺が眉を上げると、サラは短く続けた。


「ん……バフラウモ。ひょうたんみたいで、頭に花。羽があって……飛ぶときに粉を撒く」

 

 彼女の声は淡々としているのに、その光景が目に浮かぶようだった。

 

「おぉ~サラよ、お主の魔物畑の穀物はいつも素晴らしい! 特にこの『金風麦』はな……」


 また熱弁が始まりそうだったので、俺はそっと小声で尋ねた。


「……この人、いつもあんな感じ?」


「ん……。でも、粉のことになると、すごく真剣」


 言葉は少ないが、サラの声にはどこか信頼が滲んでいた。

 

 そして彼女も、ふとした仕草で俺の頭をそっと撫でた。


「ん……にゃんこ。やっぱり、いい毛並み……」


(……おい待て、流石にいつもモフられすぎじゃない!?)







 その日の夕方、風車の最上段に立ち、グレインは語った。


 西日が長い影を落とし、風車小屋全体が夕焼け色に染まる中、彼の背中は一段と大きく見えた。

 

「パンとはな、粉と、風と、時間が織りなす詩じゃ」


「……詩、か」


「そうじゃ。ワシの家系は代々の詩人よ。挽きながら詠む。風を読み、粉に語る……そのすべてが、パンの味になるんじゃ」


 そう言うと、グレインは石臼のそばに立ち、深く、一度だけ深呼吸をした。


 その瞬間。


 風車小屋の中に満ちていた雑多な音が、すうっと遠ざかるように感じられた。空気は張り詰め、聖域に踏み入るような厳かな静けさが訪れる。

 

 その表情は、先ほどの豪快さとは打って変わり、研ぎ澄まされた職人の顔つきとなっていた。




「風は空より を撫でて 

 熱は命を に変えん 

 焼けよ 焼けよ 大地のうたを 

 パンは祈り 口に咲く花

 空の機嫌を 粉に聞け

 石の囁き 耳を澄ませ 

 風車よ回れ 我が詩を運べ

 天に昇れ 朝焼けの香よ」




 語るように、詠うように、風の音と重なるように、グレインの声が風車小屋に響き渡った。それは、まるで古の詩篇を紐解くような、厳かで力強い響きだった。


 俺の胸に、風が吹き抜けていくかのような、清々しい感覚が広がる。


 ただ、その響きに包まれながら──パンが「詩」になる瞬間を、確かに感じ取っていた。


 俺は思わず、その音に耳を傾け、息を呑む。


 どこか神聖で、でも土の匂いがするような、不思議な詩だった。


 俺の心にパンの新たな側面が刻まれるような、忘れがたい体験となった。


 そして詩の余韻を壊さないよう、控えめに通知音が鳴った。




経験値獲得!

・パンタニア世界を知る 100EXP


レベルアップ!

・LV9→10(80/280)


素材

・金風の薄粉(粉・D)

軽くて香り高い粉を得られるため、発酵菓子やパイ生地に適している。軽やかな口当たりになるのが特徴。品質補正+1。




(……外見からは想像つかない、きれいな歌声だったな。ループ再生でずっと聞けると思う。レベルアップもしたし大満足だ!)







「……パンって、やっぱりすごいな」


 グレインは満足げに笑い、ポンと俺の背を叩いた。


「よし、これ持ってけ! 次は香りだ! マイアんとこ行って、蜜をもらってこい!」


「マイアって?」


「蜂みたいに忙しなくて、常に祭り拍子が付き従うみたいに賑やかな娘じゃ。お前も『ぱんぱかぱーん』を味わってこい! がっはっは!」


 グレインの爆笑が風車に響く。


(あんたも落ち着きないだろ! 何だよ『ぱんぱかぱーん』って……。蜂の蜜ってことは、養蜂家かな?)


 俺は頭を抱えながらも、次の出会いに、僅かな期待を抱かずにはいられなかった。



 その後、俺はグレインに別れを告げ、心地の良い風に吹かれながら、次の目的地に向かって歩き出した。

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