006 はじめての村歩き、肉球付き


 木の扉をくぐって外に出たとき、朝の風がふわっと毛並みを撫でた。


 土と木々の混じった匂いが鼻腔をくすぐり、遠くから村のざわめきが微かに聞こえてくる。

 

 見上げれば、雲ひとつない青空がどこまでも広がり、眩しい光が森の梢をきらきらと輝かせている。


 ミーナさんが干してくれた洗いたての布団の匂いが、ほのかに香っている。

 

「……うん、空気が澄んでて、気持ちのいい朝だ」


「ユウマよ、あまり無理せんようにな。まだ本調子ではなかろう」

 

 背後から、落ち着いた声がする。

 薬草と乾いた木の香りをまとったローブの袖が、風に揺れていた。

 

「わかってるよ。ありがとう、ガランさん」

 

 ガランは相変わらず穏やかな口調で、しかし目だけはしっかりとこちらを観察している。


 気配こそ柔らかいのに、どこか野生の動物のような警戒心と敏感さを感じる。

 


 ──いや、それよりも問題は



「……ふむ、この毛並み、今朝も天界の風に撫でられたような手触りじゃな……」


「どんだけ撫でるんですか!?」


 ガランは手帳をどこからか取り出し、さらさらと筆を走らせている。視線は俺の尻尾に固定されている。


「記録せねばのう……尾の起毛、極めて良好。寝癖にあたる渦巻きが右寄り……これは幸運の兆しじゃな」


 ニヤリと笑い、さらに図を付け足す。


(怪しい学者感、満点だな……)


 ガランが満足げに頷いている。もう好きにして……。


「ふむ?」


 その時、村の方から元気な声が飛び込んできた。


「──モフさまっ!!!!!」


(え、誰!?)


「うわ!!! にゃっ!?」


 甲高い声と共に、突進してくる影がある。一瞬で距離を詰める素早さに、俺は反射的に身構えた。


「モフさま! 出てきたーっ! 元気になってるぅーっ!」


「ふわぁ~モフモフだぁ~」


 ドスドスドス! と駆け寄ってきたのは、元気いっぱいの双子のきょうだい。


 姉のほうは栗色のショートカットで、動き回るのが大好きな様子。


 弟は丸っこい髪と大きな瞳で、甘えん坊な雰囲気が全開だ。


「えっ、えっ、何っ!?」


「わたし、ミミっ! あなた、モフさまでしょっ!? わたしが村をあんないしてあげる!」


「ボク、ロッコ……モフモフ~おんぶ~」


 ぐいっとしっぽに抱きつかれ、ひざにへばりつかれる。ふわふわのパン生地のように柔らかい手が、俺の足に触れている。


「ちょ、ちょっと!? モフさまって何!? 俺は、ユウマだよ」


「ユウマでもモフさまでもどっちでもいいよ!  わたしはミミってよんでね!」


「ミミ、モフさまって……かってにつけた……でもボクもすき……モフさま……」


(え……この二人、めっちゃパワフル……っていうか懐かれてる!?)

 

「でもよかったー! ほんとにげんきになってくれて。きのう、おくすり屋に運ばれてくの見たんだから!」


「ミミが、あれは『かみのモフモフだ』っていってた……」


「いやまあ、 モフモフなのは否定しないけどもっ!」


「うふふ、ふわふわしてるね~! おてても、しっぽも、やわらか~いっ!」


「さわっても、いい?」


(いや、君たちずっと触ってるよねっ!??)


「えっ、えっ……まあ、いいけど……」


「やったーっ!!」


「モフモフ~!」


 許可を得たことで全力全開。ミミが耳の付け根を揉み、ロッコが膝に顔をうずめてくる。


(なにこの……フルコンボ的スキンシップ。子どもの力……侮れん……!)


 すると、また脳内で通知音が鳴った。




経験値獲得!

・ミミとロッコとの出会い 30EXP




(おお! また経験値が入ったぞ! 経験値がまとめてなのは何で……? まあいいか)






 

「ふむ。やはりこの毛並み、春の芽吹きの如き再生力を感じる……これもまた、神話の系譜の一部かもしれんな……」


「ちょっとガランさん!? 小難しいこと言ってないで──」


「しーっ! 静かに。記録中じゃ」


 ガランはすでに別冊ノートを取り出して、毛並みと反応の相関性について研究を始めていた。


 なんなのこの人。落ち着いてるのに一番暴走してる!?


 すると、ふとミミが顔を上げて、にこっと笑った。


「ねえねえ、モフさまはパン好きなんだよねっ?」


(……っ!!)


 その言葉は、まるで魔法のスイッチのように俺の脳内に響き渡った。パン、という単語が、それまでの思考の全てを塗りつぶしていく。


「もちろん好き! ていうか、パンこそ世界の理だよッ!! そう思わない!?  ねえ!?」


「う、うん。じゃあパン屋さんにあんないするー! わたし、ティナのお店のおてつだいしたことあるんだっ」


 俺の急にテンションが高い返答に、流石のミミも少したじろいでいる。


「ボクも、パン、たべたい……!」


「よし、行こうパン屋さん!!  今すぐ案内してくれっ!!」


「わーい! いっしょに行こっ」


「モフモフ~、パン~~」

 

 二人のちっちゃな手に引かれながら、俺は勢いよく走り出した。肉球が地面をリズミカルに蹴り、体が羽のように軽い。風が耳を掠めていく。


 後ろから、ガランの声が聞こえる。


「これこれ、あんまり無茶せんようにな。パン屋……無論、わしも同行するぞ。焼きたての香りは、気の流れを読み解く鍵にもなるからのう……」


 振り返ると、ガランがスーッと歩いてついてきている。走ってないのに速い。


(エルフって身体能力高いのか……!? ガランさんが特殊なの?)


 まあいいか……! 俺も急いで行かねば! 



 ──パン屋……それはこの異世界における聖地。



 村に神殿があろうが関係ない。俺の巡礼地は、あの焼きたての香りが漂う場所だ。

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