真実はいつもひとつ?!

「ミーナを探してくれて、ありがとうございます。引き続き、調査をお願いします」


ルナが腫れた目で言う。言葉には行き場のない怒り。行き場を探す意思。黙って頷く俺とララ。


「あの……よろしいでしょうか」


エリサが袖を引く。袖を引く、などということは初めてだ。


「さっきの砕けた口調でいいぞ。どうした?」


細い指が示した先、ぬかるみに、やや小さな踏み痕が連なっていた。女か――いや、踵が浅く、つま先が無遠慮に深い。子供かも。

この辺りは水はけも陽当たりも最悪。石畳もないから、足跡がよく残る。住人はこんなけがれた場所に近づかないので、珍しい足跡が良く目立つ。


意識して目を据えると、踏み痕は嘘みたいに素直に伸びていた。なんの配慮も警戒もない。施療院の周囲をぐるりと一周。何度か立ち止まり滞る。作業でもしたような形跡。その地点は、壁だったものの黒が他より深い。そこで撒いたのだろう。カーカスを。四面の壁全てに。丁寧に。

足跡は道路へと続くが、こちらは踏み荒らされて追うことが出来なかった。


「足取りは追えない。捜査の基本、自分の足で稼ぐか」


もっとも、財布の中身は稼ぐどころか減りそうだが。



聞き込みをすると、怪しい人物はすぐに浮かび上がった。

夜間、松明を持ち小樽を背負った一人の子供が施療院方面へ続く道を歩いて行ったらしい。細かい人相は不明だが、身なりは汚かったそうだ。

また少し気分が沈む。


汚くて臭くて嫌なのだが、貧民街へ。粗末な露店を聞き込み。質の悪い食べ物、ガラクタ、盗品などが売られている。どの店も粗末で品数も多くないが、店の数自体は意外に多い。


「なあ、貧民街の露店なんかで聞き込んでどうするんだ?」


そう言っていぶかしがるララ。こいつも少し目を腫らしている。


「軍で使われるような燃料が使用されたのであれば、汚ねえガキの悪戯ということはない。恐らく、そいつは小遣いを握らされてやっただけだ」


「なるほど確かに。それで?」


「汚ねえガキなら貧民街、というのは多少短絡的だが、隣接区画だしな。で、小遣いの入った貧乏なガキが何をする? 貯金したりするか?」


ララは『なるほどー。セトはやっぱ賢いんだなー』などと、お気楽にのたまう。そうだよ、誰かと違って賢いんだよ。さっきまでのシリアスはどこへ行った。あと、お前も少しは頭を使え。

先ほどの一軒目ははずれ。何も収穫はなかった。


「セト……」


エリサが俺に呼び捨てで話しかける。恐る恐ると。ララはぎょっとしている。俺は少し嬉しくなり、上機嫌で返事をする。


「どうした、エリサ。なにか欲しいものでもあったか?」


「……出来れば買い物は広場の市で……いや、そうではなく」


彼女は、俺に気に入られようと努力しているだけだ。だが、今はそれでいい。そこから少しずつ素の顔が覗いてくる。


「まずは食料を扱う店に聞き込んではどうでしょ……どう、かな?」


言われて見ればその通りである。順番に聞いて回るなどという真面目なやり方は以ての外だ。貧民街のガキが金を手に入れたなら、最初に買うのはやはり食い物だろう。


「とてもナイスだ、エリサ。そういうの、今後も頼むぞ」


露店が並ぶうちの、いちばん端。敷いたゴザの上に、黒パンの塊と豆の袋、ひび割れた壺に黒麦。店主は痩せて背が曲がり、曲がった指で勘定石をいじっていた。


「やあ、景気はどうだい」


俺は掌で小銅貨を二枚、からんと鳴らして見せる。


「今日の話で、妙に羽振りの良い子供に心当たりはないかい?」


単刀直入。男は口だけで笑う。商売人のの顔だ。思案の間が少し長い。間延びする前に、俺は小銅貨を三枚に増やして、指の間で扇のように広げてやる。


「……そう言えばいたような気がしますね。とっても変な様子だったような……」


まだ値段が足りない顔だ。ララが退屈そうに剣帯を直す。俺はため息をひとつ落として、大銅貨を親指で弾き上げて見せた。緑がかった光が、曇り空でもちゃんと目を刺す。労働者の日当に相当する金額。今日の記憶の相場にしては高い。


男の口角が、今度は肩ごと上がった。


「思い出しましたよ。たまに物を売って、豆と黒麦を買ってくガキがいるんですがね。そいつが今日は黒パンを買いに来たんです。旦那と同じ大銅貨でね。昨日は黒パンを売って、豆と黒麦を買ってったのに。変でしょう?」


「なるほど。それは変だ。そんな変な奴はどこにいるのかね」


――昨日は黒パンを売った、か。


俺は大銅貨を、男へ向けて弾くをする。男の小枝のような指が慌ただしくそれを受け止めようと動く。実際には手元から離していない大銅貨をちらつかせたまま、視線だけでを促す。


「……そのガキどものねぐらは……ああ、何人かのガキの集団で暮らしてるんですがね。城壁の影んとこです。ここらでも特に汚ねえ場所で、板を打っただけのバラックがあるんです」


そう言って指を差す。


――ガキの集団、ね。

今度こそ大銅貨を男へ向け弾く。男は大事そうに懐に落とし、口の端で『お達者で』と囁いた。教会の祈りよりは、いくらか効くかもしれない。



城壁の根の、影の帯。ここだけ季節を外れているみたいに冷たかった。溝は泥で膨れて、石畳はとうに諦められている。木の板を斜めに立て掛けた小屋が、壁に立て掛けるように並んでいた。昼だというのに薄暗い。湿気た藁とカビと汚物の悪臭に、煮た豆と黒麦の匂いが混じる。


「ここだな」


ララが先に立とうとするのを制止する。戸なんてものはなく、布と板を紐でとめただけの入口を、音を立てないように押し開けた。中の気配がびくりと揺れる。ララが俺の後ろで半身に立つ。俺は一歩中へ。エリサは最後尾、外で待機。これで出口は制した。


子供が七。八歳から十二歳ほど。骨がすべて皮の内側に浮いている。目だけ妙にぎょろつく。全員が、豆と麦の粥を塗ったくった固い黒パンにむしゃぶりついて、歯で削るように食べている。パンくずが黒い雪のように散って、湿った黒い土がそれを飲み込む。


一番大きい少年の額に、薄いかさぶた。昨日、石畳で音を立てたそれだ。やっぱりお前なのか。悪い予感は当たるものだ。目が合うと、彼は反射的に他の子の前に出る。偉いな。今だけは。


「施療院に火を着けたのはお前か」


少年の喉仏が一度だけ上下した。別の生き物のような喉の動き。口は開かない。代わりに視線が、俺の顔、ララの剣柄、そして出入口越しに見えるエリサへと泳ぐ。逃げ道の計算。子供の癖に悪くない。だが、出口は塞がっている。他に出口があっても無駄だ。


答えないのなら、こちらも予定通りの手順を踏む。


「お前じゃないとすると……」


ゆっくり、ぐるりと、他の顔を見る。一人ひとりと目を合わせる。誰も噛んでいるパンを手放さない。あえて、なるべくサディスティックに見えるように微笑む。


せっかくの臨時ボーナスで、他のガキ共にパンを与えるお前だ。危険を承知で、囮役を務めるお前だ。沈黙を置けば、きっと“責任感”と“優しさ”が喋り出す。それで足りないようなら、気は進まないが――。


「違う! 皆は関係ない! 俺一人でやった!」


ほら、出た。簡単に罠に飛び込む。悪いやつじゃない。悪事には向かないくせに、悪事に手を染める。俺は内心で肩を竦める。


「そうか」


情のかけらもない捕食者。自覚している。少年の顔から血の気が引いた。もう遅い。振り向くと、ララが無言でうなずく。エリサはほんの少し眉を寄せたあと、目を伏せる。


被疑者、確保。仕方ないよな。お前は明らかに一線を越えた。ここから先は、俺の冗談が通る場じゃない。

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