王都3

「ノア、あなたまで緊張しないでください」


少しからかうように、ルナ殿下が小声で語り掛けてくる。

そうは言うが、私とて謁見に慣れているわけではない。これでも緊張を悟られぬように努力しているのだ。


「王女ルナ・アグディス・アストライア、入廷!」


謁見の間に紋章官の声が響き渡ると同時に、槍の石突きが床を打ち鳴らす。

赤絨毯を進みながら、私はその呼吸の揃い方に気づく。張り詰めた眼光。職務に徹した沈黙。だが実態は違う――それは「備え」だ。

異物に対する、隠しもしない警戒。


その対象は明白。セトだ。


王宮に連れ込まれた異邦の男。粗野で、常識知らず。だが戦場で見せた力は尋常ではなかった。

今は落ち着きなくきょろきょろと周囲を見回しているが、この男のあの姿を見れば、彼らの警戒は数段階上昇することになるだろう。


「面を上げよ」


陛下の声が落ちる。圧をかける意図はないのだろう。だが自然と重みがある。

その声に従い顔を上げた瞬間、私は横目で視線を感じた。


――バハム。


白銀の胸甲を纏い、髪も髭も刈り揃えられ、磨き上げられた刃そのもののような男。

戦場を幾度も渡り歩き、平民から一代騎士に昇り詰め、王直々に二百の精鋭を預かる近衛隊長として取り立てられた百戦錬磨。

彼の忠義に疑いはない。忠義ゆえに、王に近付く異質な存在を警戒するのだ。


ルナ殿下が陛下へ報告を始める。

召喚に成功したこと。謎の集団に襲われたこと。兵を失ったこと。そしてセトの力によって撃退できたこと――神の導きであると。


陛下はセトをじっと見つめ、それから小さく頷かれた。納得したかは分からない。だが無体なことを仰る方ではない。


「いずれ働いてもらうとして、当面はルナの預かりとして面倒を見るのが良いであろうか。レオトバイはどうか?」


レオトバイ王太子――威厳がありつつも柔和な父王とは違い、第一印象からして武人だ。儀礼服の袖口から覗く手首は色が焼け、指の節は固く、剣の柄に馴染んだ跡が見て取れる。その体躯だけなら、バハムにも遜色はない。


しかし、ただの剛毅ではない。既に陛下に代わって政務を執ることも多く、実質的な王国の柱石と言って差し支えない。


(不敬な考えだが……この方が王太子でなければ、この国はもっと軋んでいたかもしれないな)


「そうですな……ルナが預かるのが筋ではありますが……」


王太子が視線を僅かに横にやる。


それに応えるように、鋼のように硬い声が落ちた。


「陛下、どうか私に進言をお許しください」


バハムだ。近衛兵の槍がわずかに揺れた。命令を待つ気配。

その声だけで、場の緊張がさらに張り詰める。


「異邦の力など、いかほどのものか……王族の方がそのようなあやふやな力を頼みとするのは危険に過ぎましょう」


セトは言葉を理解していない。ただ不安げにこちらを一瞥する。あるいは理解していても、きっと軽口でごまかすのだろう。

だが、バハムの眼差しは、軽口を一切許さぬものだった。


私は息を呑んだ。

彼の剣は王のためにある。セトに害意がなくとも、国王陛下に有害な存在と判断されれば、彼にとっては斬り捨てる理由になり得るのだ。

頼むからふざけた態度は取らずに大人しくしていてくれ。


ルナ殿下が一歩進み出て、真っ直ぐに言葉を返す。


「バハム。この者の実力は、私が保証します」


あのカイルスと渡り合ったのだ、とは言わない。あれはトラキス公爵の配下だ。公爵が王女を害そうとしたなどと、この場で言えるはずがない。


バハムは片膝をつき、なおも王を見上げたまま動かない。

玉座の間に重い沈黙が落ちていた。

謁見の間の空気は、今にも弦が切れそうなほど張り詰めていた。


「……陛下。この男の真偽を確かめる必要がありましょう。王女殿下を謀っているやもしれませぬ。仮に本当に異邦からの者だとして、その実力は知れませぬ。謁見の間を乱すわけには参りませぬゆえ、訓練場にて、私が試みてよろしいでしょうか」


玉座の間にざわめきが走る。槍の石突きが床を叩き、整列する兵の視線が一斉にセトへと向けられた。

セトは意味を理解していないのか、ただ落ち着きなく辺りを見回している。だがその掌は注目を集める緊張からか、握りしめられていた。


バハムの声が続く。


「言葉も通じず、素性も知れぬ。力を持つというのなら、その力を今ここで証明させるべきです。使い物になるかも分からぬ者を頼りに、陛下のお近くに置くなど正気の沙汰ではございませぬ」


彼の言葉に偽りはない。何も間違ってもいない。忠義ゆえの直言だ。

そして、決めるのは王の一言だけだ。


「……ルナ。お前はどう思う?」


言葉は発せられたが、決められることはなかった。


ルナ殿下が一歩、王座に向かって進み出た。

その横顔に一瞬の逡巡――しかしすぐに決意の色が宿る。


「父上。私は、この者の力を信じます。ならば、ここで証明すべきです。彼は王国の希望です。それを、この場にいるすべての方々に示すべきです」


声は震えていなかった。むしろ強い。

――だが私には分かる。彼女がこうも信念を見せるとき、そこに思索はあまりない。

考えた末に結論を出した時ほど、むしろ弱気で自信なさげな態度が出るお方だ。


「……よい。試してみよ。もちろん殺すな。大怪我も避けよ」


王の裁可が下った瞬間、兵たちの鎧が軋む。槍を握る手に力がこもる。

バハムは深く頭を垂れ、わずかに口の端を吊り上げた。

忠義を示したと同時に、武を振るう機会を得たとでも思っているのだろうか――あまり、バハムの考えは分からない。


王太子は何も言わない。バハムと示し合わせていたのだろうか。確信はない。


セトは依然として状況を飲み込めず、苦笑いを浮かべている。

だがその目だけは、鋭く周囲を見回していた。

不穏な空気は察しているだろう。なのに、先ほどの緊張があまり見られない。

むしろ、あの時の――カイルスらと戦った時の気配に近づいているように思える。


あの時も、最初はうろたえていた。

しかし、戦場に身を置いたことがないであろう男が、躊躇なく命を取りにいった。

何故、そんなことが出来た? おそらく、恐怖からだ。

殺らなければ、殺られる。単純で冷徹な論理。

この男は恐怖に震えた次の瞬間、その論理を受け入れ行動に移せるのだ。


もしここで『殺される』と判断したら?

迷わず、わき目もふらずに、王の命を取りに来る。

そのくらいのことはやりかねないと考えるべきではないか。

思わず血の気が引くのを実感する。


このままでは荒れる。ざわつきが胸を重く締め付けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る