第9話 兎佐田桃香は修羅場である。
「お母さん、これ、なんですか?」
朝、お母さんから渡されたのは、可愛らしい小さな箱。
表面には『バターたっぷりアーモンドクッキー』と書かれている。
「四丁目の
四丁目の地伊田さん……正直、知らない。
うちは五丁目なので、四丁目の人とはほとんど顔を合わせたことがない。
……いや、五丁目の中の人もお隣さんとかお向かいさんぐらいしかほとんど顔を合わせないが。
お母さんは四丁目・五丁目合同のママ友飲み会などにも参加しているため、四丁目にも知り合いがいるという話は前にも聞いた。
「二箱頂いたから、その一箱学校に持ってってお友達と一緒に食べていいわよ」
「わー、じゃあ遠慮なく持って行かせてもらお」
一応、箱の裏にある内容表示シールを見て、内容量を確認。
クッキーの数は五枚、うん、丁度いい。
先日、私たちのグループに唐狩さんが加わり、私を含め五人の団体となった。
中々の大所帯である。
放課後。
私たちは空き教室で集まり、ひとまずクッキーを全員に一枚ずつ配る。
その後、獅子神さんが私の匂いを嗅ぎ、虎沢さんが私の耳を撫で、豹堂さんがクソデカリボンを私に付けようとし、唐狩さんが私の足を見つめてはあはあと息を荒くする。
……誰かに見られたら絶対に誤魔化せない。
この五人で目立たないよう行動し、人目を避けて私に対してのフェチを満たしていくというのが、現在の私たちの関係。
しかし……金髪ギャル二名、不良っぽい一名、みんなの憧れのお嬢様一名……そして一見するとオマケ、その実は中心人物となってしまっている、一般人偽装百合オタクの私。
個性豊かな仲良し集団は、歩いているだけでだいぶ目立つ。
空き教室に入っていく所を誰かに見られているかもしれない……。
さらに言えばこの空き教室も、先生に許可を得て集まりに使っているわけではないため、誰かが急に入って来る危険性も十分にある。
そのことをみんなに話すと、「確かに……」と同意しつつフェチ満たしを続行した。
止めろや、その手を。
欲望の権化か、ここにいる女子たちは。
「いっそ部活にでもしちまうかァ~? テキトーな部作ってよォ――、どっかの空き教室のひとつでも部室にしちまえばよォ――、誰か入る時にしてもノックぐれーはしてくれんだろォ――?」
スーツケースからオーバーサイズなパーカーを取り出しながら、豹堂さんは提案する。
確かに五人も揃えば部活動を作れはする……お嬢様の唐狩さんがいるから、例えばアフタヌーンティーのマナーとかを学ぶ西洋文化研究部を作る……アリだな。
そういうのを立ち上げれば、どこかの空き教室なりなんなりを部室として用意して貰えるかもしれない……。
私はオーバーサイズのパーカーを制服の上から着せられ、まるで小さな子供が見栄を張って大きなサイズの服を着ているかのような格好をさせられながら、そう考える――が。
「下手にそれっぽい部を作って……入部希望者が来たら面倒臭くありません?」
「あ――……確かになァ――……」
今思いついた西洋文化研究部なんか、唐狩さんみたいなお嬢様に憧れがある人は入部希望、入部しなくとも遊びに来ちゃう……なんてことも十分に考えられる。
しかし逆に人が来なさそうなトンデモ部活動を立ち上げると……今度は先生から却下されそうだな……。
……暑いのでオーバーサイズパーカーを脱ぐ。
残念そうな顔をしないでくれ豹堂さん。
「でしたら、放課後は学校外で集まりません?」
唐狩さんが提案してきた。
「この間ご案内いたしましたホテルの部屋を、そのまま普段集まる場所にすれば、誰にも見られず兎佐田さんでフェチを満たせますわ」
「あの部屋を何回も借りるのはちょっと申し訳ないというか……」
獅子神さんが遠慮がちな顔をする。
私も同意だ。
あの滅茶苦茶ラグジュアリーなホテルのスイートルーム……何回も借りられるのはありがたいけど……流石に申し訳ない……。
「唐狩さん、あの部屋って普通のお金持ちのお客さんとかも宿泊するじゃないですか? 私たちだけがずっと占領し続けるのはホテル的にもお客さん的にも悪いんじゃ……」
「いえ、あの部屋はわたくし専用の部屋ですので、そこは問題ありませんわ」
……。
なんて?
「そもそもあのホテルは『カラカル・クノエ・プリンセス・ホテル』という名前で、わたくしが生まれたお祝いに建てていただいたホテルなんですの」
誕生の祝福にホテル。
「そしてあのスイートルームの正式名称は『唐狩薫衣専用ラグジュアリースイート』といいまして、一般のお客様は宿泊はおろか見る事すらできません」
見る事すら。
「お父様とお母様からは、わたくしがお部屋に誘いたい友人がいる場合は入室させてもよいと以前から許可を得ておりますので、皆さんは問題なく入室できますわ」
「……唐狩さんって、本当にお嬢様なんですね」
「ひけらかすようであまり品の良いお話ではありませんが……」
「いえ、なんかもう話のスケールを飲み込むのに精一杯でそんなこと気にしてません」
こうして――。
以前、唐狩さんとお話した時に使ったあの部屋は、そのまま私たちの放課後の集合場所となった。
早速、その日も例の部屋へ。
「……唐狩さん、本当にいいんですか?」
再び豪華絢爛な部屋に来た私は、相変わらず汚すのが怖いソファに恐る恐る座りながら聞く。
「ええ、ひとりで使うには広すぎるお部屋だと以前から思ってましたので、皆さんと共有できて嬉しいくらいですわ」
うーむ……この発想もお嬢様ならではだ……。
私だったらこんな豪華な部屋独り占めしたくなる……。
「何かお飲み物でも注文しましょうか」
「あーしコーラ」
「虎沢さん、前にも思ったんですがこのホテルでしか飲めないようなもの注文した方がいいと思います」
その後、部屋のソファやベッドで私の匂い・耳・身長・足を堪能され、夕日が綺麗になってきた頃に解散となった。
「はぁ……疲れましたねえ……」
「お嬢様の世界観ってすごいよね……」
私と獅子神さんは、ザ・庶民の憩い場という感じの駅前のベンチに座り、ようやく落ち着いた。
「なんかあの部屋緊張しちゃって……あんまり兎佐田さんの匂い堪能できなかったな……」
「あはは……追加で今嗅いどきます?」
不満げな獅子神さんに、私は思わずそう言ってしまった。
場所は今、駅前のベンチである。
「……ここではやめときましょうか」
せっかく誰にも見られないよう、わざわざ唐狩さんのスイートルームまで使えるようにして貰えたのに、こんな人の多い場所でやることはない。
私はそう思ったのだが。
「……どうしよ。今めっちゃ嗅ぎたい。ここで」
「ちょっ……獅子神さん!」
獅子神さんが私の肩を抱き寄せる。
「なんか、うまいこと、こう……女子二人がイチャついてるみたいな感じでくっついてくれれば……私もうまいこと顔寄せる程度で嗅ぐから……」
「や、やめましょうって人前で……」
「……だめ?」
んー……あんまり拒否りたくない。
ずっとオタクを隠すため、人付き合いを良くしようと生きて来た体の習性。
相手を受け入れないということに対する、精神的アレルギーのような感覚。
……これがあるせいで、もう四人もフェチ女子たちを囲んでるんだよなぁ……。
「わ、わかりました……あんまり目立たないようにですよ……」
私は、疲れて友達の肩を枕にうたた寝するような姿勢をイメージし、獅子神さんに頭を預ける。
獅子神さんも、私を支えるかのように、肩を抱いて顔を近づける。
「……すっ……」
嗅ぐ。
「ん……♡ やっぱり兎佐田さん、いい匂い……♡」
「そ、そーゆーのもあんまり言わないでください……」
人に聞かれたくないのもそうだが、何より恥ずかしい。
「……でも言わせてよ。ウチ、兎佐田さんの匂い嗅いでる時が、本当に……」
獅子神さんが、私の顔に手を添える。
私たちの顔が向き合うよう顎を引かれ、獅子神さんと、目が合う。
「……幸せだよ」
「っ……」
なんだこれ。
なんだこの感情。
百合漫画か?
今、百合漫画の大ゴマか?
その時の私は、本当に百合漫画の主人公になったような気分だった。
ただ、百合漫画の主人公というのは。
時に、不安で心臓が張り裂けそうになる場面にも出くわすものなのだと、次の瞬間まで思い出せなかった。
「リコ……?」
私たちの横から、声が聞こえた。
リコ、とは、獅子神さんの下の名前。
私たちのメンバーの中で、獅子神さんをそう呼ぶ人は一人もいない。
じゃあ、誰……?
声のした方を見ると――違う高校の制服を来たひとりの女子生徒が、そこにいた。
ショートヘアの金髪。
黄色い生地に黒い斑模様のデザインのシュシュを手首につけている。
そして、夕暮れ時の風がひとつ吹き、その子が私に似た桃の香りを持っていることを伝えて来た。
「……
ときこ。
獅子神さんの口から、聞いた事のない名前が出た。
「……散々アタシの匂い嗅いでた次は……その子の匂い嗅いでんの……?」
桃黄子と呼ばれたその人が、眉間に皺を寄せて放った言葉で、私は思い出した。
獅子神さんが中学時代、匂いを嗅ぎすぎた事が切っ掛けで関係を壊してしまった子のことを。
あなたは、今まで修羅場を体験したことがあるだろうか。
私、兎佐田桃香は。
今、おそらく、人生初の――修羅場である。
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