第7話 最高の嘘は、真実の中に隠されている
50年前、初めてエーテルが詰まった結晶を手に取った人間は、どんな気持ちだったんだろうな。珍妙な鉱石だと思って手のひらで転がしていたかもしれないし、ダイヤモンドと見間違えて一攫千金を夢見ていたかもしれない。けど、きっとこうは思わなかったはずだ──そのキラキラ光る小さな石が、たった数十年のうちに世界の運命を根底から覆すなんてさ。
人類の誇りだった文明を破壊寸前まで追い込みつつ、一方で戦火の跡地に建てられたとある小さな町を、巨大なメガシティにまで押し上げることになるとは──
飢えと寒さに震える冬のある日、裸足のまま長蛇の列を進み、冷たい敷居をまたいだその瞬間、隣の椅子から突然、叫び声が上がった。
「ちょ、ちょっと見て!この子の適応値(エネルギー)……信じられないわ!」
「何をそんなに騒いで──んがッ!?マジかよこれ……今まで見たことないレベルだぞ。マシンの故障じゃねーのか!?」
「フン、馬鹿言え。俺たちが必死に難民の中から見つけ出そうとしてたのは、まさにこういう『金の卵』だ!このガキは……いや、間違いなくこの都市の未来を担う存在になるだろう!」
白衣を着てメガネをかけた見知らぬ大人が、興奮しながら僕の前で両腕を広げた。
「ようこそ、坊や……いや、これからは『未来のヒーロー』とでも呼ぼうか。希望と自由に満ちた『世都(ホープキャッスル)』に、ようこそ!」
「う、うん……」
手渡されたホットココアとドーナツを受け取りながら、ポカーンとしてる僕。何が起きてるのか全然わかってなかったけど、ひとつだけ確信があった──さっき光ってた謎の『門』を通り抜けたおかげで、あの狭苦しい通路に詰め込まれた他の難民たちと一緒にいなくて済んだってこと。
でも──
後ろにいた僕の遊び仲間たちは、どうやらそうはいかなかったみたいだ。
「不合格だ……おい、そっちは通れない。とっとと失せろ」
「お、お願いですっ!もう一度だけチャンスをくださいっ、なんでライクは良くて、僕はダメなんですかっ!?」
「はあ?エーテルに適応できない役立たずに用はねーよ。ヴィリス総督がここに入れてやってるだけでありがたく思え、調子乗んなよガキが」
「た、たのむよ……テストさえ通れば──」
彼が言い終わる前に、さっき僕に優しくおやつをくれたスタッフさんが、彼を容赦なく蹴り飛ばして群衆の中へ放り込んだ。その笑みは、侮蔑に満ちたものだった。
「ねえ……彼も一緒にじゃダメなの?あの子……僕の友達なんだ……」
手を引かれて進みながら、僕は何度も振り返った。人混みに埋もれていく友達の姿を見て、いてもたってもいられず、勇気を振り絞って尋ねた。
「友達?いやいや、君とは全然違うよ。あいつは価値のない不適応者(ロスト)。でも君は……おめでとう。君は数少ない『エーテルに融合するために生まれた』エリートの一人さ。これからはこの世都(ホープキャッスル)を守るヒーローになる。そして、絶対に忘れるな──」
白衣の男は足を止め、しゃがみ込み、僕の目線に合わせて顔を近づけてきた。
「今この瞬間から、君に友達なんかできなくなる。ヒーローに、友達なんていらない。ヒーローは、永遠に孤独なんだから」
その時、僕がどう返事をしたのかは覚えていない。けど今でもはっきり記憶してる──男が目を細めて笑ったその顔の下、蜘蛛の巣みたいに浮かんだ黒い血管が、ゾッとするほど不気味だったってことだけは──。
…………。
「……ふぅ……ふぅ……」
「おい……おいっ!聞こえてるか!?いつまで寝てるつもりだ!?」
──ドンッ!
「うぐっ……」
目の前の机がバンッと叩かれ、俺はようやく重たいまぶたをゆっくり持ち上げた。目に飛び込んできたのは、容赦ないライトの直撃と、怒りの声だった。
「ふあぁ~……今何時だっけ?そろそろ夕御飯の時間?」
「ふざけんなよ、厚かましいにも程がある!お前、さっき俺の夕御飯を丸ごと平らげたばかりだろ!医者から聞いたぞ、今のお前はただの疲労と軽傷だけで、別に病人でもなんでもない、いつまで弱ってるフリを続けるつもりだっ!」
──ドンッ!
そう叫びながら、目の前の軍服姿の野郎……いや、見た目だけは立派な治安官様がまた机を叩いた。おいおい、アンタは人差し指を突きつけるのが得意な、あのトゲトゲ頭の弁護士か何か?
「よーく聞け、ここは療養所じゃねえ、治安局の取調室だ!ここにいるってことは、つまり『容疑者』ってわけだ。ふざけたマネは控えろ!」
「……ちっ、そんな怒んなよ。うぅ、背中が痛ぇ~」
俺は硬い金属椅子に背中を預けて、うーんと背伸びした。
骨がバキバキ鳴ってるし、どうやら寝相が最悪だったみたいだ。夢にまであの男が出てくるとか……あー、早く帰りてぇ……。
白くて味気ないこの部屋を見回しながら、自分のボロいけどそこそこ快適なベッドのことを思い出していた。
「治安官様よ、俺みたいな小市民が容疑者なんて、ありえないって思わない?信用情報とかちゃんと調べたでしょ?」
「……言われなくても、もちろんこっちも調査済みだ。ライク・ソイドル、三十歳、独身。某建設会社に勤務中、ここ6年間に前科は一切なし。履歴は……このコップの水くらいクリーンだな」
「ははっ、ありがと……って、独身のくだりは余計だけど?」
「とぼけるつもりか?俺が言ってるのは『6年間』だ。それ以前の記録がまるっと空白。明らかに誰かが意図的に改竄されている。6年前のお前、一体何をしていた?」
……ちっ、この人ただの顔が怖い野郎じゃなかったか。やっぱ治安官ってのはダテじゃねぇな。
「人生探しとか、反抗期とか……まあ、いろいろな可能性があるだろ?『疑わしきは罰する』ってのは感心しないな」
「言いたくないってか?フン、好きにしろ……だが先に答えてもらおうか。あの二人の異変者(イグニス)は、どうやって死んだ?」
「は?そんなの当事者のヒーローちゃんに聞いた方が早くない?つーか、あの子今どうしてんの?」
「それが今お前の気にすべきことか?……まあいい、本人は無事だった」
おいおい……マジかよ?
あんなズタボロになってたのに『無事』って……あの子、運がいいのか身体が頑丈なのか……。
運の尽きた俺とはまるで正反対だよな……。
「ただし、あの娘はどうも記憶が曖昧みたいで。口ぶりからして、何か隠してる感じもあった」
「ふーん?だったら彼女を取り調べればいいだろ。俺を拘束してる意味あんの?……ああ、なるほどね。あれでしょ、群星協会(スターリンク)と治安局の『互いに干渉しない』取り決めってヤツか」
「……その話、どこで聞いた」
そう俺が言った瞬間、もともと仏頂面だった男の表情がさらに険しくなり、握りしめた拳の指からはミシミシと嫌な音が響いた。
「別に珍しい話じゃねぇだろ。もはや市民の間じゃ常識みたいなもんだ」
何しろ、治安局と群星協会(スターリンク)の仲が悪いなんてのは昔からの話でな。
理事会の手前、表向きこそ『協力関係』ってことになってるけど、実際のところ、裏では誰の目にも明らかな犬猿の仲ってやつだ。
一方は、街の誕生と同時に存在してきたいわば伝統的な組織——治安局。
主に軍人や警官たちで構成され、外敵の防衛と都市内の治安維持を担っている。
もう一方は、あの『城市大戦(ワールドウォー)』の後に、数多くのヒーローたちが結集して生まれた新興勢力——群星協会(スターリンク)。
動きの早さと対応力では治安局なんて足元にも及ばねぇ、市民の間でも高い支持を得ている。
この『差』が広がるにつれ、治安局はどんどん影を薄くしていった。
……特に最近じゃ、『理事会はもう形骸化しつづける治安局を切り捨てて、群星協会(スターリンク)に取って代わらせようとしてる』なんて噂まで出る始末だ。
そりゃあ、連中がヒーローに勝てそうなチャンスを、どんな小さなものでも見逃したくないのも無理はない。
「あの指名手配されてる陣線(パラダイス)幹部の連中、Cランクの彼女一人で太刀打ちできる相手じゃない……どう考えても、そこには何か裏があるはずだ……そして、あの場にいたのは他でもない、お前だけだ」
やれやれ、話がだんだん面倒になってきたな……でも逆にチャンスかもしれない。
『最高な嘘は、真実の中にこそ隠すべき──』ってな。
「いや、もう一人いたぜ。お前らが到着したときには、もう『彼女』は姿を消してたけどな」
「なに?もう一人いた?」
ちょっと目が光ったな、こりゃ食いついてきたぞ。
「たぶん、ヒーローだと思う。小柄で、杖を持ってて、妙な猫耳と尾がついてた、外見はまるで──」
「まるで、なんだ?」
「魔法少女みたいだった」
「ま、魔法少女っ!?」
「廊下に残ってる焦げ跡、あるだろ?あれ、あの子の仕業だよ」
「ふむ……なるほどな」
男は考え込んだ様子でしばらく黙っていたが、すぐに顔を上げ、今度は鋭い目で俺を見据えた。
「確かに、現場の状況はお前の話とほぼ一致している。説明も、一応は筋が通っているように『見える』……だがな!」
言い終わるが早いか、男はバンッと机を叩き、勢いよく立ち上がった。
そのまま足早に目の前までやってくると、ポケットに突っ込んでいた俺の手首を、無理やり引っ張り出した。
「見ろ、これは何だ?ヒーロー降臨端末じゃねえか……なんでお前なんかが、こんなモン持ってる?さあ、どんな言い訳をするつもりだ?!」
「いや~、話すと長くなるけどな……あれは俺が初めて家賃請求書を受け取った日のことで──」
「手短に話せ!お前のくだらない話に、付き合ってる暇はない!」
──バンッ!
「はいはい、わかったって。要するに──俺がこれを持ってれば、あのヒーローちゃんもそう簡単には逃げられないだろ?」
「……どういう意味だ、それは?」
不機嫌そうな男は、まさか俺がそんな返しをするとは思っていなかったらしく、得意げだった表情が徐々に困惑に染まっていく。
「おいおい、そこまで説明させんのか?ご立派なお偉いさんよ。俺みたいな貯金もろくにない社畜にとってさ、後始末してくれる人がいなきゃ、家の修理費だけで残りの人生が吹っ飛ぶんだぞ?だからこれは、スムーズに交渉するための『保険』にすぎないんだよ」
「お前……たかがそんな理由で、ヒーローにとって命同然の端末を持ち去ったのか!?なんて自己中心的な奴だ……!」
「へへっ、人間の欲望ナメんなよ、治安官様。それにさ──」
「まだ何か企んでるのか?」
「上手くいけば、かわいい子ちゃんをゲットするチャンスになるかもしれないだろ?」
「……クズが」
男は顔をしかめ、俺の腕をパッと放した。そしてすぐさま懐からハンカチを取り出し、まるで汚物でも触ったかのように、指先を入念に拭き始めた。
まあ、あいつが本気になれば、この場で俺から端末を奪い取ることだってできただろう。
……けど、『互いに干渉しない』の取り決めがある限り、ヒーローの持ち物に不用意に手を出すというリスクを、あいつらが無視できるわけがない。
後から噂になれば、間違いなく騒ぎになるだろうな。
──コンコンコンッ
その時、不意にドアをノックする音が響いた。
軍服姿の若い女性が扉を開けて入ってきた途端、それまで苦々しい顔をしていた男の表情が、まるで霧が晴れたように一気に明るくなった。
「いいタイミングだ、どうやら結果が出たようだな。さて、お前がシロかクロか、もうすぐハッキリするってわけだ」
「いやぁ、それは楽しみだなぁ」
「フン、強がっていられるのも今のうちだ」
男は俺を見下すように一瞥し、不敵な笑みを浮かべたまま足早に歩み寄ってくる。
客人でも出迎えるかのように両手を広げながら、気分良さげに声を上げる。
「ちょうどいいところに来たな、ヴィオラ!さっそく、そいつのスキャン結果を見せてくれ」
「はっ!ローラント長官、検査結果は出ました。ただ……」
「なんだ?回りくどいのはお前らしくもないな、はっきり言え」
「承知しております、ですが……彼は――」
凛々しくて綺麗な女副官は、複雑な表情でこちらをちらっと見てから、男のもとへと近づき、俺には聞き取れないほど小さな声で、何かを耳打ちした……
「……なっ、なんだと!?」
その内容がよっぽど衝撃的だったのか、男の顔はみるみる青ざめ……
「そんなバカなっ!」
「ローラント長官っ!?」
驚いて声を上げる中、男は副官の手からレポートをひったくり、目をカッと見開いて、食い入るように読み始めた。
そして読み進めるごとに、どんどん顔が険しくなっていった。
「どうりでお前が妙に落ち着いてたわけだ……最初から、結果がこうなるって分かってたんだろ?!」
歯ぎしりしながら睨んできたが、俺はゆったりと椅子に座ったまま、肩をすくめてやった。
「ご冗談を、治安官様。そんな先のことがわかるわけないじゃないですか」
「笑わせるな……お前が本当に無実だと言うなら、この世都(ホープキャッスル)に『まともな人間』なんて一人もいねぇ!」
そう吐き捨てるように言い放ち、彼は手に持っていたレポートを俺の目の前に叩きつけるように投げつけた。
その目は、まるで俺の全身を貫かんばかりに睨みつけてくる。
「……エーテル侵蝕度はほぼゼロだ。その意味、分かってるのか?生まれたばかりの赤ん坊ですら、何かからの影響は受けるってのに……お前は一体、何者だ?!」
「ただの、朝から晩まで働いてる社畜の一人ですよ。それに……もうこれ以上、答える必要はないでしょ?スキャンで俺が異変者(イグニス)でも犯罪者でもないと証明された以上、『市民としての協力義務』ってやつも、ここで終わりだろ?」
「……ぐっ……」
「それとも……後で押しかけてくるマスコミの前で、『不当な尋問を受けました』って涙ながらに訴えた方がいいかな?」
「ぐ……頼むから……ここでの取調べの内容は、絶対に口外しないでくれ!くそっ……」
ギリッ、と拳を固く握りしめた男は、苛立ちをぶつけるように机を殴り、そのまま悔しそうに顔を背けた。
あまりにも魂が抜けたような姿を見て、思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「もちろんさ、これからも仲良くやってこーぜ?治・安・官・さ・ま」
俺は椅子から立ち上がり、気持ちよく伸びをひとつした。
ついでに、美人副官の姿を脳裏に焼き付けたあと、満足げにくるっと背を向けて、手を振りながらドアへと歩き出した。
が……その背中に、あの男のまだ諦めきれない声が再び聞こえた。
「お前が言ってた、あの『魔法少女』──必ず俺が見つけ出してみせる!」
「ほーん、頑張って」
俺はほんの少しだけ足を止め、彼のまっすぐな眼差しとぶつかり合いながら、意味ありげな微笑みをひとつ浮かべ……あの重たいドアを後ろ手で静かに閉めた。
「ふぅ、ふぅ……やっと帰ってきたか……あの治安官、なかなか手強かったな」
治安局を出た瞬間から、俺は全力で走り出した。そして、再び目の前に広がるなじみのある建物を見上げたとき、心には複雑な気持ちが湧いてきた。
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