第8話 舞踏会の改稿――悪役の脚本を塗り替えて

 夜会の招待状は、赤い封蝋に公爵家の鷹の紋を押して届いた。

 “王子殿下と婚約者リリアナの披露を兼ねる”――それは原作で、ラスボス王子がヒロインを辱め、主人公アレンの怒りを爆発させる大舞台だった。

 だが、私は知っている。あれは筋書きに過ぎない。ここを改稿しなければ、推しの未来も、世界の修正も、私自身も呑まれてしまう。


舞踏会前夜の策


 王城の執務室。机の上に並ぶのは、舞踏会の進行表と席次図。

 クロエが椅子に腰掛け、脚を組みながら笑った。

 「殿下、舞踏会は“脚本”です。挨拶、乾杯、舞踏、余興――すべて決められていて、観客(貴族)がそれを楽しむ。つまり、筋書きに割り込むには余興が一番」

 「余興か」

 「歌でも劇でもいい。けれど、殿下が得意なのは“場を作る”ことでしょう?」


 私は地図をめくるように考える。

 「……舞踏会を“評議の場”に変える。余興は、皆の声を並べる試問だ」


 アレンが前のめりになった。

 「殿下、それでは公爵派の罠に丸ごと飛び込むことになります」

 「罠ごと舞台にする。相手が辱めの台詞を用意するなら、それを観客の前で反転させる」


 リリアナは不安そうに手を胸に当てた。

 「……わたくし、きっと震えてしまいます」

 「震えていい。震えは“生の声”だ。偽物にはできない」

 私は彼女の手を握った。

 「君の声を奪わせない。それを証明する場にする」


宮廷夜会、開幕


 翌夜。

 王宮の大広間は光で満ちていた。百の燭台が煌めき、磨かれた床に衣装の裾が波を描く。

 私は銀髪の王子の姿で、リリアナを伴って入場した。アレンは警護役として影に控え、クロエは楽団の裏で忍んでいる。


 「殿下、ご婚約者のご披露を」

 司会役の侍従が声を張る。


 ――原作なら、ここで私はヒロインを嘲笑う。

 「庶民の小娘が、王家の婚約者にふさわしいか?」

 そう吐き捨て、群衆の前で恥をかかせる筋書き。


 だが私は、リリアナの手を強く取り、観衆に見せつけた。

 「――皆の前で宣言する。彼女は私の誇りだ」


 ざわめきが走る。

 「誇り」――その一言で、原作の台詞は霧散した。


 リリアナは震えていたが、はっきりと観客に向かって微笑んだ。

 「わたくし……皆様の声を聞きたいと思っています。どうか、王家の席に届けてください」


 空気が変わった。貴族たちの目が驚きに見開かれ、侍女たちがざわめく。

 ――悪役イベントは、開幕と同時に改稿された。


公爵派の妨害


 だが、レーベン公爵が黙っているはずもない。

 「殿下はお優しい。だが優しさは時に国を弱らせる」

 彼は杯を掲げ、声を張った。

 「庶民の声を持ち込めば、王家は泥に沈む! 殿下は“女の声”に溺れておられるのだ!」


 原作通りの台詞。

 群衆からどよめき。ここでヒロインが泣き崩れ、主人公が怒りに燃える――それが筋書き。


 私は一歩前に出て、笑った。

 「そうだ、私は溺れている。――人の声に」


 沈黙。

 「声に溺れるのは、毒に溺れるよりましだ。沈むなら、人と一緒に沈む。浮かぶなら、人と一緒に浮かぶ。それが王家だ」


 観衆の間に、微かな笑いと拍手が混じった。

 レーベンの顔が歪む。

 「詭弁を……!」


世界の修正力、乱入


 その瞬間、大広間の天井がひび割れた。

 赤い筋が走り、紙片が舞い降りる。

 《庶民は黙れ》《女は舞台を降りろ》《悪役は悪役に戻れ》――原作の章句だ。


 「またか……!」

 アレンが剣を抜き、クロエが袖の刃を閃かせる。


 私はリリアナに叫んだ。

 「歌え! 君の声を!」

 「……はい!」


 リリアナの声が響いた。

 「火を分けるよ 小さな手でも――」


 観衆が息を呑む。

 子どもたちが口ずさみ、侍女たちが涙を浮かべ、兵士たちが拍を打つ。

 歌が広がる。


 紙片の言葉は、歌声にかき消されて燃え尽きていく。

 大広間に残ったのは、人の声だけ。


勝利と余韻


 修正力は退いた。

 私は杯を掲げた。

 「――これが、私の婚約者だ。声を持つ者だ」


 観衆から大きな拍手。

 レーベンの顔は引きつり、しかし引き下がるしかなかった。


 夜会は混乱の中で続いたが、流れは変わった。

 悪役の脚本は、完全に改稿されたのだ。


 私はアレンと視線を交わし、リリアナの手を強く握った。

 ――推しを救う道は、確かに前に伸びている。

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