第12話「影の余白、声を埋める者」
広場の声は、もう鐘に頼らない。
子どもたちが「ひとつ」と唱え、女たちが「ふたつ」で受け、若い男たちが「みっつ」と繋ぐ。
声の拍がぐるりと回ってくるだけで、村は安心した。
だが俺には、まだ耳の奥に沈殿する余白があった。
無拍でほどいたはずの結び目。その跡が、影のように耳にまとわりついている。
「リク」
ミナが袖を引く。子どもたちの輪から少し離れ、俺の顔を覗き込む。
「顔がこわばってる。まだ“拍”を見てるの?」
「……ああ。紐は切った。でも、残り香みたいに余白がある。声で埋めなきゃ、また影に取られる気がする」
言いながら、自分の声が少し震えているのに気づいた。
影は器を通らずとも、余白に棲める。俺自身がその余白になってしまうかもしれない。
◆
その夜の夜警。
輪の外を見張る役に回ったカイの弟が、手拍で「危険なし」の合図を打った。声は出ないが、手の音は確かだった。
だが、彼の手拍の最後に――半拍遅れて、もうひとつ音が響いた。
誰も叩いていない。
空気が、石畳が、勝手に返した音。
俺の背筋が凍った。
「……聞こえたか」
老人は杖を握り直し、短く答えた。「ああ。まだ、余白は残っている」
広場の中央で、老婆が笑った。
「拍を奪う影は器じゃなく、人の中にある。――だから器をほどいても影は死なない」
ヨルグも口を開く。「無拍は境目を切った。だが、境目を切れば、切り口が残る。そこに棲みつくのは、昔から“囁き”と呼ばれていた」
囁き。
拍の外で声を真似、数えに割り込むもの。
◆
翌朝、試みた。
広場に輪を作り、数えの途中でわざと空白を長めに取る。
すると――必ず、その空白に「声」が返ってきた。
人の声ではない。誰の喉も震えていない。
だが確かに、「いつつ」「むっつ」と、遅れた声が紛れ込む。
子どもたちは震え、大人たちは口をつぐみ、広場に緊張が走った。
「これが、“囁き”」老人が言った。
「影は器を失った。今度は声の空白に宿ろうとしている」
俺は拳を握る。「なら、空白を埋めればいい。囁きより先に、俺たちが声を置く」
ミナが強く頷いた。「返拍だけじゃ足りない。**合声(あわせごえ)**を作ろう。二人で同じ拍を言えば、囁きは入る隙がなくなる」
◆
試す。
「ひとつ」
俺とミナが同時に声を合わせる。
「ふたつ」
子どもと老婆が同時に言う。
「みっつ」
若い男と老人が重ねる。
拍は厚みを持ち、輪の中で重奏になった。
囁きは一瞬、迷ったように「よっ……」と欠けた声を漏らし、それきり押し黙った。
影は、器から声へ、声から余白へと逃げ込んでいた。
だが余白を埋める術を、人は手に入れた。
声の重なりは、鐘よりも鈴よりも強い。
俺の胸は熱くなった。
「……これなら、奪われない」
ミナが笑う。「うん。私たちの拍だね」
◆
けれど。
広場の外――塔の影の伸びた先で、別の声が返った。
「ひとつ」
それは、俺たちの輪に合わせるでもなく、外側から並走する声だった。
若く、澄んでいて、どこか懐かしい。
カイの顔が一瞬で凍る。
「……弟の声だ」
声のないはずの弟が、影の奥で数えている。
それは余白に棲む囁きか、あるいは――弟自身の奪われた声なのか。
広場の輪は乱れなかった。
だが、誰もが気づいていた。
影は死んでいない。
次は“奪われた声”として、戻ってきている。
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