辺境追放された俺、実は神々に選ばれた“隠された加護”持ちでした〜のんびり暮らすつもりが、美少女と国々を救うことに〜

妙原奇天/KITEN Myohara

第1話「無能の烙印」

 焚き火の輪から一歩、また一歩、靴底が砂利を押した。夜は獣の息のように湿っている。

「――以上だ。エルン、お前は明朝までに荷をまとめろ」

 言い渡したのは勇者レグルス。火影の向こうの金色の瞳は、剣と同じくらい揺れない。彼の左右で、聖女ソラナは唇を噛み、斥候のダリオは露骨に肩をすくめた。

「役割のない者は、隊には置けない」

 最後に淡々と告げたのは魔導師エイベルだ。紙のように薄い声。

「お前の“草いじり”魔法は、戦果に結びつかない」


 草いじり。そう言われるたび、喉の奥が渋くなる。俺の力は土に触れ、水に触れ、草木がわずかに応える程度のもの。剣も撃てず、癒しも乏しく、派手な火球もない。

 けれど、誰かが食べるパンの麦は増え、干上がった皮袋に落ちた一滴の水は清くなる。俺にとっては、それだけでもじゅうぶん魔法だった。


「じゃあな、エルン」

 ダリオが軽く手を振った。レグルスは火に薪をくべ、視線をくれない。ソラナだけが一歩寄り、そっと掌に銀貨を二枚忍ばせた。

「……ごめんなさい。わたし、止められなかった」

「いいよ」

 言葉は乾いて出た。誰も悪役になろうとはしていない。ただ、ここでは“役立たず”が要らない、それだけだ。


 荷は少ない。替えのシャツ、砥石、折りたたみの鍬。火の粉が夜空に昇り、星の淡い道に紛れていく。

「気をつけろ」

 レグルスが短く言った。

「辺境は獣が出る。夜明けまでは外に出るな」

 俺は頷いた。けれど、火の輪の外にもう俺の居場所はない。

 背を向けると、胸の奥で小さな音がした――水面に落ちる、最初の雨粒の音に似ていた。


 ――エルン。

 誰かが呼んだ。男でも女でもない、年齢も定かでない声。

 振り返っても誰もいない。焚き火の向こうでレグルスが剣を拭き、ソラナは祈りを続けている。

 耳鳴りか、と首を振る。けれど歩き出すと、声はもう一度来た。

 ――余白を、残してある。


 左掌が熱い。手袋を外すと、皮膚の下に薄い白い線が浮かび上がっていた。輪郭は不揃いで、細い書きかけの円のようにも、ページの余白のようにも見える。

「何だ、これ」

 指でなぞると、熱は少し和らぎ、代わりに指先が湿った。夜露かと思ったが、水気は掌そのものから滲んでいる。

 ふいに、焚き火の匂いの奥に、土の匂いが濃くなった。雨が降る前の匂い――生きものが息を潜め、芽がこっそり伸びる前の匂いだ。


 夜の森は、街道の石畳が終わるとすぐ深くなる。切り株に腰を下ろし、空を仰いだ。星が冷たい。

 俺は掌の白線にそっと問いかけてみた。

「……聞こえるのか?」

 答えはない。ただ、手のひらの端で、白が細く伸び、書きかけの円がほんのわずかにつながった。


 夜明け前、東の端が薄く明るむころ、獣の匂いが風に混じった。低い唸り。足音は三つ。俺は鍬の柄を握り直し、深く息を吸う。

 出会い頭の牙、石畳に跳ねる爪音。鍬の刃が火花を散らし、手首が痺れる。二撃目は受けず、足元の土を掬うようにして獣の眼に抉り投げた。

 土は乾いていたはずなのに、指の間から零れたそれは湿ってまとまり、獣の顔に貼りついた。呻き声。

 その隙に、俺は背を向けて走った。森の抜ける先に灯りが一つ、揺れている。


 辿り着いたのは、崩れかけた木柵と、干上がった井戸がある小さな集落だった。夜番の老人が目を丸くする。

「旅人か? こんな時間に、よう森を抜けたの」

「……水を、少し。払うものはある」

 俺が銀貨の片方を示すと、老人は首を振った。

「金じゃどうにもならんよ。井戸が死んで三旬だ」

 たらいに溜めた雨水は濁っていて、子どもでも顔をしかめるだろう。


 井戸へ近づくと、掌の白線がまた熱を帯びた。

 石組みの縁に手を置く。冷たい。吸い上げの桶は底を擦るだけで、音はからからと虚しい。

 俺は息を吐き、掌を井戸口の内側に伏せた。

 ――余白を、満たせ。

 声は風のすき間から来る。俺は片手で石組みをゆっくり撫でた。水が通ったはずの暗い喉の奥を、思い起こすように。

 白線が広がり、掌の中心に小さな渦巻きが描かれた。次の瞬間、井戸の底から冷気が上がってくる。湿り気の塊、とも言うべきものが、喉を通って胸に入ってくる錯覚。


 ぽたり。

 音がした。

 老人が肩を跳ねさせ、俺は身を乗り出した。

 ぽたり、ぽたり。

 連続する音。濁り水の匂いの向こうから、もっと深い、地下の石の匂いが押し返してくる。

 桶を下ろす。縄が湿る。底を叩く感触が、泥ではなく、水だ。

 引き上げた桶は、透明だった。夜明けの色が映って、淡い金に見える。


「……水が、帰ってきた」

 老人の声が震えた。

 集落はすぐさま騒ぎになった。女たちが瓶を抱えて走り、子どもらが跳ね、犬が遠吠えした。

 俺は少し離れて座り込んだ。掌の白線は静まったが、今度は左胸の内側で、同じ形の熱が小さく灯っている。


「おぬし、名は?」

 老人が、しわの深い顔で覗き込んだ。

「エルン」

「エルンよ。礼を言う。わしらはアッシュの村だ。水が出なんだら、春は越せんかった」

「俺は……通りがかりだ。明るくなったら発つ」

「待て」

 老人は首を振った。

「おぬしのような手が、今は一本でも欲しい。大人は畑に、子は病に倒れがちだ。ここに薬草屋の小屋があったが、主は昨秋に死んだ。余白ができた」

 老人はそう言って、寂しげに笑った。

 余白――耳奥の声と、同じ語だ。


 視線の先に、苔むした小屋があった。窓は割れ、棚は斜めに傾いている。壁に釘跡が並び、瓶を掛けていたのだろう空間がぽっかりと残る。

 俺の掌の白線が、そこに薄く重なる。

 ここを埋めろ、と言われた気がした。


 午前、俺は小屋の掃除をした。壊れた棚を外し、落葉を掻き、窓に板を打つ。畑は石が多いが、石は通気を生む。畝を細く刻み、井戸水を薄く流す。

 ――満たせ。

 掌の白が指先に流れ、硬い土がほどけていく。草の種が入った古い袋を見つけ、撒いた。酸っぱい匂いのする瓶に鼻を近づけると、胸の奥の熱がそれを拒んだ。腐っている。捨てた。

 昼、日陰でパンを齧っていると、影が落ちた。


「さっきの水、人がやったとは思えないね」

 影の主は、背に大きな剣を負った少女だった。傷だらけの革鎧。栗色の髪は汗で頬に張り付き、瞳は琥珀色でまっすぐだ。

「村の外で倒れてた。霧魔に噛まれてる」

 少女は肩を押さえ、血のにじむ包帯を示した。

「治療は?」

「祈祷師がいない。薬草屋も死んだ」

 俺は頷き、彼女を小屋の簡易寝台に座らせた。包帯を解くと、歯形が紫黒く広がり、熱がこもっている。

 井戸水を汲み、薄い塩と、畑の端で見つけた青い葉をすり潰す。掌の白線が熱を帯び、器に落ちた水がわずかに光った。

「痛む。噛まれた毒は血を濁らせ、心を曇らせる。けど、道はある」

 俺は彼女の傷にゆっくりと湿布を置き、手をかざした。

 ――路を、通せ。

 白い線が細く繋がり、背骨の奥に冷たい風が通る感覚。少女の呼吸が少しずつ深くなった。


「……楽になった」

 額の汗が引き、彼女は細く息を吐いた。

「名は?」

「フィリス。賞金首を追ってた。けど霧に足を取られて、森で迷った」

 彼女は横目で俺を測るように見て、言った。

「あんた、ただ者じゃない」

「俺は――」

 言いかけて、黙る。

 無能。昨日までの名札はそうだった。

「エルン。余白を埋める、雑用係みたいなもんだ」

「ふうん。いい名乗りだね」

 フィリスは笑い、再び目を閉じた。眠りは浅いが、穏やかだ。


 夕刻、村の外れに黒い霧が滲んだ。狼煙が上がる。老人が棒を突き立てて走る。

「また来たか……!」

 霧魔は、乾いた土地にこそ湧く。足もとはやわく、肺は重い。

 俺は掌を見た。白い線は、朝よりもはっきりしている。

「井戸のときのように、路を作ればいい」

 村の手前、道の脇に浅い溝を切る。井戸水を流し、畑の畝に繋げ、溝をさらに街道へ延ばす。

 水は細い糸だが、糸は布になる。布は風を受ける。

 ――風路。

 耳奥の声が静かに名前を与える。

 風が走り、霧の縁を撫で、黒い苔をめくり上げていく。霧魔の輪郭が露わになり、斧を構えた村人の腕がためらいなく振り下ろされた。


「押せ!」

 俺は叫び、溝の先に石を積んで小さな堰を作る。

 風は水の上をよく走る。霧は風に弱い。

 霧魔は爪を振るったが、足元がとられ、転げる。

 フィリスが寝台から起き上がり、剣を引いた。

 彼女の一太刀は、細い風の道をなぞるように正確で、霧魔の首をすべらせた。黒い雫が地に落ち、煙になって消える。


 夕焼けが畑の葉脈を赤く染めたころ、村は一度目の勝利の喚声に包まれた。

 老人が俺の肩を掴み、泣き笑いの顔を寄せる。

「助かった、助かったぞ、エルン!」

 俺は頷き、少しだけ笑った。

 掌の白い線は、ようやく完全な円になっていた。細い、けれど確かな輪。


 夜、廃祠に灯を入れる。祭壇の上にひび割れた石板があり、欠けている。

 俺はその余白に掌を重ねた。

 ――満たせ。

 白い輪が石板に滲み、一瞬、古い文字が光った。読めないはずの線が、意味を帯びる。

 余白に満たす者、路を繋ぐ者。

 声は静かに、名を与えた。

「……神々の、余白」

 口の中で転がすと、言葉は驚くほど馴染んだ。

 俺は祭壇の前に座り、深く息をついた。のんびり暮らす場所が、ようやく見えた気がした。


 外で、乾いた星がまたたいた。

 明日の畝を、どこに切ろう。温室をどう作ろう。市場をどこに置こう。

 考えることは尽きない。けれど、心は軽かった。


 ――追放の烙印は、輪に変わった。

 無能の名札は、余白を埋める役目に変わった。

 俺は、ここで生きる。


(第1話 了)

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