第17話 お兄ちゃん

 恋は人を美しくすると同時に、盲目もうもくにもする――と聞いたことがある。

 目の前で固まって、どうしていいかわからずにいる少女を見て、僕はその言葉は案外、本当なのかもしれないと思った。


「立ってるのもなんだし、とりあえず席に座ろうか。飲み物は? タピオカミルクティーでいい?」


「えっ、あ、はい。お願いします」


 僕がリオンに声をかけると、彼女はおずおずと、天城の隣の席に腰を下ろした。

 視線は斜めにそらしながら、落ち着かない様子でちらちらと青年を見ている。

 僕が差し出したタピオカミルクティーを受け取ると、彼女はそれを両手でぎゅっと握りしめ、慎重にストローをくわえた。

 その飲み方には、以前のような勢いはなく――何かを気にしているようだった。


 挨拶を無視された田中は、苦笑して肩をすくめると、コーヒーを一口すすりながら、興味深そうに二人を眺めていた。

 僕もカウンターの向こうでコップを拭くふりをしながら、つい二人の様子に意識を奪われてしまう。


「リオン。君が入院してたって話、聞いてたよ。何度かお見舞いに行こうと思ったんだけど、結局行けなくて。……ごめん。体のほうは、もう平気?」


「う、うん。大丈夫です」


「そうか」


 天城は、きりりとした眉をわずかに寄せ、困ったような――それでいてどこか安心したような笑みを浮かべた。


「元気なら、よかった」


「……」


 リオンは数秒ほど、ぽかんと青年の笑顔を見つめていたが、はっと我に返ると、慌てて視線を逸らし、再びタピオカミルクティーをすすり始めた。

 その隙に、天城はそっと彼女の頭に手を置く。


「小さかったリオンが、今じゃ立派な魔法少女になって……なんだか感慨深いよ」


「……小さくないもん」


 リオンは小さな声で反論する。

 その様子に、天城は思わず吹き出した。


「ごめんごめん。もう立派なレディだよね。失礼なこと言っちゃった。 でも、なかなか印象って変えられなくて。 俺の中では、まだ“おままごと”ばかりしてた頃のリオンのままなんだ」


「そ、そんな昔の話を持ち出さないでください。恥ずかしいです……」


 口ではそう言いながらも、リオンの唇の端はわずかに緩み、天城の手を振り払うことも、逃げることもなかった。


「ははっ。つい余計なことまで言っちゃったな」


 天城はカウンターに肘をつき、涼やかな瞳でリオンを見つめながら、柔らかく笑った。


「君は、俺にとって『妹』みたいな大切な存在なんだ。嬉しくて、ついね」


「っ」


 天城の言葉が終わると同時に、僕は再び少女の心拍数の上昇を検知した。

 リオンは美しい眉を寄せ、そっと下唇を噛む。


 まるで夢の泡が弾けたかのように、さっきまで喜びに満ちていた表情が、悔しさと切なさに染まっていく。

 大切な宝物を奪われた子どものように――少女は、歪んだ表情を浮かべた。


 だが、それもほんの一瞬のこと。


「……はい。私も悠馬お兄ちゃんにお会いするのは久しぶりで……とても嬉しいです」


 短い沈黙。店の中には、古い柱時計のカチ、カチという音だけが響いていた。


「あの、悠馬お兄ちゃん」


「ん?」


「今でも……あの人のことを、記録きろくしていらっしゃるんですか」


「うん、そうだよ」


「……そう、ですか」


 リオンはうつむき、数秒の沈黙のあと、顔を上げた。

 その唇には、微笑みが浮かんでいる。


「それは……本当に、良いことですね」


 おや、おやおや。

 その笑顔は――僕が何度も練習して身につけた“営業用の笑み”に、よく似ていた。

 けれど天城は気づく様子もなく、穏やかにコーヒーを一口飲むと、そっとカメラの入ったリュックへと手を伸ばした。


「うん。続けられるっていうのは、ありがたいことだよ」


「……ゴホン」


 それまで静かに様子を見ていた田中が、突然咳払いをした。

 リオンはその音に驚いて目を見開き、肩を小さく震わせる。

 そして我に返ったように、慌ててタピオカミルクティーを吸い始めた。


 田中は苦笑しながら、天城に視線を向ける。


「そういえば、ちょっと気になってたんだけどさ。この辺で取材してるって言ってたろ? どんなテーマなんだ?」


「ああ、その件についてはですね。最近うちのチャンネルでは、魔法少女たちの“敵”――つまり、ヴィランの研究と分析をテーマにしてるんです。俺が興味を持っているのは、名を持つ歴戦の怪人や、いわゆる異端ヘレティックと呼ばれる存在の情報ですね。この辺りに来たのも、ちょっとした噂を聞いたからなんです。この界隈に、有名な異端が出没しているって」


 その言葉を聞いた瞬間、リオンの体が明らかにこわばった。

 一方、田中は目を細める。


「ほぉ……そりゃ興味深い話だねぇ。で? そいつはどの異端だい?」


 天城は真剣な表情でうなずき、バッグから小さなノートを取り出した。それを開き、ある一行を指さす。


「ええ。情報と最近の記録を照らし合わせた結果――この一帯を徘徊している高危険度の異端ヘレティックは、『心喰いハートイーター』です」

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