第11話 初めての保護者会

~ 教室の前に並ぶ大人たち。ひとりの教師として立つ、その瞬間 ~



 四月の第二週、金曜日。

 初めての保護者会の日がやってきた。

 前夜から胸がざわざわして眠れず、朝は胃の奥が重い。

 非常勤だったころは保護者会の補助に回っただけで、話をしたことはない。今日、初めて一人の担任として前に立つのだ。


 職員室ではベテランの小谷が冗談めかして言った。

「大丈夫だ。最初は誰でも噛む」

 彩花も微笑む。

「完璧じゃなくていいですよ。保護者が聞きたいのは“先生がどんな人か”ですから」

 その言葉に少し救われるが、緊張は消えない。


 午後、授業が終わり子どもたちを下校させたあと、教室の机を整え、椅子を後ろに並べる。黒板の端には「ようこそ 四年二組 保護者会」と書いた。チョークの粉が指に付くたび、心臓が速くなる。


 やがて廊下から足音と話し声が近づいてきた。

 扉が開き、保護者たちが一人、また一人と入ってくる。

 母親だけでなく父親の姿もちらほら見える。

 ――これが、僕のクラスを支える大人たち。

 胸の奥がざわつく。


 定刻になり、彩花が後ろの席に座って「頑張って」と目で合図を送ってくれた。

 僕は深呼吸をして立ち上がる。


「本日はお忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。四年二組担任の佐久間です」


 自分の声が少し震えているのがわかる。

 けれど、目の前の十数人の大人たちは静かにこちらを見ている。

 僕は用意した資料を手に取り、順番に話し始めた。


 最初に自己紹介をした。

 「今年から正規採用された新任であること」「以前は広告業界で働いていたこと」「子どもの興味を引き出す授業を目指していること」。

 意外にも数名が微笑んだ。ある父親が小さくうなずいているのが見えた。


 次に学級経営の方針を話す。

「子ども一人ひとりを尊重することを軸に、安心して学び合えるクラスを作りたいと考えています」

 そう言うと、自分の声が少しずつ落ち着いてきたのがわかる。

 “尊重”――先週の夜に決めた、自分の軸をそのまま言葉にした。


 続けて、学習の進め方やICT活用の方針、宿題のルール、連絡帳の使い方を説明した。

 要所でプロジェクターを使ってスライドを映すと、何人かが感心したようにうなずいていた。

 「教室の子どもたちが挿絵から自由に考えを出した例」を写真で見せると、温かい笑い声が起きた。

 ――よし、伝わっている。


 質疑応答の時間になった。

 最初は誰も手を挙げなかったが、やがて一人の母親が口を開いた。

「大翔の母です。ICT授業、とても面白そうだと思いました。うちの子も昨日楽しそうに話してました。ただ、スクリーンを使うとき目が悪くならないか少し心配で……」

 心臓が一瞬ドキリとしたが、落ち着いて答える。

「ご心配ありがとうございます。長時間は使わず、発表や話し合いを中心にして、目の負担が少ないよう配慮します」

 母親は安心したようにうなずいた。


 次に別の保護者が言った。

「水野の母です。うちの子、休み時間に友達とトラブルがあったと聞きましたが……先生の方でどんな対応をしてくださったか知りたいです」

 少し息をのみながらも、正直に話した。

「先週、筆箱の件でトラブルがありました。すぐに二人を分け、双方の話を聞き、謝罪と約束を確認しました。今後はクラス全体でも物の扱いについて話し合う予定です」

 母親は「ありがとうございます」とだけ言った。表情はやや硬かったが、拒絶ではない。


 他にも宿題の量やタブレット持ち帰りの相談が出たが、彩花がフォローを入れてくれながら、なんとか答え切った。


 会が終わるころ、緊張で背中がじっとりと汗ばんでいた。

 保護者たちが帰っていく中、大翔の母親が近づいてきた。

「昨日のこと、息子からも聞きました。先生が謝ってくれたって。息子、嬉しそうでした」

 その一言に、胸の奥がじんわりと温かくなった。

「ありがとうございます。これからも安心して通えるように頑張ります」

「はい、期待してます」

 そう言って笑ってくれた。


 最後に彩花が教室に残り、拍手をするように両手を鳴らした。

「デビュー戦、お疲れさまでした!」

「……死ぬかと思いました」

「でも、ちゃんと伝わってましたよ。“尊重”っていう軸、保護者の方々にも響いてました」

 その言葉に肩の力が抜ける。

 小谷も廊下から顔を出し、「よくやったな」と笑った。


 夜、自宅。

 資料の束とスライドを片付けながら、今日の光景を何度も思い返す。

 最初は声が震えていた。でも、自分が大切にしたいことを話し始めた瞬間、少しずつ落ち着いた。

 保護者のまなざしは厳しくも、どこか温かかった。

 子どもを思う親の目と、子どもを導きたい教師の目が交わった瞬間があった気がする。


 ノートにこう書き込む。

「尊重=子どもと親の両方を認めること。

 自分がぶれなければ、対話はできる。」


 机の明かりの下、深く息を吸った。

 まだ道は長い。でも今日、ほんの少し“教師として立てた”気がした。






だが翌週、クラスの空気を揺さぶる大事件が起きる――「いじめ」という言葉が初めて職員室を走ったのだ。

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