第17話 管理者の影

 静寂。

 音という音が吸い込まれたように、世界は白い虚空に包まれていた。


 悠真は目を開ける。

 紅葉の祈りの光に包まれたはずの場所は、見知らぬ廃墟のように歪んでいた。瓦礫の上には破損した机、黒板、そして誰もいない教室の断片。

 だが、それらは現実のものではなかった。触れようとした指先が透け、コードのような光が空中に流れていく。


「ここは……どこだ?」


 彼の声が反響する。

 次の瞬間、背後から聞き慣れた声がした。


「双界の狭間だよ、悠真」


 怜司が立っていた。

 だが、その背中には黒い紋様が走り、首筋に紅葉色の光が脈打っている。まるで何かに“接続”されているかのように。


「怜司……お前、まさか——」

「僕の中に、奴がいる。“管理者(アドミン)”だ」


 怜司の声が震えていた。

 その奥には、確かに怜司自身の意思がまだ残っていたが、どこか遠くから別の声が重なるように響く。


『——観測完了。感情パターン、予測値を超過。対象:悠真=起動因子』


 冷たい電子の声が、空間全体に流れた。


「……やめろ!」悠真が叫ぶ。

「怜司を使って何をしようっていうんだ!」


『彼は選ばれた媒介者(メディウム)。感情の総量を測定し、世界を再構築する役割を担う。あなたの“愛”こそが、破壊の鍵となる』


 悠真の胸に、鋭い痛みが走った。

 紅葉が命を懸けて守った“絆”が、破滅の引き金になる——そんな残酷な運命を信じたくはなかった。


「怜司! お前はお前だ! 誰にも支配されるな!」


 怜司の目がわずかに揺れた。

 その奥で、確かに何かが葛藤している。


「……僕、怖いんだ。紅葉が死んだのも、世界が壊れたのも、全部僕のせいなんじゃないかって……」

「違う! あの時、紅葉は自分で選んだんだ。お前と俺を生かすために!」


 悠真が怜司の手を掴む。

 その瞬間、彼らの間に赤と青の光が走り、空間が軋むような音を立てた。


 廃墟の壁に巨大な眼が浮かび上がる。

 無数のコードが渦巻き、その中心で“管理者”の影が形を取った。


 ——顔はない。

 だが、その“存在”には確かな意志が宿っていた。


『観測結果:融合率97%。拒絶反応を確認。愛は毒であり、希望はノイズ』


 影の声が響くたび、怜司の身体が軋む。

 黒い紋様が胸元まで広がり、彼の呼吸が乱れた。


「やめろ……怜司を離せ!」


 悠真の叫びに呼応するように、紅葉の声が空間の奥から響いた。

 ——“愛は毒じゃない。絆は、祈りを超える”


 紅葉の霊体が光となって現れる。

 その姿は透けていたが、微笑みは確かだった。


「紅葉……!」

「悠真、怜司。今こそ、双界の“リンク”を使って。互いの心を繋げて」


 紅葉の手が二人の胸へと触れる。

 温もりが広がり、黒いコードが崩れ始めた。


「怜司……信じていいか?」

「……ああ、悠真。僕は、君を信じる」


 二人の手が重なり、光が爆ぜた。

 その瞬間、世界が割れた。

 現実とVRの境界が崩壊し、教室の窓から妖怪たちの群れが押し寄せてくる。


 狐面の者たちが悲鳴を上げ、管理者の影が咆哮した。

 ——“愛はエラー。削除する”


 悠真と怜司の身体が光に包まれる。

 それは紅葉の祈りが残した最後の防壁だった。


「紅葉、ありがとう……必ず、終わらせる」

 悠真の声が空に響く。


 管理者の影が再び蠢く。

 そしてその中に、怜司の過去の記憶が映し出される——彼が“選ばれた理由”。

 世界を繋ぐ者としての運命が、ゆっくりと明らかになろうとしていた。



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