第2話 自由対戦の影

 土曜日の午後、学園の特別棟にあるVR演習室は、独特の緊張に包まれていた。


 壁一面に並ぶ端末と透明な隔壁。そこに設置された〈アストラル・システム〉のヘッドギアは、生徒たちをそれぞれ仮想空間へと送り込む。


「よし、行くぞ!」


 クラスごとに編成されたチームが次々とヘッドギアを装着すると沈むように意識が仮想空間へと流れ込むように入っていく。自由対戦とはいえ、実戦さながらの戦闘は、部活動の延長以上の熱気を帯びていた。


 水城悠真は、緊張で喉を渇かせながらも仮想世界へと入り裏界に立っていた。


 隣には黒瀬怜司がいて、いつも通りの笑顔を浮かべている。


「大丈夫か? 顔が硬いぞ」


「……緊張してるだけ」


「なら、俺が守るから安心しろ」


 怜司は軽く拳を差し出してきた。


 悠真は一瞬ためらったが、そっと拳を合わせた。

 その小さな接触が、不思議なほど心を落ち着けてくれる。




 次の瞬間、視界が光に包まれる。


 悠真が目を開けると、そこは見渡す限り辺り一面の広大な草原だった。


 どこまでも果てしなく続く澄み切った青空、草木を撫でるように揺らし吹き抜ける風。だが、その先に聳える黒い塔は禍々しい不穏なオーラを発しながら不気味に空を裂いていた。


 〈アストラル・システム:自由対戦モード開始〉


 耳に響く合成音声。悠真の姿は“光の弓使い”へと変わり、手には銀色の弓が握られていた。

 怜司は隣で刃が宝石のオニキスの様な輝きを放つ黒い剣を構え“影の剣士”として立っている。


「行こうぜ、水城」


「ああ」


 開始の合図と共に、対戦相手のクラスが現れる。

 前衛二人、後衛二人。彼らは剣と魔法を駆使して襲いかかってきた。


 怜司が前に出て、敵の剣士と激しく斬り結ぶ。

 悠真は後方から矢を放ち、正確に敵の魔導士を狙う。


「ナイス!」


 怜司の声に応え、悠真は矢を次々と放つ。

 光の矢が敵の魔法陣を打ち砕き、戦況は有利に傾いた。


 胸が熱くなる。


 ――怜司と並んで戦うことが、こんなにも心強いなんて。


 だがその時。


 空が不意にざわめいた。


 風が荒々しく逆巻き、草原が重くどす黒い影に覆われる。


 悠真の目に映ったのは――戦場の裂け目から這い出す“異形”の姿だった。


 長い腕、深紅の双眼に歪な顔。黒い霧をまとった鬼のような影。


 本来、この自由対戦に出現するはずのない存在。


(……まただ! 現実じゃなくても、こっちに……!)


「怜司!」


 悠真が叫ぶより早く、その影は敵味方の区別なく襲いかかった。


 他の生徒たちの視界には映っていないのか、彼らは動揺せず戦い続けている。


 怜司だけが、その異形を見た。


 驚愕に目を見開き、剣を構える。


「……なんだ、あれ……!」


 悠真は息を呑んだ。


(怜司にも、見えてる……!)


 これまで誰にも理解されなかった“影”が、怜司の目にも映っている。


 胸に複雑な衝撃が走る。


「下がれ、水城!」


 怜司が叫び、影に斬りかかる。


 黒い剣が閃き、閃光烈火の如く影の腕を断ち切る。だが異形は再生し、怜司を薙ぎ払った。


「怜司っ!」


 悠真は咄嗟に矢を放つ。


 光の矢が影の胸を撃ち抜く。


 ――その瞬間、影は絶叫を上げ、虚空に溶けていった。


 荒い呼吸を整えながら、怜司が振り返る。


「……お前の矢、すげぇな」


「見えたんだよね……あの“影”」


 怜司は真剣な眼差しで頷いた。


「見えた。……お前は、ずっとあんなのを?」


「……うん。僕にしか見えないと思ってた。でも、君にも……」


 二人の間に、奇妙な静けさが流れる。


 戦いの最中だというのに、互いの心臓の鼓動がはっきりと聞こえるようだった。


 怜司はそっと手を伸ばした。


「大丈夫。俺がいる。お前を一人にはしない」


 その手が、悠真の肩に触れた。


 ――その温もりに、胸が震えた。


 恐怖と同時に抑えきれないほどの安堵と、そして甘い感情が押し寄せてくる。


(怜司……君は、僕を信じてくれる……?)


 だがその瞬間。


 空に再び裂け目が走った。


 今度は、白銀の毛並みを持つ“狐”が現れる。


 九つの尾を揺らし美しい人の姿へと変わる――紅葉だった。


『――二人の絆が異界を開く』


 妖狐の声が響き渡り、戦場が眩い閃光に包まれる。


 その光の中で、悠真と怜司は互いを強く見つめていた。


 もはやただの演習ではなかった。


 二人の運命は、この先――否応なく異界へと踏み込んでいく。

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