第10話 占領統治と再生の朝

 夜明けの風が、焦げた麦の匂いを運んできた。

 戦の火はようやく消え、静けさだけが焼け野原に残っている。

 かつてラインテルン公国領だった村が、今はベルゼブブ王国の旗の下にあった。


「……灰の色まで、まるで昨日の夜を覚えてるみたいだね」

 佐々木奏音――ベルゼブブは、焼けた畑の端に立っていた。

 足元の灰が、風に舞う。どこまでも静かな朝だった。


 背後から、ルシファーが足音も立てずに近づいてくる。

「陛下、前線の制圧は完了しました。公国軍の残党は森の北へ退いています。抵抗はほとんどなし」

「抵抗がないってことは、次に来るのは……」

「略奪、逃亡、そして飢え、でしょう」

 ルシファーの声はいつも冷静だが、その目はほんの少しだけ曇っていた。


 奏音は息をついた。

「戦場を焼いたのは私たち。でも、ここに生きる人を焼くわけにはいかない。……復興班を出して」

「既に、アモン治安維持庁とマルファス建築省が動き始めています」


 遠くで、ゴブリンの土木班が掛け声を上げていた。

「よっしゃあ! 梁持ってこい! ここが新しい井戸の基礎だ!」

 コバルト族の力自慢たちが丸太を担ぎ、エルフの射手たちは周囲の残火を風魔法で吹き消す。

 妖精のパランドは子どもたちに水を配りながら笑った。

「泣くのは、夜にしなさい。昼は働くの」

「うん!」と声が返る。


 戦の痕を埋める音が、街を少しずつ満たしていく。



 奏音は腰を下ろし、焦げた土を手に取った。

 黒い。けれど、指の奥にほのかに湿り気がある。

「……根っこは生きてる。再生できる」

 そう呟いた瞬間、カフィーゼ(コバルト族長)がやってきた。


「陛下、畑の地層を見ました。深さ三尺で水脈が途切れてます。ここに新しい灌漑を掘れば、再生は早い」

「いいね。井戸と繋げて、堀の水路を農地に分けて」

「了解。石工班に伝えます」


 カフィーゼは土を握り、真顔で言った。

「この黒土、灰と涙で肥えてます。……悪魔も、人も、同じ土を踏むんですね」

「そうだね。血で育つより、涙で育つほうがいい」


 ふと風が止み、焼けた教会の鐘が揺れた。

 灰の中に立つ木の柱。そこに、まだ赤い布切れが結ばれている。


「これは……?」

 奏音が指を伸ばすと、レナード(精霊族長)が現れて言った。

「戦火の中で逃げ遅れた者の“祈り布”です。子どもが母を呼ぶために結ぶ印」

「……残して」

「はい」


 風が吹き抜ける。赤布が、ほんの一瞬だけ微笑むように揺れた。



 昼前。

 即席の議場が野営テントに設けられ、各省庁と将軍たちが集まる。

 地図の上には、新しい線が引かれていた――“統治線”。


 奏音が声を張る。

「占領地は“臨時管理区”とする。軍政・民政を分けて、略奪を禁ずる」

 アモンが敬礼する。「了解。市民登録を再開し、治安札を配布します」

 マルファスが図面を広げた。「焼け落ちた建物の再建に、アンデッド部隊を転用しましょう。休まず働けます」

 フェルネクス(詩人長官)がメモを取る。「作業詩をつけて士気を上げましょう。“建てる歌”は戦の反対ですから」


 奏音は頷く。「いい。詩で動く国、嫌いじゃない」


 グラシャラボラスが腕を組んで問う。

「捕虜の扱いは?」

「二分類。罪の軽い者は労働奉仕、重い者は法廷で裁く」

「寛大すぎると笑われますぞ」

「笑わせておけばいい。人を斬るより、人を使うほうが国は回る」


 ルシファーが微かに笑みを浮かべる。

「まさに陛下らしい。……胃薬の用意も必要ですね」

「仕様だよ」



 そのころ、捕虜たちは仮設の広場に集められていた。

 ベレト(司法大臣)が立ち、冷たい声で告げる。

「順に名を名乗れ。名を持たぬ者は仮名で登録する」


 怯えた兵士たちの中から、一人が一歩前に出た。

 日焼けした頬、擦り切れた鎧。

「……第三連隊伍長、ロッツ」

 また、ロッツだった。


 ベレトが顎を上げる。「罪状:越境武装、民間施設への攻撃未遂。証人は?」

 グシオン(尋問官)が一人の少年を連れてくる。「目撃者です」

 少年は震えながら言った。「この人……矢を下ろしました」


 奏音はそっと一歩前に出て言う。

「裁定。越境武装の罪は免れない。ただし、人を殺さなかった勇気を賞す。労役三十日、従軍後解放」

 ざわめき。

 ロッツは膝をつき、深く頭を垂れた。「……名を呼ばれるのは、久しぶりです」


 その言葉が、灰の国に少しだけ光を落とした。


 仮設広場の片隅で、白い布が風に鳴った。

 「再訓練所」――大書された札の下、捕虜の列が整然と並ぶ。槍も剣も外され、代わりに木桶と縄、筆と板。本来なら辱めに感じる道具を、ここでは仕事と呼ぶ。


「ロッツ、こっち」

 アレクサンドル(寺子屋頭)が、彼を机へ導いた。机には〈読み書き基礎〉〈測量〉〈畑地改良〉の三つの札。

「選んでいい。戦が終わった時、腹に残る方」

 ロッツは短く悩み、〈測量〉を指差した。

「指は太いが、目は正確そうだ」とアレクサンドルが笑う。「よし、縄尺(なわじゃく)と水盛りから始めよう」


 その背で、アモンが治安札の束を配っていく。

「名と出身、印。逃亡は禁止だが、待遇は札で守る。食事は二食+水、病の者は医務へ。逃げたら罰、働けば賃金」

 ざわめきが、疑いから期待へと質を変える。見える約束は、恐怖を少しだけ溶かす。


 ベレトは別の檻の前で冷ややかに言った。

「重罪者は移送。市民殺傷、放火、略取――公開裁判ののち、刑に服す」

 グシオンが鉄筆で札に刻む音が、静けさを掻く。**“見える罪”**は報復ではなく、秩序のために掲げられる。



■ 種を蒔く者たち


 焼けた畑に、大小さまざまな影が集まる。

 エルフのタフィーラドが指を弾くと、風精が灰をそっと払い、黒土の香りが立つ。

「まずはエンバクとソバ。発芽が早く、地を繋ぐ」

 レナードが水の鉢を掲げ、薄い膜のような水精を畝に沿って流す。「水脈はここ。堀を一本、角度は一%」

 カフィーゼが石杭を打ち込む。「水門はコバルト式。木と石の組み合わせで開閉は子どもの力でもできる」

 妖精のパランドは赤と青の粉で畑の端に線を引く。「赤は道/青は水。どちらも踏むな、芽が泣く」


 奏音は巻物を開く。

「臨時農政布告を出すよ」

 フェネクスが隣で羽ペンを構え、奏音が読み上げる。

1. 焦土の畑は王国が一時借上げ、耕作権と種を貸す。

2. 収穫は三分(税)・七分(耕作者)。飢饉時は自動軽減。

3. 種・道具・水利の貸与は札で記録し、返済は収穫後。

4. 畑地の境界は赤札の杭で示し、争いは公開調停へ。

5. 焼けた祈り場の土地は不可侵、再建は信徒に優先権。


「見える線が喧嘩を減らす。税の分け方も“見える”でいく」

 ラウム(金融)がうなずき、検定印“L”の袋を掲げる。

「種袋と道具貸与札に番号を。秋の回収まで帳尻が合う。合わなければ、合うまで待つ――利息はゼロ」

「ゼロ?」とアモンが目を細める。

「最初の一季は信用を買う時期だ」とラウム。「人を負債にしない」



■ 戦利品と財政の“見える化”


 焼け残った城倉で、ボティスとルシファーが立会いのもと戦利品棚卸しが始まる。

 長机の上に、銀食器、裂けた旗、記章、帳簿。

 クロケル(鉱物資源)とイドラド(ゴブリン族長)が秤を覗き込み、「真」「偽」を札で分ける。


「ルールは三つ」奏音が指を立てる。

「1) 兵への分配は規定通り。現物ではなく記名証書で支給。

 2) 公的物品(穀倉の穀物、工具、書類)は一旦すべて国庫。必要分を配給。

 3) 市井へ流す品は公開入札。最低価格と手数料は板書」


 ラウムが補足する。

「入札は二段階だ。まず国と公的機関が必要分を抑え、次に民間。値札なき売買は禁止。闇は税でなく、不信を増やす」


 兵士たちの表情に、ほのかな納得が宿る。

「札でくれるなら、あとで使えるもんな」

「うちの嫁、数字に強いしな」

 冗談も飛ぶ。笑いは最初の税収だと奏音は思う。



■ 市民登録と“名の返還”


 臨時役所の前に、列が蛇のように伸びる。

 ロノウェ(言語)とオロバス(青少年)が机に向かい、**「名を返す式」**を始めた。


「次の方。あなたの名は?」

 痩せた女が震える唇を開く。「……ミレナ。字は、読めない」

「大丈夫。あなたの耳で、私の口で書く」

 ロノウェがゆっくりと筆を運ぶ。「ミ・レ・ナ」

 紙に生まれた線を見て、女の肩が震えた。

「名は灯り、灯りは道」とフェネクスが小詩を添える。

 子どもがそれを復唱し、列の奥まで波が走る。


 ロッツが前へ出て、戸籍簿に素朴な字で**“ロッツ・ヘイラン”**と書いた。

「職は?」

「……今は測量兵。いつか、畑の線を引く人になりたい」

「だったら肩書をあげよう」奏音が笑う。「臨時測量手」

 ロッツは思わず頭を下げた。誰かが拍手し、その拍手が列の奥で増幅する。



■ 反乱の芽、そして“夜の刃”


 夕暮れ。

 復興が回るほど、困る者も出てくる。

 旧公国貴族の残党――灰色の外套の一団が納屋に潜み、村の古い鐘をロープで縛っていた。

「夜に火をかけろ。鍛冶場と穀倉、同時に」

 短く、冷たい声。



 屋根の上。

 サレオスが風の匂いを嗅いだ。「松脂。放火だ」

 レラジェが闇の中で弦を引き、火口だけを射抜く。

 納屋の戸が開いた瞬間、黒影が落ちる。

 ケロベロスの槍が地面を割り、衝撃の線が走った。人影が弾けるように倒れ、誰一人として刃を抜く間もない。


「夜戦禁止? いいえ、夜襲は私たちの得意」

 サレオスは笑みを消し、囁いた。「静かに、確実にだ」


 潜伏していた狼の獣人傭兵が背後から飛びかかる。

 その瞬間、地面が柔らかく――沼になった。

 ザガンの魔法。足首まで沈んだ獣人の喉元に、アスタロトの短剣がすっと触れる。

「生きて捕れ」

 悪魔の刃が、首の一寸手前で止まる。止められるのは、本当に強いからだ。


 アモンの部隊が駆け込み、袖から**“匿名札”**を取り出した男の手を捻る。

「匿名は沈黙。沈黙は免罪ではない」と札を掲げる。

 ウァレフォルが身元を読み上げた。

「グロイエル伯地下連絡隊“灰の舌”。目的、火と噂で秩序を崩す」

 男たちの顔から血の気が引いた。


 奏音は現場に到着し、短く告げる。

「罪は公開、刑は速やかに。――明日、見せて裁く」

 夜風が冷たく、星がよく見えた。秩序は夜にも灯る。



■ 市と兵站、そして“腹の戦”


 翌朝の市場は、人と荷でごった返した。

 キマリス(食糧庁)が配給札を掲げる。

「今日の黒粥は一人一椀。働いた者には麦餅を追加」

 列に不満はない。札が告げ、針が見せ、手が渡すからだ。


 兵站所では、ガープ(右翼軍団長)が帳面を片手に吼える。

「矢束の残量! 値札の棚卸みたいに叫べ!」

 兵たちが笑い、矢筒に差した札を引き抜いて読み上げる。

「前線、二割!」「後方、六割!」

 数字が往復し、戦の勘違いが減っていく。


 ラウムは貨幣袋を叩く。「戦利金の現金支給は禁止。全部記名証書で流す。盗めばバレる、使えば残る」

「現物の方が……」と誰かが言いかけ、すぐに口をつぐんだ。

 奏音が笑って肩をすくめる。「嫁さんが財布握ってる国の方が、長生きする」

 笑いが起き、空気が柔らかくなる。



■ 法廷――灰の舌、断つ


 城門前。布の天蓋、石卓、三脚の椅子。公開裁判の場。

 ベレトが冷たく宣言する。

「罪状:放火企図、騒擾誘発、匿名扇動。証拠は矢で穿たれた火口、松脂、匿名札の束」

 サレオスとレラジェが矢の軌道を図で示し、アモンが押収品を掲げる。**“見える”**は、正義の最短距離。


 首謀格の男が歯を鳴らす。「悪魔の法で人を裁くな」

 フルカス(宗教省)が静かに一歩。

「祈り場を焼こうとした者が、神を口にするのは冒涜だ。祈りは火ではない」

 エゼキエル調査団から残っていた僧たちも、黙って目を伏せた。


 判決は短い。

「大罪、極刑。――手短に、煽らず」

 剣が一度だけ鳴り、石畳に薄い線が引かれただけだった。

 そして、判決抄録が板に貼られる。見た者が、次に迷わないために。



■ “王の胃”と“国の腹”


 正午。

 奏音は簡易の机に肘をつき、深く息をついた。

「……胃が、さっきから緊急会議」

 ルシファーが黙って湯気の立つ茶を差し出す。

「陛下の痛みは、国の秩序の値段。払えているうちは大丈夫」

「払えなくなったら?」

「分割にします」

 いつものやり取り。声は穏やかだが、目は戦の先を見ている。


「午後は税と地図ね」

「了解」

 フェネクスが詩板を抱えて入り、アレクサンドルが地籍図の白地図を重ねる。

 ロッツが縄尺を肩に、照れくさそうに立っていた。

「測りに行っていいか」

「任せた、臨時測量手」

 ロッツは走り出し、妖精の子どもたちが後を追う。「縄、こっち!」「角度、一ぱーせんとー!」


 国は、走りながら線を引く。

 剣の音は遠ざかり、代わりに筆と杭の音が街を満たしはじめた。



■ “赤は道、青は水”、そして“黒は土”


 夕方、焼け跡に三色の線が引かれる。

 赤は道、青は水、黒は土。

 パランドが赤を伸ばし、レナードが青を澄ませ、カフィーゼが黒を厚くする。

 タフィーラドがささやく。「根は、黒を覚える。人は、赤と青で迷わなくなる」

「詩にしよう」フェネクスが笑い、板に書いた。

 『名は灯り/灯りは道/道は国/黒は土/土は腹』

 市場の片隅でマルタ婆が「腹の詩はいいねえ」と笑い、黒粥をよそう。


 奏音は城壁からその光景を見下ろし、拳を軽く握った。

(治めて勝つ。――合言葉、忘れない)


 北の森から、遠い角笛が一度だけ鳴る。

 敵は去ったわけではない。だが、ここで根が張りはじめた。

 根が深ければ、次は倒れない。



 夜が降りた。

 街灯の油が尽きかけ、闇に沈む前に――広場の中央に新しい灯がともった。

 ラウムが銀の反射板を掲げ、エルフたちが水晶を並べ、妖精たちがそれを満たす。

 「灯り税、導入第一号だ」

 奏音は静かに笑った。

 「払う気になる税は、生活の中に見える税よ」



■ 1:復興庁、正式始動


 旧領の中心部――グロイエル伯の城館は、いまや仮庁舎に変わっていた。

 壁には焼け跡が残り、天井の梁には矢痕。

 だが、机と帳簿と人の声がそれを塗りつぶす。


「まず、戸籍の整理。名の無い者は登録。旧主の印章は使わない」

 ロノウェが巻物を広げ、判読不能の古文書を一枚ずつ読み解く。

 「“無名”の項が多すぎるね」

 「いいことじゃないか」

 フェネクスが笑う。「名前を取り戻す詩が増える」


 アモンが鉄札を掲げる。「治安維持は三層で回す。

 第一層:市民警備。

 第二層:駐屯兵。

 第三層:夜警――魔導虫と精霊監視線。」

 精霊レナードが頷き、水鏡に青い光を走らせる。

 「これで、どの街角で何が起こっているか“見える”」



■ 2:市場、再開


 七日後。

 広場に立つ露店の数が、ついに二百を超えた。

 旧公国の貨幣はすべて刻印再打ちされ、秤と値札が整備される。

 ルシファーが帳簿をめくりながら言った。

 「税率三分、徴収は“取引時点”。」

 「高いか?」

 「いえ、“安定税”ですよ」ラウムが微笑んだ。「徴収側も市民側も、数字が読めるから」


 マルタ婆が、値札を掲げる。

 『黒粥一椀:銅貨二枚』

 『麦餅:銅貨三枚』

 「上品は読めてから、だっけ?」

 笑いが走る。

 子どもたちが真似して、自分の店の札を描いた。『お水』『リンゴ』『小さいパン』――稚拙でも、字がある。


 奏音は呟く。「これは最初のインフラだね」



■ 3:軍政から民政へ


 翌週、戦後初の軍政会議が開かれた。

 参加者は――

 ・ビフロンス(ネクロマンサー軍司令官)

 ・モラクス(武神統制)

 ・アスタロト(近衛副長官)

 ・アモン(治安)

 ・ルシファー(参謀)

 ・ラウム(財務)

 ・フェネクス(詩と民意)

 ・奏音(王)


「今後、戦線は縮小し、守りと再建に移る。

 都市の回復を優先し、勲章は殺した数でなく、再建した数で与える」

 その言葉に、一瞬の静寂。

 モラクスが腕を組み、「防衛勲章……新しい価値観だな」と呟く。

 ビフロンスは笑いを噛み殺した。「死者も、救われる」


 アスタロトが机に地図を広げる。

 「占領域は西から東へ十五里。小村十六、町三つ、城塞二つ。

  奪還は困難、だが維持は可能」

 ルシファーが言葉を継ぐ。「奪還は兵の誇り、維持は民の誇り。」

 奏音は頷いた。「なら、後者を取ろう」



■ 4:死者の町と記録の詩


 焼け落ちた村――名も無い廃墟。

 ビフロンスが指を弾くと、亡者たちの影が淡く浮かぶ。

 「魂の所在、確認完了。

  墓標は立てず、詩碑を立てる」

 フェネクスがペンを取り、読み上げた。


“ここに、名のなかった者たちを記す。

土は黒く、風は白く、

名はやがて灯りとなる。”


 アモンが帽子を取って立ち尽くした。

 「死者に詩を。……悪くない」

 「墓より長く残るから」フェネクスが微笑む。

 「秩序は、死者の上にも続く」



■ 5:反乱残党、再び


 その夜。

 森の奥、火の粉がまたひとつ。

 グロイエル伯の影――黒い外套の男が、瓦礫の上で膝をついていた。

 「……まだ終わらん。

  あの“王”は、悪魔の皮を着た人間だ」

 背後の兵たちが息を呑む。

 「再奪還の時を待つ。奴らの“秩序”ごと焼き払う」


 一方その頃。

 城壁の上で、アスタロトが風を読み取る。

 「西の森で、熱源二十。……反乱の残り火ですね」

 奏音が短く命じた。

 「報復はしない。だが、追跡と記録は怠るな」

 「了解」



■ 6:教育と未来


 夜明け前、寺子屋に灯がともる。

 アレクサンドルが黒板に書いたのは、「国(くに)」という二文字。

 「これが、君たちが住んでる場所の“名前”だ」

 子どもが首をかしげる。

 「名前?」

 「そう。“国”っていうのは、人と人の約束の数だよ」


 フェネクスが隣で韻を刻む。

 > 『名は灯り/灯りは約束/約束は国』


 ロッツが教室の戸を開け、測量具を肩に笑った。

 「畑の線、引いてくる」

 アレクサンドルが頷く。「授業終わったら、詩の宿題だぞ」

 ロッツは苦笑いした。「詩より縄の方が性に合う」

 だが、帰り際に言った。「線を引くの、楽しいんだ」

 その言葉に、教室の子らが目を輝かせた。



■ 7:統治の完成


 一か月後。

 焼け野原だった地は、再び緑を取り戻しつつあった。

 畑、秤、札、詩――すべてが見える形で並ぶ。


 奏音は高台から見下ろし、そっと呟く。

 「戦で得たものは土地じゃない。“見える国”そのものだ」

 ルシファーが静かに答える。

 「敵は今も東にいます。

  ですが、奪うより、守る方が強い」

 「その言葉、詩にしておいて」

 フェネクスがうなずき、短詩を板に刻む。


“奪う剣より守る手を。

燃える旗より灯る札を。

名は国、国は人。”



 夕陽が落ちるころ、風が穏やかに吹いた。

 焼けた空が、橙に戻る。

 奏音は軽く目を閉じる。

 ――秩序は生き物だ。

 誰かが見て、触って、名前を呼んで、初めて動き出す。


 遠くで角笛が鳴った。

 新しい季節が始まる音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る