第6話_対価
管理人はすぐ近くのベンチにどしっと腰掛けた。
隣の席を手で軽く叩き、燈を招く。
「ほら、ここに座りな」
そのベンチはガラスのように青く透き通っており、まるで芸術作品のようだった。
けれどその美しさの裏には、どこか氷のような冷たさが潜んでいる気がした。
燈は一瞬ためらい、足先でそっと触れる。
思ったよりも温かく、安心したようにゆっくり腰を下ろすと、ベンチが静かに彼女を受け入れた。
「気持ちは落ち着いたか?」
管理人は不愛想に言いながらも、視線を逸らさず燈の様子を伺っている。
その眼差しには、明らかな心配の色が滲んでいた。
「はい……だいぶ」
「そうか。……あぁそうだ、これは返すよ」
そう言って、管理人はジャケットの内ポケットに手を突っ込み、ごそごそと何かを取り出した。
差し出されたのは、赤いリボン――燈がいつも襟元に結んでいたものだった。
指先でそれを受け取りながら、燈は思わず息を呑む。
神隠しのように消えていたはずのリボン。
彼女に渡した覚えも、取られた記憶もない。
「あれ……?いつの間に……?」
管理人は軽く肩をすくめる。
「お前のように駅に迷い込んだ『生者』を現世へ送り返すとき、『対価』としてそいつらが身に着けていたものを一つ貰うんだ」
「対価……」
燈は小さく呟き、リボンを見つめた。
光に照らされたそれは、まるでまだ何か温もりを残しているようだった。
「この帽子とか、眼鏡も……その時の貰い物だよ」
そう言って、管理人はくいっと眼鏡を押し上げる。
まるで「どうだ?似合ってるだろ?」と言わんばかりの表情だった。
燈は思わず苦笑する。
色違いの靴下、季節外れの麦わら帽子――全体のバランスが絶妙に悪い。
「なんか、不揃いですね……」
気づけば、口が勝手に動いていた。
その瞬間、管理人の顔がピキッと固まる。
「なっ……似合ってない、だと……?完璧なコーディネートだろが!?」
勢いよく燈の両肩を掴み、前後に揺さぶる。
「い、言ってないですよ!『似合ってない』とは、言ってないですよぉ!」
燈は慌てて弁明しながら、ぶんぶんと揺られる。
「やっぱりさっきのリボン返せ!それで今度こそ完璧なはずだ!」
管理人はリボンを奪い取ろうと手を伸ばす。
「だめですよ!私まだここにいるじゃないですか!」
「あぁもうなんで帰らなかったんだよぉお前ぇ!!」
話がいつの間にか逆戻りしている。
燈は観念したように息を吸い、叫ぶように言った。
「も、もう……!か、可愛いですよ……すごく、可愛いですからっ!」
管理人の動きがぴたりと止まる。
「……可愛い、だと?」
(あ、やば……)
燈の心臓が跳ねる。
言葉の地雷を踏んだ確信があった。
「あ、いやそのっ……そうじゃ、なくてっ……!」
焦って手をぶんぶん振る燈。
管理人はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり肩から手を離す。
「可愛い、か……まぁ当然のことだがな」
努めて平静を装っていたが、帽子の影から覗く頬がわずかに赤い。
燈は息を吐き、胸をなでおろした。
安心した途端、力が抜け……
ぐぅううううう……
静寂を破ったのは、燈のお腹の音だった。
顔を真っ赤にして俯く彼女を見て、管理人は鼻で笑う。
管理人は軽く鼻を鳴らし、声をかける。
「よし、飯でも食いに行くか」
「えっ……食べるって……」
燈は慌てて顔を上げるが、管理人はすでに立ち上がり、背を向けて歩き出していた。
「いいからついてこい。ついでに、この世界のことも教えてやる」
燈は唖然としながら、その背を追った。
青白い光のホームを二人の足音が響いていく。
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